第二話

 額に感じる冷たさに目が覚めた。ずきずきと痛むこめかみを押さえて上半身を起こすと、ふかふかのベットはどこにもなくて硬い床に直に横になっていた。


 次第に鮮明になっていく視界に映るのは、四方を囲む壁。正面には鉄格子と、その向こうには槍を手にした衛兵が立っている。そこで冷たさの正体に気がついた。

 手のひらに落ちてきたのは水滴だった。

 

「ここは……地下牢? どうしてこんなところに……ウッ」


 何が起きたのか理解が追いつかず、記憶を遡ろうにも酷い頭痛が邪魔をして、断片的にしか思い出せない。


「そういえば、あの紅茶を飲んでから調子が悪かったような……」


 ニナがいつものように淹れてくれた紅茶を飲んで暫くしてから、身体に異変が起きた気がする。

 城内で唯一気を遣わずに接していたニナが、仮に私のカップに毒を混入していたとしたら――一瞬でも親友を疑ってしまった自分を恥じてかぶりを振る。


「まさか、そんなはずないじゃない。きっと私の考えすぎよ。そこの衛兵ッ、何故私が地下牢に閉じ込められてるのか教えなさいッ!」


 十分声は聞こええるはずなのに、声をかけられた衛兵は何も聞こえてないとアピールするように直立不動の姿勢を崩さなかった。


 直接の主従関係はなくとも、次期国王の座に就くことが確実視されているマルクス皇太子の婚約者を、ぞんざいに扱う者などいなかった。ましてや末端の兵士が見ざる聞かざるを貫くなど、到底考えられない。


「そういえば、意識を失う前に誰かの声が聞こえた気がする……。あの声は……確か」

「なんだ、もう起きてたのか」


 咄嗟に顔を上げると、鉄格子越しに冷笑を浮かべて立っているマルクス皇太子の姿があった。

 ふらつく足取りでなんとか歩みを進める。鉄格子を掴んでここから出してほしいと強く訴えた。


「マルクス様ッ、何者かの策謀で、意識を失っている間にご覧の通り、地下牢に閉じ込められてしまいました。早くここからアシュリーを出してくださいまし」

「おっと、まだ何が起きたのか理解してないみたいだな。なあ、アシュリー。お前に毒を盛ったのは俺なんだよ」

「……はい? なにを仰ってるのか、わかりませんわ」


 そうだ。意識を失う直前に、確かにマルクス皇太子の声が聞こえたんだ。


〝やっぱりお前はいらないわ〟嘲りながら、私に掃き捨てて記憶が完全に蘇る。


「何故……何故このような真似をしたんですか? ニナは、ニナはどこにいるのですか!」

「ギャンギャン喚くな。お前の声はただでさえ耳障りなんだからな。オイッ」


 マルクスから声をかけられた衛兵は、私を残して持ち場を離れ、姿を消した。つまり、これから話す内容は外部に漏らしてはいけない類の話ということ――。


「なあアシュリー。顔だけが取り柄のイモ臭い田舎令嬢が、この次期国王の椅子が約束されている俺の妃になるなんて、おこがましいとは思わないか? 相手なんて選り取り見取り。甘い蜜に吸い寄せられて寄ってくるバカ女どもを好き勝手に食い散らすことだって自由なんだぜ」

「なにを突然……仰ってる意味がわかりません」

「ふん。相変わらずつまらない反応しかみせない女だな。まあいい」


 通路に置かれていた丸椅子に腰掛けると、優雅に足を組みながら「これから話すことが本題だ」と告げた。


「実はな、冷戦中の隣国に機密情報を横流ししてたのがユリウスにバレかけたんだよ」

「……なんですって?」

「だから、隣国ギドラントの役人に機密情報を横流ししたんだっつーの。良い小遣い稼ぎになったし、次期国王を選出する際には裏から手を尽くしてくれるというから、俺の権限で手に入るだいたいの情報は全て敵国に渡したんだよ。そのことが弟のユリウスに勘付かれてな、このままだと皇太子とはいえ、国家反逆罪で極刑を免れないと考えたわけよ」


 この男は大間抜けか? 呆然と聞くしかできなかった私は、すぐに地下牢に閉じ込められるに値する理由を思いついた。

 だが、それは考えうる限り、最悪なケースである。


「そこで死にたくない俺は考えた。だったら〝身代わりスケープゴート〟を準備すればいいじゃないかって」

「まさか、その身代わりに私を?」

「そうだ。婚約も最初からこのために仕組んだ罠さ。金に目がくらんだ婚約者が、敵国に取り込まれてスパイ活動をしていた。ありきたりな筋書きだが、丁度いいだろ」


 馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたけれど、まさかここまで拗らせているとは思いもしなかった。力なく笑っていると、マルクスは思い出したようにニナの名を口にした。


「お前に盛った毒は、ストレス解消に良いからと言ってニナに手渡したものだ。お前が意識を失ってパニックになったのか、それとも忠義心かは知らないが自室で短い遺書を残して、喉を切って自害したぞ」


 それじゃあ、裁判でまた逢おう。


 マルクスは甲高い笑い声を残して去っていった。

 嘘――ニナが、自殺した? 頭の中でナニかが切れる音がした。それが何なのか知る由もないが、自分でもゾッとするほど感情が死んでいくのがわかる。

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