第20話 アイドル、相田花蓮

 大きな瞳に、短い黒髪も良く似合う。リボンもカチューシャもヘアピンも、飾り一つついていないシンプルな髪型があどけなくて可愛らしい。実に動きやすそうな、ショートパンツとTシャツというラフな姿も、さりげない露出が見えてどきりとする。

 けれど――。

 三日前との変化に、戸惑ってしまう。


「……髪切ったんだ」

「……」

「えっと、その、似合ってるよ」

「……」


 雛乃の瞳は、僕を見つめていた。僕はその視線に耐えきれなくなり、斜め下に目を向けた。埃一つ落ちていない床は、つるつると輝いていた。視線を下に向けたまま、あたりをそれとなく観察する。開店前の109は、店であるはずの部分にシャッターが降りており、二台のエレベーターと非常用らしき鉄の扉だけが見えた。


 時間が過ぎていく。開店を待つために、三人組の女の子が自動ドアを潜った。僕は雛乃から近ず離れずの距離に立ち続け、気まずさを感じていた。誰か知り合いでも来ないかしらと考えて、ひょっとしたら都さんが来るかもしれないと思った。

 自動ドアが開く音。


 期待を込めて視線を向けると、見知らぬ男が立っていた。浅めに野球帽をかぶり、半袖のパーカーとチェーン付きの長ズボンを履いている。いわゆるストリート系のファッションだ。顔立ちはかなり整っており、ああきっと彼女とでも待ち合わせしているんだろうなと思った。


「……おまえらか」


 そんな男前が、何故か僕らを見てそう言った。それどころか、歩み寄ってきて程よい距離で立ち止まった。


「よおルーキー。お前らは知らないだろうけど、このゲームは基本的に後腐れなしだ。前のゲームのことは水に流して、次のゲームに集中する。感情論で動いて、俺に迷惑をかけるなよ?」


 淡々とした口調で、男はそんなことを言う。そして、僕はそこでようやく気がついた。


「ジミィさん!?」

「なんだ、気づいてなかったのか」


 やはり淡々と彼は言う。クールな雰囲気。見た目も、それに合わせて洗練されているようだった。身にまとった気配が違うとでも言えばいいのだろうか。とにかく、初めて会ったときのジミィとは別人のようだった。良く見れば顔は何一つ変わっていないのに、だ。

 腹がジリリと痛む。

 こいつのせいだ、と僕は思った。

 こいつのせいで、僕は雛乃に手をかけた。こいつに騙されたせいで、僕は、僕は……っ。


「みるく」


 ジミィは雛乃の方へと向き直り、彼女のHNを呼んだ。「はい」とか細く彼女は返事をする。少しだけ、警戒心のこもった瞳だった。


「相変わらず、可愛いな」

「へ!?」


 一瞬、雛乃の顔が赤く染まる。そんな筋合いもないのに、僕はムッとした。


「あなたこそ、相変わらずの女好き……ね」


 背後から良く通る声がした。振り向く。いつの間にか、女の子が立っていた。服装はシンプルな黄色のワンピースで、丈が短く動きやすそうだった。僕より頭半分低いその身長の女の子は――


「え? 相田花蓮……?」


 艶やかなボブカットの髪に、小さな桜色の唇。白い肌に、微かに色づいた頬っぺた。それはまさに、テレビ画面の向こうの花蓮そのものだった。しかし――くりくりとした瞳だけは、やる気のなさそうな半目だ。


「ふへ? 花蓮?」

「あーっ! ホントだ!?」


 ワッと騒がしくなる。開店待ちの女性三人に、花蓮はあっという間に囲まれてしまった。


「きゃーっ。ほんっと可愛い!」

「あのあの、花蓮ちゃん、サイン貰ってもいい?」

「……かまわない……よ」


 ぽつりと返事をする花蓮に、「ファンの前では愛想良くしろよ」と文句のようにジミィが言った。その言葉を受けて、花蓮はカッと目を見開いた。くりくりとした、大きな瞳。それは、テレビ画面のままの輝く可憐なものだった。


「いつも応援してくれて、ありがとうね! あたし、とっても嬉しいなぁ~」


 テレビの中の口調。

 三人組の女性が、感激したとばかりに身体を揺らす。先ほどまでの愛想ない態度も受けていたはずだが、そんなことは彼女達の脳内からすっかり追い出されてしまったらしい。


「花蓮ちゃん、これからも応援してるからね!」

「あのあの、ハグしてもらってもいい?」

「あっ。ズルい! 私もハグーっ」

「うん。いいよ! 特別だからね?」


 花蓮は笑いながら、ぎゅーっと三人に抱きついた。小さな腕では抱えきれていなかったが、三人は満足したらしい。ハグが終わっても、花蓮は解放されなかった。質問攻めにあっている。にこやかにそれにこたえているが、段々と目が閉じてきた。七分ほど瞳が閉じかけたところで、ジミィが割って入った。


「すいません。花蓮も疲れていますので」


 まるでマネージャーのようなことを言う。三人組は常識人だったらしく、頭をさげ感謝を述べて花蓮から離れた。


「ほら、行くぞ」


 そして、ジミィは勝手に歩き出した。扉を開けて、中に入る。花蓮もついて行った。僕は迷った後、なんとなく彼らの後を追う事にした。勝手について行ったが、文句は言われなかった。扉の向こうは階段だった。しっかりと扉はしめたが、まだ興奮冷めやまぬ三人組の嬌声が、断続的に聞こえてくる。


「ふーん。こんなふうになっているのか」

「疲れた……」

「いつもはもっと気を張ってるんだろ。ファンサービスぐらいで疲れるのか?」

「……疲れる。ファンは疲れる……」


 これが、あの相田花蓮なのか。

 僕は少しがっかりした気持ちを抱いた。それにしても、この二人は一体どんな関係なのだろう?

 不思議に思っていると、花蓮がポケットから黒い携帯電話を取り出した。


「あ」


 ゲームの参加者であるという証。ジミィはこのゲームに慣れているようだった。つまり二人はこのゲームで、闘ったことがあるという……そういうことなのだろう。

 ギィっと扉が開いた。振り返ると、雛乃がこちらにやって来たようだった。一人で待つ判断を止めたらしい。


「なんだ。結局全員着いてくるのか。なるほどな」


 ジミィがしたり顔で頷く。何かを考えるような仕草まで見せて、一人で頷いていた。……こいつは、また何かをたくらんでいるのだろうか。


「……花蓮さんも、このゲームの参加者なんですね」


 雛乃が言うと、花蓮は半目をすいっとそちらに向けた。


「……名前……」

「あ、みるく……です。よろしくお願いします」

「……【♪(おんぷ)】」

「あー。こいつのHNな。音じゃ分からないと思うが、記号なんだ」


 ジミィが空中で♪のマークを描いた。漢字だったりカタガナだったりひらがなだったり、統一性がないとは思っていたが、記号というパターンまであるとは。


『りりりりりりりりりん!』


 電話が鳴った。四人が一斉に、黒い携帯電話をいじりだす。画面には、


『全員集合しました! バトル開始までのアナウンスをお待ちくださいっ』


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