第二章 LYRIC

第8話 許せない

 白い光に包まれていた。

 光はだんだんと弱くなっていき、視界が色づいていく。がやがやという喧騒が耳に触れる。開けた視界に、せわしなく歩き続ける町田駅の人ごみが飛び込んできた。


「あ、あれ……?」


 僕は立っていた。振り返ると、例の『13番』のロッカーが蓋を開いて待っていた。中身は空っぽで、金のプレートが扉に差し込まれたままだった。百円玉も、置かれたままだ。手元に視線を落とす。黒い携帯電話を、僕は握りしめていた。


「……夢じゃない?」


 背筋がぞっとした。自分の命が絶たれた瞬間を思い出し、肩を震わした。がちがちと不愉快な音がした。それが僕の出す噛み合わない歯の音であると気づいたとき、再びぞっとした。


「雛乃――」


 そんな中、ひとりの少女の顔を思い出した。獅子川雛乃。僕が、あのとき――


「う、ゥゲええええええェェェ」


 しゃがみこんで嘔吐した。胃の中にあった食べ物が駅構内の床へとばらまかれる。つんと鼻をつく酸っぱい臭いに僕は再び気分が悪くなった。そんな僕を指差しているのか、声が聞こえる。


「何あの人吐いてるの?」

「きったねー」


 こんな状況だというのに、腹の中がムカムカとした。しかし嘔吐は止まらない。そんな中、ふわっと背中に暖かい感触が訪れた。


「大丈夫ですか?」


 優しい声と共に、ゆっくりと暖かさが上下する。どうやら背中をさすってくれているらしい。不覚にも、涙が浮かんできた。見ず知らずの嘔吐少年を介抱してくれるこの人は、きっと天使に違いない。


「あの……ありがとうございます」


 一通り吐き終え、首元を軽く袖で拭いながら僕は振り返った。そして、大きく目を見開いた。目の前の彼女も同様だった。


「…………」

「…………」


 言いようのない沈黙の時間が訪れる。僕の元へと舞い降りた天使は、ふわぁとカールしたセミロングの金髪をもった少女だった。頭には、派手な色のカチューシャを身につけている。そして彼女の瞳は、深い森の中を思わせる、モスグリーンだった。

 ぱちくりと。

 神秘的な色合いの瞳を彩る、長いまつげが上下する。そして彼女は――


「あああーーーっ!!」


 叫んだ。一斉に、町行く人の視線が突き刺さる。しかしそれは一瞬で、すぐに興味をなくしたように目を背ける人が大半だった。


「ちょ、あの!?」

「あああああ! あ、あの! あな、あなたは! う、うわあ……っ」

「あの、とにかく落ち着いて!」


 僕は少女の肩を慌てて抑えた。その拍子に、口元に残っていた吐瀉物が彼女の白い頬にはねた。


「う、うわああああああッ」


 少女の瞳が、ぐるぐると回る。彼女は暴れながら、僕の両手を振り払った。


「汚いですわ!」


 彼女はパチンっと、僕の右頬を平手で叩いた。言われてみれば、彼女を抑えた腕にもゲロがついているんだった。さっき袖で拭ってしまったから。


「ご、ごめん! ほんとにごめんなさい!」


 右頬の痛みを感じながら、頭を下げる。低姿勢な僕を見てか、少女はだんだんと荒い呼吸を下げていった。


「……あなた、さきほどのゲームの参加者……ですわよね?」


 落ち着きを取り戻した少女が、最初に口にした言葉はそれだった。僕は頷いた。


「あのゲームの参加者と、こうして外で合うのは初めてですわ」

「……そうなの? ねえ、君はどれくらい、あのゲームをやっているの?」

「……今日で、三回目でしたわ」


 少し考えてから、彼女はそう口にした。どこかしら、警戒心のこもった口調だった。


「僕は、あのゲームに初めて参加したんだ。ねえ、知ってることを教えてくれないかな?」


 それは、とっさに出た言葉だった。暗闇のそこに垂らされた蜘蛛の糸に、反射的に手を伸ばすようなものだ。


「…………」

「頼むよ!」


 頭を下げる。


「ごめんなさい」


 突き放す声が聞こえて、この場を足早にさる音が聞こえた。顔をあげると、ふわりとスカートを揺らしながら走る少女の後ろ姿が映った。

 唇を噛み締める。このわけの分からない状況に、いったいどう対処していいのか分からなかった。

 そのとき、ポケットで振動が起こった。同時に、メッセージアプリの着信音。

 僕はポケットから自分の携帯電話を取り出した。雛乃から、メッセージが入っていた。


『許せない』


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