第8話 令嬢から飯屋の娘へ
ミアは飯屋ゴラで働き始めた。
城下町の商店街通りに会って、午前と、夕方から夜まで空いている店だ。
お酒も出しているので、夜になると酔っ払いが多くたむろしていた。
「ミア! ちんたらしていないで、これを運んで頂戴!」
女将さんがそう怒鳴ると、ミアは慌てて駆け寄った。
「すみません、女将さん」
「あんたは本当に愚図だね! もっとテキパキ動けないのかい?」
ため息とともに料理を渡される。
「すみません……」
ミアは渡された食事を運んだ。
この飯屋ゴアはいわゆる大衆食堂だ。
人気があるようで、客はひっきりなしにやってくる。
「お姉ちゃん可愛いねぇ。あまり見ない顔だが、ここら辺の子かい?」
「綺麗な顔立ちしているな。お前ならこんなところで働かなくても、男を取ればやっていけるだろうに」
下卑た笑いで酔っ払いたちが絡んでくる。
男を取れば……。
働き始めて何度も男たちに言われたセリフだ。
初めはどういう意味か分からなかったが、要は男と寝てお金をもらう仕事をしたらどうかという意味だと知った。
初めは腹を立てていたが、今では忙しさが勝って、そんな声掛けも流せるようになってきた。
「ミア、これを食べたら買い物をしてきてくれ」
女将さんに昼食を渡される。
明らかに午前の残り物で、量も少ない。
しかし、三食食事付きで住み込みで働かせてもらっているのだから文句は言えなかった。
「返事は!?」
「はい!」
ミアは急いで奥へ行くと、かき込むように食事をする。
今まで、お腹いっぱい優雅に食事ができていたことが夢の出来事だったのではと思うくらいだ。
食べると、言いつけ通りに買い物へ出た。
お釣りは一銭も間違ってはいけない。
ちゃんとお釣りを確認をして買い物が終わると、雨が降ってきた。
「大変、急がなきゃ!」
ミアは小走りで飯屋ゴアに戻る。
少し濡れてしまったが、気にしていられなかった。
「遅いよ! お金、ちょろまかしたりしていないだろうね?」
「もちろんです」
女将さんは細かくお金のチェックをする。
お金に関しては一番厳しいのだ。
ミアも住み込みなのだからと、給料はかなり低い。
しかし、働けるだけましだろうと思っている。
ミアは雨に群れた体を軽く拭くと、すぐに夜の営業に向けて準備を始めた。
毎日バタバタで忙しい。
あっという間に営業時間が終わり、深夜になってホッと一息がつけるのだ。
「今日は星が綺麗……」
寝る前になると、いつも部屋から空を見上げる。
この空はカラスタンド王国と繋がっている。
もしかしたら、クラウが見ているかもしれないと思うと眺めずにはいられなかった。
「クラウ様……、今頃何をなさっているんだろう……」
そう呟いたところで、クラウの耳には届かない。
(駄目ね、ミア……。いつまでもクラウ様を思い出してばかりいても辛いだけなのに……)
しかしこのひと時がミアの癒しでもあった。
――――
その日、ミアはとても疲れていた。
女将さんの機嫌が悪く、連日休む暇もなくこき使われ続けていたのだ。
営業後の片付けもやらされて、睡眠時間も減っていた。
「ミア、買い物!」
「はい」
買い物かごを渡されて、ミアはメモを見ながら商店街へと向かった。
「えっと、頼まれたものは……」
お店の店先で、メモを見ながら商品を選んでいる時だった。
耳の奥がキィンとなって、視界がぐらりと歪んだのだ。
「あっ……」
「危ないっ!」
めまいを起こし、倒れそうになったミアをちょうど後ろを通りかかった男性が支えてくれた。
「大丈夫ですか?」
上質な服を着て、眼鏡をかけた年配の男性だった。
ミアの肩をしっかりと支えてくれる。
「すみません、少しめまいが……。もう大丈夫です」
「無理なさらず。家まで送りましょう」
「いえ、そんなご迷惑をおかけできません。私は大丈夫なので……」
「まだフラフラしていますよ。遠慮なさらずに」
男性はミアを支えながら店まで送ってくれた。
「ここで働いているんです。本当にありがとうございました」
「いえいえ、ご無理なさらないでくださいね」
男性はにっこり微笑んで店から離れた。
すると、店の入り口で女将さんが怒鳴った。
「ミア! 買い物はどうしたんだい! 本当に愚図だね、あんたは! もういいよ!」
「すみません、女将さん」
そのやり取りが聞こえて男性はハッとして振り返った。
しかし、店先にはミアも女将さんも誰もいなかった。
数日後。
夜の営業がこれから始まるので、ミアは店先の掃き掃除をしていた。
すると……。
「ミア?」
通りから声をかけられて顔を上げる。
目の前に止まった馬車の窓から、サラサがこっちを見ていた。
「お姉……、サラサ様……、どうしてここに?」
うっかりお姉様と言いそうになって名前に言い換える。
ミアはもうレスカルト家と関りはない。
一般人が公爵令嬢――……、今ではマハーテッド公爵夫人になったお方を気軽にお姉様と呼ぶことも失礼に当たるのだ。
「カズバン様がすぐそこの高級料理店で会談していらっしゃるの。それを迎えに来たのよ。そんなあなたこそ……。ププッ、何しているの? ここで」
サラサは馬車から降りると、ミアを全身舐めまわすようにじろじろと見て笑った。
その蔑む様な目線に、ミアは顔が赤くなる。
「こんなところで働いていたのね。まぁ、あなたにはピッタリなんじゃない?」
ミアは黙って俯いた。
(蔑むために、わざわざ馬車を降りて目の前に来たの……?)
関与しないといったくせに、こういう時だけ笑いものにするのかと泣きたい気持ちになった。
「せっかくお父様にマリージュ学院を出してもらったのにねぇ。学費の無駄だったわね。まぁ仕方ないわね、愛人の娘には公爵家は高根の花だったのよ。あなたにはこういうところが一番似合っているわ」
くすくす笑いながら嫌味を言うサラサにミアは唇を噛むしかできなかった。
すると、女将さんが店から出てきた。
「ミア! いつまで掃除をしているんだい! 店を始めるよ!」
「女将さん……」
「おや、誰だい? このお姫様は」
ミアが着飾ったドレスを着たサラサと話をしているのを、女将さんは目を丸くして驚いた。
明らかに身分違いである。
「えっと……、マハーテッド公爵夫人のサラサ様です」
「マハーテッド公爵夫人!? この方が?」
女将さんの驚き様に、サラサはにっこりと微笑んだ。
マハーテッド家は王族の親戚だ。
知らない者はいない。
すると、サラサは悲しげな声で言った。
「この人が私に埃をかけたものですから、注意をしておりましたのよ」
「え……」
突然の嘘にミアは言葉を失う。
それを聞いた女将さんは顔を赤くしてミアを叱った。
「ミア! あんたなんてことをしてくれたんだ!」
「違います、私は……!」
「あぁ、言い訳なんか聞きたかないね! あんたは本当に愚図だ! 雇うんじゃなかったよ! クビだ、クビ!」
「そんなっ……!!」
女将さんが大声でクビにすると宣言した。
ミアは真っ青になり、サラサはほくそ笑む。
(クビだなんて……、そんなことになってしまったらどうやって生きていけばいいの?)
絶望感でいっぱいになった。
すると、後ろから声が聞こえた。
「では、彼女はもらい受けます」
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