第一節 IRIS

2

金色に輝く髪に、翡翠色の瞳、そこには、リリアが成長したらこうなるだろうという、そんな少女が立っていた。たとえ成長して姿が変わったとしても、アランには彼女が自分の待ち焦がれ、渇望した『リリア』にしか思えなかった。だから、無意識に手を伸ばし。


「死ねぇぇぇぇぇええええ!!」


 しかし、その*再会*は、怒号にかき消される。気づけば、眼前には満身創痍で銃剣を手にし、少女の手刀と鍔迫り合いを繰り広げているヴラドの姿があった。


「逃げろ!」

「そ――」


 そんなこと、できるわけがない。いったいどれほど待ったと思ってるんだ。ようやく会えた、ようやく言える、一人にしてごめんと、これからは俺がいるからと。なのに、それなのにどうして自分の方から逃げなくてはならない。そんなの絶対に嫌だ。


「はやく――ぐっ!」


 巨躯のヴラドが、少女の無造作な腕の振りによりいともたやすく地に伏せた。そして彼女は、眼下にうずくまる物にむかって、躊躇なく手をつき下ろす。


「がっ――!」


 おそらく心臓を一刺し、ヴラドの体は絶えず痙攣し、やがて動きが途絶えた。少女は表情を一切変えず抜いた手を一閃。まとわりついていた血があたりに飛び散りアランの鼻頭に温かくぬるりとした感触を与える。

 そしてそこで初めてアランは、目の前の脅威を認識した。これはリリアではない、リリアの姿をした化け物だと。だとすれば自分はヴラドが命を賭してまで稼いだ時間のすべてを、無駄にしたということになる。


「っ!」


 それは、怒りだ。あまりに不甲斐ない自分に対しての怒りだ。そしてやり場のない怒りを全ての元凶である少女に向ける。ほぼ反射的に立ち上がり、こぶしを強く握りしめて素早く突き出す。怒りに任せてのものでなければ当たっていたかもしれないそれはいともたやすくかわされ、隙だらけのアランの鳩尾に強烈な一撃が入り、簡単に崩れ落ちる。少女はアランを何の感情も宿さない瞳で見下ろしていた。


 ――これは、死んだな……。


 やけに客観的な視線で自分の死を確信する。アランはここからこの化け物相手に巻き返せると思えるほど驕ってはいなかった。だから、死ぬ間際の遺言のように、言葉を投げかけた。


「お前は……お前は、誰だ」


 返答を求めて尋ねたわけではない、返答が得られるとも思っていなかった。ただ、最後にこの少女と会話まがいのことでもしたかったのかもしれない。しかし、意に反して返答は帰ってきた。


「――アイリス。私の名前」


 淡泊ではあるが、明確なコミュニケーション。しかし、帰ってきたのは非情な現実。わかっていた、わかっていたが、やはりこの少女はリリアはない。それを改めて突き付けられ、胸に去来したのは諦めだった。自分の勝手な思い込みで皆の死を無駄にした己の人生への諦観だ。


 ――ごめんな、リリア……


 少女がおもむろに右手を引く。ヴラドと同じように殺すのだろう。アランは贖罪でもするかのように自ら胸を差出し、そして――


「――え」


 終わりは、訪れることはなかった。先ほどまで自分を刺し殺そうとしていた少女はいつの間にか崩れ落ち、アランの胸の中で安らかな吐息を立てながら眠っていた。あまりに予想外で不可解な現実に、意図せず漏れ出した声は、誰にも届けられることなく孤独の中に消えていった。

   ✟

 重なるような二度の銃声の後、自分の胸に崩れ落ちてきたその人を、軍服からしみだしてきた血の生ぬるさを感じた時、湧いてきた感情は悲憤でも恐怖でもなく純粋な疑問だった。

 軍に入ってから半年、この特攻隊に入隊してからは一か月かそこらしか経ってないというのに、いきなり前線に送られたアランは、死が寄り集まるこの戦場でただただ必死だった。常に銃声が鳴り響き、そこら中に敵味方の骸が転がっている。常時気を張ってないとすぐに狙われ撃ち殺されるので、瞬きの一つすら許されない。余計な感情を抱いても隙ができて死ぬ。アランはとにかく生きるのに精いっぱいだった。

 また一人、また一人と殺していく。躊躇はない。躊躇をしたら死ぬと、ある仲間がその死をもって教えてくれた。アランはその小柄な体躯とずば抜けた俊敏性を生かし、敵の死角からの射撃と刺殺を得意としていた。そのために足を止めることは許されない。重い軍服を着ながら戦場を縦横無尽に走り回り、とにかく敵に見つからないように、囲まれないように。しかし、死を間近に感じるこの緊張感のおかげで疲れなど全く感じておらず、結果として疲労は知らぬ間に蓄積していく。そして当然の帰結として、限界は来る。


「がはッぁふ!!」


 瞬間、肺が、巨大の杭で刺されたかのような痛みに侵される。口は酸素を求めるようにパクパクと動くが、息を吸うたびに激痛が走るので、体が本能的に呼吸を拒否する。足はもはや感覚がなく、神経が、骨が抜けてしまったかのように支えを失い、崩れ落ちた。長らく銃の反動を受け続けた左肩は一寸たりとも動かず、倒れこむ体を支えることもできずに頭から地面にたたきつけられた。

 これ以上ない隙だ。アランは死への恐怖に体を凍らせた。頭を埋め尽くしていたのは『死にたくない』という言葉。まだ目的を果たしていない。リリアを、見つけていない。アランは少しでも敵の元から離れるように唯一動く右手で必死に砂利土を掻いて前へ、前へと――。

 銃声、それが鼓膜を震わせたとき、アランは死を確信した。ただ、一つだけ不自然なことといえば、その銃声が重なるように二回なったこと。アランは、まだ終わりが訪れない随分と鈍感な体を反転させ、自分の殺した相手を一目見ようと顔を向けた。しかし、そこに見えるのは、にやりと顔をゆがめる敵ではなく、見覚えのある後ろ姿だった。


「フィ、リア……隊長……?」


 メルボラス共和国軍第四連隊第三特攻隊隊長、アンジェ・フィリア。アランの所属する隊の隊長であり、まだ少年だったアランをまるで姉のように甲斐甲斐しく面倒を見てくれた人だった。周りが大人ばかりで全くなじめなかったアランをいつも構い倒し、ただでさえ乏しい食事を育ちざかりの体に悪いと言っていくらか譲ってくれたり。今思えば、国に置いてきたという弟とアランを重ねていただけだということは容易にわかるのだが、それでも闇ばかり広がる戦場で彼女は唯一の光だった。

 だから、アランの胸に倒れこんできた彼女を見て、そしてその向こうで同じように倒れる敵を見て自分を守ってくれたのだと気づいたとき、見慣れた死のはずなのに、どうしようもなく悲しかった。大切な何かを失うのは、痛いのだ。


   ✟


 アランの胸に去来したのは、そんな記憶だった。しかし、今アランの胸の上で、しかも眠っているのは明確な敵だ。


 ――今なら殺せる……!


 死んだ皆の仇をとれる、そう思ったアランは少女をはねのけ、立ち上がり、近くに落ちていたヴラドの銃剣を拾い、少女の頭に照準を合わせた。 


「終わりだ……死ね」


 そして引き金を、引き金を―――――――――引けなかった。指が、動かなかった。


「くそっ!動け、動けよ!」


 人差し指に全身の力を込めて、全神経を集中させて、それでもピクリとも動こうとしなかった。


「なんで、なんで……」


 それが体の不調によるものならまだ救いがあった。でも、そうではないことはしっかりと自覚していた。


「あぁ……うっ、ぐ……ふっ……」


 たとえ中身が化け物だとしても、仲間を殺した仇だとしても、アランにリリアの姿をした人を殺せるわけがなかったのだ。そんなことをしたら、いままでの自分を殺しているのと同じことになってしまうから、自分の存在意義を失ってしまうから。


「あぁァァァァァあああああぁァァァァァァァ!!」


 自分の無力を、獣のように嘆いた。


 ✟


「――IRIS一〇三、目標を撃破しました」

「そうか、上手く行ったようで何よりだ」

「はい。ですがコアの動力切れで休眠状態に入ってしまったようで……」

「ああ、回収はいいよ。どうせ実験体だ。今回のデータをもとにもっといいものを作るさ。あと一〇三の狂化バーサクモードを外しておいてくれ。これ以上暴れられると困る」

「了解しました。報告は以上です」

「ああ」


 一礼をし、部屋を出ていった部下を横目に、窓に広がる夜景を眺める。ワインの入ったグラスを傾け、どこか遠くを見つめるような目で男は言った。


「さあ、いったいどんな喜劇ピエロを見せてくれるんだろうね、*アラン*」


 その口元は確かに笑みをたたえていた。


 ✟


 気づくと、もう日は沈んでいて、あたりは暗闇に包まれていた。いつの間にか眠ってしまっていたようで、仰向けに転がったアランのすぐ近くには、先ほどまでと全く変わらず気持ちよさそうに吐息を立てる少女の姿があった。思わずほころびそうになった表情を取り繕うかのように代わりにキッとにらみつけ、わざと乱暴に立ち上がる。そらには満面の星空が広がっており、リリアも同じ夜空を見ているだろうかとらしくない思いをはせながら地面に視線を戻した。


 ――これからどうしようか……


 帰る場所はこの少女に奪われた。殺せたら一番楽なのだが、それもできない。国に戻ろうにも、こんな危険な化け物を放置しておくのは気が引ける。


 ――一緒に行動するか?こいつと?てかそもそもコミュニケーションとれんのか?起きた瞬間真っ先に殺しにかかってくるとかぞっとしねえぞ……


 しかしそうなると祖国には帰れない。全く恩も感じていないが一応出身国なので危険にさらすわけにはいかないのだ。そうすると同時に戦場に戻ることもほぼ不可能になる。アランに残されたのは。


 ――リリア探しの旅に連れていくか、放置するか


 この二択しかない。責任をもって連れていくか、後は知らんと放置するか。アランの思考は前者にやや傾いているが、リリアを探す旅に、リリアにそっくりな化け物を連れて行くのは少し精神的に無理がある。


 ――しかたない、連れていくか


 しばらくの熟考ののち、その結論にたどり着く。


 ――まあそれも、こいつとちゃんと会話出来たらの話だけどな。


 方針は決まったため、今度は一番危険な作業に入る。この殺戮兵器を起こす、という。左手には銃剣をしっかりと構え、周囲に逃げられる場所を確保し、長い木の枝でつついて起こすという、実に情けない作戦だが、これも安全のためだ。

 少し震えるからだを抑えるため、深呼吸をして、いざ。木の枝を手にしっかりと持ち、胸のあたりを二、三回つついた。


「ん……」

「くる……!」

「んむぅ……」

「……」


 なんだかあほらしくなってきながらも、めげずに根気よく、何度もつつく。


「おい、おい起きろ!」


 さすがにだんだんしびれを切らしてきて、枝で胸を押さえたまま前後左右に揺らし、声を張り上げてみるも、全く起きる気配なし。それどころかなんだか心地よさそうにしている。


 ――なんなんだこいつは……さっきまでとは全然違うじゃねえか……。


 もうやけくそだった。枝を手放し、直接手でゆする。往復ビンタを頬に食らわせ、耳元でどなってみたりもする。それでも、時々うめき声をあげるだけで一切起きようとしない。


 ――ほんとに生きてんのか……?


 死んでてくれればこっちもいろいろと楽なのだが、こうして呼吸を続けている時点で、その可能性は皆無だろう。ため息を一つつき、再開する。


「おい、おい起きろ*アイリス*!」


 そして、記憶を探って思い出したその名を呼んだ時、少女の体がぴくっと動いた。つづいて、目がぱちりと開き、上体が跳ね起きる。そして、少女の体の上にあったアランの頭と彼女の頭が丁度ぶつかり、ごちんというなんとも痛そうな音を響かせた。


「っつぁあああ!」


 アランはあまりの痛みに地面を転がりまわり、少女は何でもなさそうに、無表情でそんな彼を見ている。


 ――くそ、油断させておびき寄せてからの攻撃か……!


 そう気づいたときにはもう遅く、少女はいまだ頭を押さえるアランに近づいていく。そして、その瞳に殺気を宿し――。


「あなたは、誰?」


 ――てはおらず、ようやく痛みが治まってきてふらつきながらもゆっくり立ち上がったアランにそんな質問をする。


「どういう意味だ?」

「あなたの、名前は?」


 質問の意図が見えない。まさかただ単に名前を聞きたいだけというのはないだろう。しかあわよくばコミュニケーションをと思っていたアランにとっては僥倖だった。


「アラン、だ。家名は知らない」


 あの記憶喪失とともに消え失せたのか、アランは自分の家名を覚えていなかった。普段の生活を送る分にはほとんど支障がなかったが、リリア探しの重要なカギになると思われたそれを知らないのは痛かった。


「アラン、アラン……」


 少女はうわごとのようにアランの名を口ずさんでいた。アランは少しくすぐったくなりながらも話を続ける。


「私は、アイリス」

「知ってるよ、自分で言ってただろ」

「そう……」


 さっきからいったい何のためにこんなことを言っているのだろうか。全く真意が読めない。こうやってまた油断させるつもりかとアランは常に警戒態勢を張って会話に臨んだ。


「お前は、どこか帰る当てがあるのか?」

「ない、帰ってくるなって言われたから」

「はぁ?なんだそれ、お前を送り出した誰かがいるのか?そいつの名前は?」

「しらない」

「そうかよ……」

「アランは、どうするの?」

「いきなり呼び捨てか……俺は旅に出る。お前のせいで帰る場所失ったしな」

「それは……ごめんなさい」


 腹いせに責めると、本当に申し訳なさそうに謝ってきた。そんな反応は予想していなかったので少したじろぐ。


「やめろ謝るな、てか申し訳なく思ってるなら最初からやるなよ」

「体の制御が聞かないくて。ごめんなさい」

「だからやめろって……で、お前、行く当てないなら俺の旅についてくるか?てかついてこい危ないから」

「……なぜ?」

「おまえみたいな化けものをその辺にほったらかしにしてたら世界が滅びるわ」

「あなたは、いいの?」

「俺がこいって言ってんだからいいんだよ」


 意外にもコミュニケーションをとることができる。であれば先ほど、アランの仲間やヴラドを殺した時の少女はいったい何者だったのだろうか。まるで別人だ。


「じゃあこい、もう出発するぞ」

「わかった」


 とはいえ、無事説得に成功したわけで、つまりアランはこれからこの、仇であり、妹の空似であり、いまだ謎が深い少女と旅をすることになったわけである。それが、始まりか終わりかを知るのは、ただ一人だけ。

 そして、この旅の全てはあの少女のために


 ■■■のために。

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