第102話 マリア案件

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「バッシュって、あんたか?」


 見あげるとアルティア兵が国都を囲む壁の上に身を伏せて落ちないように手で支えながら壁から外に顔を突き出していた。


 壁の高さは約十メートル。ルンが飛び降りたオーク集落の石壁に比べれば大分低い。


「そうだけど?」


「あれは本当か?」


「あれ?」


 ぼくたちが炊き出しを行う場所を各門の前にしたのは理由がある。


 炊き出しからあがる匂いが門と壁の上を越えて国都の中まで漂っていくためだ。


 国都の中の食料事情の本当のところは分からないけれども、もし外と同じか近しい状況にあるならば中にいる人たちは漂って来る食べ物の匂いを嗅がされ続けて無視はできないだろう。我慢ができなくなった時に、すぐ門を開けて外に出て来られるようにと門の前だ。


 門が開いたら、すばやく『半血ハーフ・ブラッド』隊員たちが動いて門を開けたまま固定する。


 炊き出しは力づくではなく自発的に門を開けさせようという作戦も兼ねていた。

あわせて、ぼくは門のすぐ外に子供たちを集めて壁の内側に向かって定期的に声をかけさせた。


 西門から北門へ向かう途中だったので今ぼくたちがいる場所は西門から百メートルほど距離が離れている。


 西門の方向から微かに子供たちの声が聞こえてきた。


 壁の上の男が言った『あれ』とは、この声の内容だ。


「門の前で炊き出しを実施していまーす」


「誰でも無料で食べられまーす」


「壁の中の人も食べられまーす」


「門を開けなくても大丈夫でーす」


「ロープを降ろしてくれれば籠を結んでお渡ししまーす」


 こういう純粋な言葉は大人よりも子供の声のほうが心に届く。


 まずは警戒心を解くことだ。


 残念ながら今までのところ門の上からロープは降りて来ていなかった。


 たまに見かけるアルティア兵に声をかけても返事がないのは言ったとおりだ。


 国都に出入りするための各門には壁の内側と外側に、扉と結ばれた鎖をウインチで巻き上げて持ち上げて開く仕組みの扉が設置されていて、持ち上げられた扉は門の上の楼門ろうもんに納まる構造になっていた。


 本来であれば日中は扉を持ち上げて通行が可能な状態にしておき夜間や有事には扉を降ろして通行を禁止するものだ。有事である現在は国都を囲む四つの門で全て扉が降ろされて完全に閉鎖されていた。内外の出入りはできない。


 外からは見えないが壁の内側の扉も降ろされ二重に閉鎖されているに違いなかった。


 扉の構造を格子式にして扉自体の重量を減らしたり格子の隙間越しに弓や槍で敵を攻撃できるようにする場合もあったが、国都の門の扉は少なくともぼくたちから見えている部分については鉄板で覆われていた。


 楼門は門を守るアルティア兵の待機所も兼ねている。


 現在、扉は降ろされているためアルティア兵は楼門内の巻き上げ機を守っているはずだ。


 楼門の中にアルティア兵がいるとしたら子供たちから常に炊き出しに誘われ続けている状態だった。


 壁の上から声をかけてきた男もそういったアルティア兵の一人なのだろう。


 あれは本当か、というのは本当に門の中にも炊き出しをする気があるのかと問うているのだ。


「門の上からロープを降ろしてくれたらすぐ渡しますよ。行きましょう」


 ぼくはやってきた方向に戻ろうとした。


「駄目だ。教会の奴らに見つかる」


 男は、ぼくを慌てて止めた。


「教会から外との接触を禁じられている」


 ああ。


 ぼくは以前誰かから聞いた話を思い出した。


 アルティア神聖国では主要ポストに教会からの出向者がついているのだ。


「部隊長か誰かが教会からの出向さん?」


「そうだ」


 男は苦々しい顔で吐き捨てるように肯定した。


「中も食べ物がないの?」


「ない」


「アルティア兵には食いっぱぐれがないって聞いたけれど」


「食いっぱぐれがないのは教会だけだ。自分たちだけは大聖堂に戻って食べてやがる」


「門を開けて出て来てくれれば食べさせられるよ」


「俺たちが勝手に触らんよう巻き上げ機は教会の直轄部隊が交代で守っている」


 中も色々複雑そうだ。


「何で、ぼくに声をかけたの?」


裸猿人族ヒューマンだから。あんた放牧場で『半血ハーフ・ブラッド』と戦っていた人だろう? 双眼鏡でここから見てた。観衆がバッシュと叫んでいた」


「だとしたら?」


「炊き出しが始まってすぐの頃、下を通った流民に急にどうしたのか声をかけたんだ。バッシュという人が『半血ハーフ・ブラッド』に話をつけて炊き出しを始めたって言っていた。あんたは『半血ハーフ・ブラッド』に顔が利くのか?」


 ぼくは両腕の『半血ハーフ・ブラッド』の腕章を触って見せた。


「少しは」


「もし俺たちが門を開けて投降したら身の安全を保障してくれるか?」


「巻き上げ機には触れないんじゃなかったっけ?」


「教会の直轄部隊を排除する」


 実力行使ということだ。


「何でまた急に?」


「あんたらの炊き出しの声を聞いてから市民が収まらん。獣人にひどい目にあわされるからと飢えに耐えていたのに話が違うと暴動寸前だ。このままじゃ俺たちが殺されて門が破られる」


 開門は時間の問題ということだ。とはいえ、暴動が始まってしまうと市民に沢山の死人や負傷者が出るだろう。門から出てもすぐに暴動が収まるとは限らない。流民や『半血ハーフ・ブラッド』と衝突するかも。


 だったら、アルティア兵に開けてもらう手は、ありだ。悪い話じゃあない。


 ぼくはブランと顔を見合わせた。


「ありです」とブラン。


 ぼくは男に確認した。


「いつまで待てる?」


「何日もは待てない。できれば今夜にも決行したい」


 忙しすぎる。


 中から門を開けさせるつもりの作戦ではあったけれども平和的に開くのと暴力的に開くのでは受け入れ態勢が変わってくる。


「こっちにも準備が必要だ。開くのは西門?」


「どこも似たような状況だ。他も急に開くかも」


「わかった。心構えはしておく。準備が整ったら何かわかるような形で合図をするよ」


「急いでくれ」


 大至急のマリア案件が発生した。

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