第76話 芋虫とバッタ
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男はへなへなと崩れ落ちた。
刃を男の首から離さないようにしながら斥候は男の手から手綱を取り返した。
ぼくと一緒にいたもう一人の斥候が素早く近づき男を後ろ手に縄で縛った。
縛りながら「馬盗人は縛り首だ」と男を脅す。
ぼくたちは男を家の中に引き入れ室内にランタンで明かりを灯した。
男を椅子に座らせテーブルを挟んで、ぼくと斥候の一人が前に座った。
男を逃がさないように男の後ろにはもう一人の斥候が立った。
男は三十代だろうか?
明らかに痩せこけているので見た目では年齢がよくわからない。
顔は頬骨が浮き手足は骨と皮だけのように細く服の上からでも肋骨の隆起が目立つ。ここが墓場ならば捕獲ではなく
テーブルの上には朝になったら温めなおして食べるつもりで夕飯の煮込みが入った直径二十センチ弱の片手鍋が置いたままになっている。具材はいつもの干し肉と薬草だ。
冷めているし蓋もしてあるのでそんなに匂いはしないはずだが男の目が鍋に釘付けになっていた。ぎゅるぎゅると男の腹の虫が鳴いている。
「もしかして満足に食べられていないのか?」
ぼくの隣の斥候が鍋の蓋を開けると煮込みを一杯椀にすくって匙と共に男に差し出した。
縛り首なんて厳しいことを言っておきながら優しい声で食事を与える。要するに飴と鞭だ。
ぼくたちは男ががつがつと煮込みを食べる様子をじっと見守った。
男は勝手にお代わりをして二杯目の煮込みを食べ終えてから一息ついた。
「もう一度訊くが満足に食べられていないのか?」
ぼくの隣に座る斥候が男に訊いた。
「ずっと虫しか食っていない。肉なんか久し振りだ」
「ここにくるまで廃村しか見なかったがアルティア神聖国では何かあったのか?」
「あんたたちはこの国の人間じゃないのか?」
「探索者だ。依頼の関係で来た」
男は斥候の言葉をそのまま信じたというわけではなさそうだったけれども、それについては何も言わなかった。男は廃村化の理由を話した。
「五年位前に凄い雪が降った年があっただろう。それまでももともとあまり十分ではなかった国からの配給が途絶えがちになった。国都に行けばまだ炊き出しが見込めるらしいが国都から離れた町や村には配給が途絶えて食い物がなくなった。雪に閉ざされ春になったら蒔くはずの種籾や種芋にも手を付け家畜に手を付け、まだ動ける者から国都を目指すと言って村を捨てた。少なくともここはそうだ。どこもそんな感じだろう」
五年位前というとぼくはまだ実家で暮らしていたけれども、そんな凄いというほどの雪を経験した覚えはなかった。けれども、アルティア神聖国ではそうだったのだろう。
『神の
収穫物は一度国の役人が回収して家族の人数に合わせて配給物として配られる。
集められた収穫物の中から農作業とは無関係な国都の住人や軍、政府関係者、王室や貴族等の取り分が抜かれていく。アルティア神聖国から大聖堂への献上分も含まれていた。
けれども大雪で食料や燃料の配給が見込めなくなったため闇行為ではあるが自分たちで狩りをして食料を確保したり木々を伐採して燃料を確保せざるを得なかった。
そのために『
種となる籾や芋、家畜まで失ったため国全体で翌春以降の収穫量は激減、収量減に比例する以上に配給量も減らされ、どこも食うや食わずになり、さらに種や家畜に手を付けるという悪循環に陥ったようだ。結果廃村。悪循環のスパイラルは現在も続いていた。
「俺も食いっぱぐれのない軍隊にでも入ればよかったよ。他国から食料を輸入しようにもアルティア教を嫌う出来損ないの獣人どもが幅を利かせているから話が進まないらしい」
そんな話が本当にあるのだろうか?
輸入を考えるならば輸送費が少なくて済む隣国にまず打診をするだろう。
王国に食料の輸出を断られたから宣戦布告?
ぼくは前方にいる男の後ろに立つ斥候に目で訊いた。
『そうなの?』
斥候は首を小さく横に振った。
『そんな打診はない』
「あんたはなぜまだ村に残っているんだ? 国都なら炊き出しが見込めるのだろう?」
ぼくの隣の斥候が男に訊いた。
「村の連中が国都に行くと言い出した時、俺は怪我をしていて動けなかった。治り次第追いかけるつもりだったが代わりに無理をした妻が今は伏せっている」
「夫婦二人だけか?」
「娘が一人いる」
親子三人で虫しか食べ物がないなんてどんな地獄だ。毎日芋虫とバッタばかり。
「それで馬を盗んで奥さんを国都まで運ぼうとしたの?」
ぼくは男が馬を盗もうとした理由に思い至った。歩けない奥さんを荷馬車で運ぶためだ。
「腹一杯肉を食わせてやりたかった」
ぼくが思ったのとは違う理由だ。
「頼む」
男は椅子を離れると床に手と足をつき頭を下げて、ぼくたちに土下座をした。
「俺一人だけ食っちまったが何か食べる物を妻と娘にもめぐんでくれ」
ぼくたちは三人で顔を見合わせた。
食料ならば三人で『
とはいえ分けてあげられるような余裕はない。
切り詰めれば何とかなるだろうか?
それとも帰りの分は『
男の家族は飢え死に寸前だ。
例えいくらか食料を分けたところで、この村で暮らしている限りこの先も配給は見込めず奥さんの治療もできずで先行きはないだろう。少なくとも冬は絶対に越せない。
どうにか村の人たちを追って国都に行くしかないのではないか?
でも、その前に、そろそろ夜が明ける。
「あなたが今ここに来ていることを奥さんと娘さんは知っているの?」
ぼくは訊いた。
「いや。寝ている間にこっそり来たから」
「じゃあ、目が覚めてあなたがいなかったらびっくりしますね。他にも食べ物を分けてあげられるかはわからないけれども、とりあえずこれをお持ちください」
ぼくは立ち上がるとテーブルの上の鍋を手に取り土下座をしたままの男に差しだした。
男は両手で鍋を抱いた。冷めているので抱えても問題ない。
「ありがとうございます。俺の家はこの先の」
男は涙を流しながら自分の家への行き方を説明しようとした。
「わかっているから、もう行け」
ぼくの隣の斥候が答えた。
もともとこの村には人がいる痕跡があると、ぼくたちは気づいていた。
とはいえ、さすが斥候。既に男の家の場所まで把握していた。
男は立ち上がり、男の後ろにいた斥候が脇に避けて、男は家を出た。
外は、まだ明るくなり始めだ。
「ありがとうございます」
男は大事そうに鍋を抱えたまま、ぼくたちに深々と頭を下げた。
「後で訪ねて行きます。転ばないように気を付けて」
ぼくは去っていく男の背中に声をかけた。
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