Riria 〜sing for you〜

@tatakuto

序章 Introductory chapter

1


 雄叫びが聞こえる。


 絶叫が聞こえる。


 銃声が聞こえる。


 血が見える。


 死体が見える。


 炎が見える。


 熱を感じる。


 痛みを感じる。


 死を感じる。


 腐肉の匂い。


 火薬の匂い。


 死の匂い。


 血の味。


 肉の味。


 黒煙の味。


 戦場は地獄、人の負の感情を一緒くたに混ぜた鬼の住まう場所。誰かがそう高らかに言ったという。

 でも、少し違うと思った。なぜなら、戦場はこんなにも、


 美しいのだから。


 ✟


 界願戦争。後にそう称される歴史上最大の戦争は混沌の体を様していた。そしてその中に身を投じる少年が一人。見るもの全てをその場に留めつける鋭く赤い双眸。漆黒の髪は決して人を寄せ付けず、細見な体躯で、しかしこの場にいる誰よりも戦果を上げていた。


「しッ…!」


 メルボラス共和国軍第一連隊第一特攻隊副隊長。それがその少年に与えられた立場だ。一早く戦場に突撃し、陽動、撹乱、そして各個撃破を目的とする“死に急ぎ”の特攻隊。その中で最も多くを殺し、最も恐れられたその特攻兵の名は、アラン。アランはまだ、たったの十七年しか生きていなかった。


「ひぃっ!!」


 標的の脇腹を通り抜けざまに銃剣をふり、鮮血が散る。臓物がもろび出、ぬるい返り血が顔に降りかかる中、次の標的を見定め足を踏み出した。流れ弾がすぐ真横を通って微かな空気の揺れを伝える。いつそれらに当たってもおかしくないものだが、アランはなぜか今まで一切被弾していなかった。


「なッ」


 次の標的がアランに気づくが、すでに射程内だった。低い姿勢から首を狙って鋭い突きを繰り出し、絶命させる。そしてすぐに次の標的に向かって疾走を始める。

 そんなことをずっと繰り返していられるくらいにはアランにおおよそ心と言われるものはなかった。いや、意図的に無くしていると言った方が正解だろうか。どちらにせよ、アランは無心で人を狩り続けた。

 走る、斬る、走る、刺す、走る、撃つ。何も考えず繰り返す。その動作に澱みはなく、まるで精密にプログラムされた機械のように、正確無比に殺す。


「こ、この*生き損ない*が!地獄に堕ちろ!」


 標的の一人が死の間際にそんなことを言った。どうやら自分は『生き損ない』などと言う名称で呼ばれているらしいことは知っていた。特に気にしていなかったが、面と向かって言われると考えてしまう。生き損ないとはなんなのだろうか。わからない。人の気持ちなんて理解できない。する必要がない。


「痛えぇ、痛えよぉ……助けてくれ……だれか……」 


 途中、足を撃たれ、腹をかっ裂かれ、焼夷弾に全身を焼かれた無惨な兵士を見かける。もう助からないだろうその兵士は、それでもまだ生きながられようとしていた。全身は血にまみれ、もはや敵が味方かも区別できない。だから。


「ここは戦場だ。楽に死ねるわけねえだろ」


 撃った。それは決して情けをかけたわけではなく、ただ、その生き方が見苦しかっただけだった。自分に重なってしまっただけだった。


「俺は死なない。お前とは違う」


 そうやって自分を拒絶し、また戦場に身を投じる。アランにはどうしても達せねばならぬ目的があった。それを達するまで、死ぬつもりはなかった。でもそれは、誰が見ても、どうしようもなく、*矛盾していた*。彼はそれに気づいていないのか、それとも気づいているうえで見て見ぬふりをしているのか。それは誰にも分からない。でも、そんなことは全く関係なく、今日も地獄に嬉々として還る一人の少年は、独りだ。きっといつまでも、独りだ。


 だから、全ては、あの少女のために。




 リリアのために。






 その日が、どうしようもなく夏だったことは覚えている。でも心の中は冬のようだったことも、目の前の景色が秋の山道のようだったことも覚えている。


『痛い』


 ほかのことは、ノイズがかかったように思い出せない。思い出そうとすると、胸にぽっかり穴が開いてしまったかのような虚無感を覚える。だからいつもあきらめる。


『痛い』


 夢を見る。毎夜毎夜、同じ夢を見る。それはとても楽しくて、とても悲しい、一人の少年の話。そしてその夢の中だと、それをはっきりと思い出せた。


『痛い』


 けれど朝起きるとやっぱり忘れていて、思い出せたという記憶だけが残る。それがとても悲しくて、だから夢を見るのが嫌いだった。


『痛い』


 でも夢が見られなくなるのも嫌だった。だって、大切な何かを失うということは、避けようもなく、


「『痛い』」


 ✟


 特攻隊の朝は早い。もう聞きなれた金属と金属がぶつかる音をすでに覚醒済みの頭で聞き流す。日は完全に出きっておらず、あたりはまだ薄暗かった。アランは上から支給された堅苦しい制服に身を通し、テントを出る。ほかの隊員も徐々に起き出して、あるものはゾンビのようにテントから這い出、あるものは立ちながら器用に寝ていた。全員に共通して言えることは、かなり疲労がたまっているということだ。


「よおし!起きたなてめえら!点呼!」


 隊長のヴラドが隊員たちをおざなりに集め、いつも通りの点呼を始める。


「一……」

「にぃ……」

「さぁ……ふわぁ」

「四」

「ぐごごごごご」

「ろ、ろく」

「なななななななな」

「はっち……」


 …………


「今日も全員元気だな!じゃあ体操始めるぞ!」


 ヴラドの元気な掛け声と、他の隊員の投げやりな声が早朝の森に響く。アランは無言で体を伸ばし、体に血液を巡らせていた。

 メルボラス共和国軍第一連隊第一特攻隊。そこははぐれ物の集まるごみ処理場のようなところだった。誰もかれも最低限の生活を送れないほど困窮していて、兵に志願し、その中で*格別した才能を持った者*が一緒くたにされてできた隊。しかしなぜそれが死に急ぎの特攻隊になっているのかは……おそらく上のくだらない保身のためだろう。反吐が出る。


「体操終わり!朝飯まで自由時間だ!」 


 特攻、特別攻撃とは、本来決死の攻撃だ。隊員のほとんどは死に、生き残ったとしても次の特攻でどちらにしろ死ぬ。しかし、アランを含めたこの隊員達は上の意思に反して、しぶとく生き残っていた。一回の特攻で数人程度しか死なず、それ以外の隊員は五体満足で帰ってくるので『不死身の特攻隊』なんていうたいそうな名前で呼ばれている。もちろん段々と数は減っているし、当然補充もされないので厳しくなりつつはあるが、それでもこの隊が戦争に与えている影響は計り知れない。


「なんであの人は体操だけのためにこんな早く起こさせるんだろうな。どうせ進攻昼ぐらいからしかないのにさ」


 アランが岩に腰かけ、愛用の銃剣を磨いていると、誰かが声をかけてくる。顔を上げると、隊員の一人、ユーリだ。


「ここは最前線だぞ。何があるかわからないだろ」

「そうはいってもよ、うちと違ってリーベルニアさんもディアムランさんも兵に優しいからこんな朝早くから奇襲なんてしてこねえだろ」

「万が一だよ」

「ちぇ、まあいいや、俺は寝てくるから。お前も休めよ」

「ああ」


 ユーリがテントに戻っていくのを見届けてから再び磨き始める。

 この隊が最も特徴的なのは、そのほとんどが少年兵で構成されているというところだろう。隊長のヴラド以外は全員十五から二十歳くらいと、最前線で活躍する兵としては若すぎる。古参兵を大事にしたいのはわかるがそれにしたってやりすぎだ。

 しばらくすると、朝食の時間を知らせる声が聞こえてきたので、アランは磨いていたそれを背中のホルダーに入れ、腰を上げた。


「「「いただきます!」」」


 そんな声とともに、銀色のトレイに乗った乏しい食事をがっつき始める隊員。それぞれが年相応の表情を見せ、楽しそうに話している。それはどうしようもなく平和で、戦争の只中にいるとはとても思えなかった。でも当然のように人を殺すし、人は殺される。簡単に、割とあっけなく死ぬのだ。人間という生き物は。アランはそれを何回も見てきた。即死ならまだ全然ましだ。昨日の特攻の時にアランが見かけたあの死にかけの兵士のように、じっくりと痛みを味わいながら死んでいく者も大勢いる。隊員全員に隊の紋様の描かれた小型の銃が配られているのはそういうことだろう。つくづく思う。戦場は地獄だ。


「おかわりいる人ー!」

「欲しい!」

「俺も俺も!」


 アランは騒がしくなってきた食事場を、早急に立ち去り、自分のテントに向かった。普通、隊員は四から五人を一グループとして同じテントに入れられるのだが、アランには彼たっての希望で専用のテントが割り当てられていた。それほどの戦績を上げているということだ。


「おはよう。*リリア*」


 隅に置かれた木箱、その上には質素な額縁に覆われた一枚の写真が置かれていた。その周りには草花で編まれたリースや使い古されたオカリナが鎮座している。写真には無邪気に笑う一人の少女が映っていた。

 アランは、普段全く見せない温厚な笑みを口元に称え、とても優しい顔をしながら手紙に語り掛ける。実際アランが専用テントを要求した理由の一つには、この時間を大切にするためというのがあるくらいだった。


「今日の朝飯は……っていっつもこの話してるよな。ごめんな、楽しいこと話せなくて」


 少女は、リリアという名前だった。リリアは、アランの妹だった。いや、正確には、だったようだ。

 アランには、その妹に関する記憶が、一切なかったのだ。あの日、あの夏の日、それまでの記憶が、一切合切、消え失せた。アランの手に残っていたのは一枚の絵と手紙。そしてたくさんの花だった。絵の中の少女が、自分の妹らしいと分かったのは、手紙の内容からだった。そしてアランはいつの間にか、実際に見たことも、話したこともない妹、リリアを自分の*存在意義*にしていた。だから、いつか、どこかにいるはずの『妹』に会う。それを目的に各地を傭兵として旅してきたのだ。なのに、今はこんなゴミだめに身を置いている。それが滑稽でならなかった。そしてそんな自分を直視しないために、今日も地獄の業火に喜んであぶられる。アランはそんな孤独な一人の少年だ。


「この戦争が終わったらまたお前を必ず探しに行くから。それでいつか会えたら一緒に『海』を見に行こう。だからそれまで待っててくれな」


 アランは決まって最後に、懇願するような顔でそう言う。まるで幼い子供のように。

 テントを出ると、隊員は各々の自由時間を満喫していた。あるものは草むらに寝そべって日向ぼっこをし、あるものはトランプ、あるものはトレーニングをしていた。 


「アランおはー」

「ああ、おはよう」

「おはよ、今日朝いた?」

「いたよ」

「こっちでトランプしよーぜー」

「あとでな」


 それぞれとあいさつや会話をしながら少し開けた草原を通り抜け、やがて見晴らしのいい丘にたどり着く。ここからは普段アランたちが戦っている戦場が遠くに見えた。アランは特攻の命令が来るまでは、いつもここで見張り兼トレーニングをしている……という名目上で実は眠り更けていた。いかに最強とうたわれる特攻兵だとしても一か月以上も最前線で戦うと疲労もたまる。アランだって朝の体操はつらいのだ、表情や態度に表さないだけで。

 丘のてっぺんにあるひときわ大きい木、その根元に腰かけて、背中の銃剣を地面におろす。普段は張りつめている心と体を休め、ゆっくりと目を閉じた。心地よい風が少年をねぎらうかのように優しくなで、小鳥は子守唄をさえずり、アランを眠りへと引きずり込む。このいたって平和で穏やかな風景は彼が前線を押し上げて手に入れたものだった。


「……」


 ――意識が落ちる、まどろみのなかに深く沈み込んで――

 ………

 ……

 …


「――起きろアラン!」

「っ!」


 瞬間、声とともに現実に引き戻された。


「……なん「逃げるぞ!」」


 声の主はアランの応答を聞く間もなく、腕を引いて走り出した。突然すぎることに、まだ頭が追い付いていない。でも、並々ならぬ雰囲気は感じ取ることができた。


「*隊長*!どうしたんですか」

「いいから走れ!」


 そしてアランは気づく。もはや誰かもわからないような死体がそこかしこに転がっていることに、テント群が見る影もなく焼き払われていることに、そして、ヴラドの左腕がほぼ全焼していることに。


「どういうことですか、説明してください」

「そんな暇ねぇ!お前だけは、お前だけは何としても……!」


 アランには、その言葉と、その表情を見てどうしようもなく分かってしまった。壊滅したのだ、メルボラス共和国軍第一連隊第一特攻隊は。彼の唯一の帰る場所は。


「何が……」

「俺もわかんねえ!バカほど強いやつが全員殺した」


 到底信じられなかった。隊員はみな漏れなく戦いの天才だ。共にどんなに苦しい状況でも生き残ってきた。それが全滅なんてあるはずがない。あり得ていいはずがない。そんなのあまりに報われない。


「俺が、やります。そいつはどこにいるんですか」

「馬鹿かてめえは!あいつらがどんな想いでお前に託したのかも知らねえで勝手なこと抜かしてんじゃねえ!今は走れ!生きるんだよお前は!」


 言っている意味が分からなかった。アランは結局のところ、生きることを二の次にしていたのだ。そんな彼が突然生きろと言われても、理解できない。


「このまま逃げても前線を押しやられるだけで死ぬことに変わりありません。ならここで食い止めなければ、それが死んだ仲間たちの……」

「おめえには、おめえにはまだわからねえのかよ!あいつらがそんなこと望んでるわけねだろ!」


 アランがどれだけ言っても、ヴラドの足運びは滞ることもなく、腕を強く引いてただ走る。前へ、前へと――。だから気づかない、その身に迫

る脅威に。


 ズドン


 決して比喩ではなく、本気でそんな音が響いた。それに続いて立っていられなくなるほどの衝撃と突風、視界を完全にふさぐ土煙がアラン達を襲う。ヴラドの腕はとうに離れ、体の自由を得ると同時に失ったアランは、なすすべなく地に伏せた。脳がすぐに姿の見えぬ標的の出現を認識し、戦闘に入ろうとするも、肝心の武器がなかった。


 ――置いてきたのか……。


 失態。そう気づくころにはもう遅く、アランと敵とを分ける煙は吹き荒さぶ風によって散らされていた。そして――


「――は」


 無意識のうちに発声する。それは別に普段何気なく暮らしていても訪れるもので、でも何かが決定的に違っていて、だから今目の前にいる少女を、現実のものと思えなかった。だってそれはどうしようもなく――。


「り、りあ……?」


 リリアだった。

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