第70話 宣戦布告

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「だとすると、ぼくは『半血ハーフ・ブラッド』は王国侵略に参戦しないなんて嘘をついて王国に油断をさせようとしているわけですね。とんだ売国奴だ」


 ぼくは、ふざけた言いかたをして場を和ませるつもりだったが士官はにこりともしなかった。


「正直な話をするとアルティア神聖国の考えが我々にはわからない」


 士官は笑わない顔のまま言葉を続けた。


「実は昨日未明さくじつみめい、アルティア神聖国から王国内のアルティア教会を経由して王国に対して正式に宣戦布告をする文書が届けられている」


「え!」


 ぼくは声を上げた。


 士官は、やはりにこりともしなかった。


 ぼくが驚いている様子を冷静に見つめている。観察者の目だ。ぼくの驚きが本物か偽物かを見極めようとしているのだろう。


 ぼくがアルティア神聖国の間者ならば、当然、宣戦布告の事実を知っているはずだ。


 アルティア神聖国の国教であるアルティア教は世界的に、特に裸猿人族ヒューマンにとってはメジャーな宗教だ。


 信者はアルティア神聖国内だけでなく世界各地に住んでいる。


 したがって、アルティア教の教会は世界の様々な国や都市にあった。ぼくが住む王国の王都にもある。その教会間のつながりを利用してアルティア神聖国は王国へ宣戦布告文書を届けたのだ


 アルティア神聖国はアルティア教の発祥地であり開祖アルティアが生まれたとされる聖地がある国だ。


 聖地にはアルティア教で最高位とされる大教皇が住むアルティア大聖堂が存在した。


 アルティア大聖堂のある都市はアルティア神聖国の国都でもあり王城があり王が住んでいる。


 アルティア神聖国の王とアルティア教の大教皇は別人だ。


 あくまで王国に宣戦布告をしたのはアルティア神聖国であってアルティア教会やアルティア教そのものとは別物である。建前上は。


 アルティア神聖国は各国に教会という伝手を持つアルティア教にお願いして、ぼくたちの王国に対して宣戦布告の文書を届けたという手筈になっている。


 もちろんアルティア教会側は文書を届けただけであって文書の内容が宣戦布告であったなんて思いもよらないはずだ。


 だから王国は表立っては王国内のアルティア教会やアルティア教徒を害せない。

もちろん大半の教会関係者も教徒も本当に無関係に違いないのだけれど。


 とはいえ、実際には大教皇とアルティア神聖国の王の関係は密接でアルティア神聖国の王の即位には大教皇による祝福と承認が必要とされている。


 ある意味、アルティア神聖国の実質の王は大教皇だ。アルティア神聖国王が独断で、ぼくが住む王国に対して宣戦布告をしたとは考えられない。


 ところで、宣戦布告が行われた昨日未明というと、ぼくたちとオークとアルティア兵が戦った晩の明け方ということだ。


 もう階段は崩れ落ちてオークも全滅して、ぼくたちとアルティア兵は途切れた階段を挟んで睨み合うだけになっていた時間帯である。


 階段が使えなくなったので宣戦布告を中止するように、という緊急連絡が崖下のアルティア兵たちからアルティア神聖国の軍本部へ送られなかったのだろうか?


 いや、そういう問題じゃない。


 宣戦布告の文書は王国内にあるアルティア教の教会から王国の外交窓口に届けられたそうなので、だとすると階段が崩れた事実を崖下から本部へ連絡したところで王国内にあるアルティア教会への中止の連絡は絶対に間に合わない。文書は事前に準備されて教会に届けられているため予定通り宣戦布告がされるはずだ。


 問題は階段云々による宣戦布告の中止か実施かではなくて宣戦布告当日であるはずなのに奇襲部隊である一万人のアルティア兵たちが、のんびり崖下に留まっていたという事実のほうだ。


 ぼくが見た際、アルティア兵たちは、まだ防御陣地の拡充などをしていた。


 アルティア神聖国は王国が気付いていない『長崖グレートクリフ』の崩落を知り崖上へあがる階段の設置に成功しているのだから奇襲のためにも宣戦布告が行われるまでには事前に全軍を崖の上にあげていてしかるべきだ。


 理屈上は宣戦布告をしてからの越境という段取りかも知れないけれども、そもそも崖上の木を切り倒して陣地を構築しているのだからアルティア兵は既に国境を侵犯していた。


 なんだったら部隊を王国内に密かに潜入させておきアルティア教会が王国に宣戦布告の文書を届けるタイミングに合わせて同時に襲い掛かるぐらいのことはできるはずだ。せっかくの奇襲のチャンスを生かすならば、それくらいはするべきだった。


 そのような段取りで、もしアルティア兵が動いていたならば、ぼくが駐屯地に一報をもたらしたタイミングで王国が軍隊を派遣したとしても、すでに手遅れになっていた可能性が高い。まだ、宣戦布告が行われる前の激突になっただろうけれども駐屯地から派遣された王国軍は崖上にいる一万人のアルティア兵に一蹴されてしまっただろう。


 にもかかわらず実際には、ぼくたちがオークと襲撃を仕掛けた時点でアルティア兵の大半は崖下にいて崖上には見張りが立っているだけだった。


 オークの襲撃に対しては、もちろん反撃や防衛をしていたけれども進入路となる階段を失ったにもかかわらず、既に王国へ宣戦布告をしたのだからと我武者羅がむしゃらに崖上に登ってこようというような気概はアルティア兵からはまったく感じられなかった。


 金属製の認識票ドッグタグを返す際にも緊迫したやりとりはない。


 アルティア兵の行動は階段をどうにか直してでも攻め上ろうとか階段がなくても何が何でも登ろうといったものではなく、階段が壊れて登れなくなったならば仕方がない、むしろやらなくてすんだぐらい思っていそうな、やる気のなさだった。上官に対するアリバイ作りのつもりだけで階段に立ってすらいそうだ。


 当のアルティア兵たちは宣戦布告を知らなかったのではないかと勘繰りたくなる。


 まさか!


 だとしたら、確かにアルティア神聖国が何を考えているのか、ぼくにもわからない。


 一兵卒は作戦開始のタイミングを知らされていなくても指揮官は知らされているだろう。何らかの対応を取るはずだ。


 ただし、わかったこともある。


「既に宣戦布告がされているのだとしたら、やっぱり『半血ハーフ・ブラッド』は参戦してないじゃないですか。前面にいませんよ」


「だから尚更アルティア神聖国の考えがわからないんだ。ならばなぜ、各国から居留地に『半血ハーフ・ブラッド』の部隊を呼び戻した?」


「ここ以外の別の戦場の様子はどうなのですか?」


「我々の駐屯地からは団長の部隊が直近の国境線まで出ているが今のところ何もない。他の駐屯地の部隊も似た状況であるようだ。アルティア神聖国は宣戦布告をしただけで攻撃はしてきていない」


「その宣戦布告自体が誤報なのでは?」


「しかし、王都のアルティア教会を経由して届いた正式な文書だぞ」


「じゃあ教会が嘘つきなんだ」


 士官はハッとした顔をした。


「そんなことがありえるのか?」


「ぼくに聞かれてもわかりませんよ。それで戦争はどうなるんです?」


「我々は国境の防備を固める。アルティア兵が襲って来れば撃退することになるだろう。こちらから攻めていくことはない」


「じゃあ、もう、ぼくは帰らせてもらっていいですか? ぼくが『半血ハーフ・ブラッド』のバッシュだとしても『半血ハーフ・ブラッド』は参戦してませんし」


 士官は首を振った。


「君は善意の第三者かも知れないしアルティア神聖国の間者かも知れない。どちらであっても良いように対応するのが我々の役割だ。終戦までゆっくりしていってもらいたい」


 まあ本当に帰らせてもらえるとは思っていなかったけどさ。


 それから三日後。


 崖下のアルティア兵たちが一斉に撤退した。


 ぼくはテントに軟禁状態だから撤退の様子を自分の目では見ていない。


 結局、戦端は開かれなかった。


 士官がやってきて、ぼくに言った。


「『半血ハーフ・ブラッド』がアルティア神聖国に対して居留地の独立と建国を宣言した」

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