第五話

「なんだとッ! アシュリーが脱走しただ!?」


 夜遅くに執事がもたらした報告は、気分良くワインと女をたしなんでいたマルクスの興を完全に削ぐものだった。

 手にしていたグラスを精緻せいちな刺繍のカーペットに叩きつけると、派手な音で砕け散り赤いシミを作る。


「ひっ……」


 服をはだけさせていた女が悲鳴をもらす。怒りに任せてグラスを叩き割る光景を目撃したことで、すっかり怯えていた。

 いつものを溶かしたワイングラスは、女の手の中で小刻みに震えている。決して安くはない値段だが、今日は仕方ないと判断して幾ばくかの金を握らせると、今見たことはすべて忘れるよう固く口止めして退席させた。


「よろしいのですか?」

「構わん。もし下手な真似をしたら、いつものようには頼む」

「はっ、かしこまりました」


 女を追い出して扉を閉める。気分を鎮めるため、新しいグラスになみなみとワインを注ぎ入れた。


 城内で外見がいい女を見つければ、その都度対象を甘い言葉で寝室に連れ込むのが日課になっている。一度で終わる関係もあれば、気まぐれに一月は持つ関係もある。

  

 共通して言えるのは、少しでも俺との関係を匂わせるような言動をした女は、もれなく〝行方不明〟になるということ。


 全て執事兼暗殺者のキリトに任せておけば、素人の暗殺など朝飯前のものだ。全ては次期国王の座を約束された俺にとって、大した問題ではない。

 そのキリトが信じられないことを口にするものだから、思わず取り乱してしまった。


「処刑日は二日後に迫っているというのに、なんたる体たらくだ」

「仰るとおりです。しかも現場の守衛たちの勝手な判断で、情報は秘匿扱いされていました。どうやらマルクス様の耳に入る前に、自分たちで解決しようと試みたようですね」

「チッ、そいつ等全員始末しておけ。それでいつ脱走したんだ」


 しかし、そもそもあの地下牢からどうやって抜け出したというのか。奇跡的に牢獄を抜けたとて、城内には監視の者が彷徨いてるというのに。珍しく頭を動かしていると、キリトは淡々と答える。


「それが、裁判の判決が下った翌日には既に脱走していたようです」

「馬鹿なッ! それでは今ごろアシュリーの行方は!」

「今から痕跡を追うには、二日後の処刑まで時間が足りません。それと、アシュリーの脱走を幇助ほうじょした人間の存在も発覚しています」


 やはり共謀者がいたかと納得したが、いったい何処の命知らずな馬鹿の仕業なのか。度数の高さも忘れてワインを一気に飲み干す。


「そいつの名は」

「ドラムという男です。ご存知では?」

「ドラムだと? 下々の名前などいちいち覚えていない」

「以前、マルクス様が随分と御執心だった女性の父親ですよ。娘の名はモニカだったかと」

「モニカ……ああ、そんなバカもいたな」


 かつて俺を拒んで、薬を盛って無理やり組み敷いてやった女の名だ。いい女だったが、最後は首をくくって自殺したと記憶している。その父親といえば忘れもしない――俺に楯突こうとした罰として、二度と戦場に立てない体にしてやった惨めな男ではないか。


「まさか、俺への復讐で手を貸したとでもいうのか」

「そう愚考致します。して、いかがなさいますか」

「そうだな。ザガインに今すぐ使者を送れ。絶対に逃げられないことを教えてやる」


       ✽✽✽


「そんな、お父様とお母様が私の代わりに処刑ですって!?」


 地下牢から脱出した私は、協力者のドラムと共に身を隠していた。全てはマルクスに復讐を果たすため、その機会チャンスが来るのを待っていたのだが、急遽ザガインにいるはずのお父様とお母様の処刑が執行されると広く国民に伝えられた。


「マルクスめ……ありもしない罪状を二人に被せてお前を誘い出すつもりだな。完全に皇太子の権限を逸脱してるぞ」

「あいつに権限なんて関係ないわ。この世の全てが自分のものだと考えてるんだから」

「しかし、処刑は今日だ。それまでに声をかけた協力者が動いてくれなければゲームオーバーだぞ」


 現在ドラムの伝手を使って、マルクスの悪事を立証できる複数の人物に声をかけている。

 だが、マルクスを裏切ることはユースティア王国に反旗を翻すことに繋がる。そこまでの胆力があるものがいるかどうかが、最大の懸念だった。


「もはや悩んでいても事態は好転しないわ。処刑まではあと何時間?」

「あと……一時間だ」

「そう。ねえ、ドラム」

「なんだ」


 護身用に渡されていたナイフを鞘から抜き出す。鈍色に光る刃には思い詰めた自分の顔が映っている。

 いざという時は刺し違えることも辞さない覚悟を決めて、再び鞘に戻す。


「もしもの場合、私と一緒に死んでくれる?」

「ああ。マルクスへの復讐が果たされるのなら、はなからそのつもりだ」


 無言で頷くと、ローブを羽織って処刑が行われる予定の広場へ向かった――。

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