2-20話 初めての街で

 …………………………

 

 …………………………………………。



 あれ……?


 なにが、あったんだっけ………………?






 ぼんやりとした視界が、ゆっくりと、開けてくる。


 光が、戻ってくる。


 朦朧としていた意識が、ほんのちょっとずつ、はっきりとしてくる。



 ぼんやりと、上を眺めていた。


 体がドロドロに溶けた状態のまま、大地の上に寝そべるように、液状の体を広げている。



 ……そうだ。


 思い出した。



 辺りを見回す。


 緑の肌の魔物が見えてくる。


 ゴブリンだ。



 ゴブリンは、誰かと戦っている。


 あれは……ロラン、さん?

 

 

 そうだ。

 ロランさんが、ゴブリンと戦っている。

 

 あの後、どうなったのだろう。

 ワタシはさらに辺りを見回してみる。


 

 倒れている人がいた。

 ミリィさんだ。

 息はあるようだが、血だらけで、動かない。


 座り込んでいる人がいた。

 ターシャさんだ。

 涙を顔に残したまま、ただただ呆然とている。



 ロランさんとゴブリンは、1対1で戦っている。

 でも、ロランさんのほうが負けそう。

 ナイフ1本でゴブリンのロングソードを捌こうとしているが、じりじり押されている。



 ワタシがコアを刺されてから、ほんの少ししか経っていないらしい。

 暗闇の中で、永い時間が経ったような気がしていたんだけど。



 まだ頭はぼんやりとしている。

 ワタシが、ワタシじゃないみたい。


 でも、このまま潰れ続けているわけにはいかない。


 ロラン……さんを、ミリィ……さんを、助け、なきゃ……。


 


 体の形を変えてみる。

 ワタシのカラダが、どんどん上に盛り上がる。

 かろうじて、ニンゲンのカタチを作ることが出来る。



「メルちー……?」

 かすかな、ターシャさんの声が聞こえた。



「ヮタ……シ、も……た……たかい……ます……」

 声を出そうとしたが、声にならない。

 かろうじて、何か音のようなものが出ただけだ。



「……!メルティちゃん……」

 ロランさんが、私に気が付く。

 ゴブリンも、私に気が付いたようだ。

 ワタシは、形を作るだけでやっとの状態だったが、それでもゴブリンの背後に立つ。



 ゴブリンは後ろのワタシと目の前のロランさんを見比べて、横方向に大きくジャンプし、ロランさんから距離を取る。

 そしてそのままさらに距離を取り……



「えっ、逃げ……た……?」

 ロランさんが、驚いたような声を上げた。

 


 なぜか、ゴブリンは逃げ出した。

 圧倒的にこちらが不利かと思っていたが、とりあえず助かった。


「ミ……リ……さん、きず、なおしま……」


 ワタシは血まみれのミリィさんに近づく。怪我を直さなきゃ。


 手をかざすが、切られた場所が多すぎて、とても手で触るだけでは治しきれない。


 ワタシは、自分の体全体を使って、ミリィさんを覆った。

 その状態で、体を青くする。


 ミリィさんのどす黒いような色をした血が体に入り込みながら、傷が、徐々に消えていく。

 

「これ……で……たぶん……だ、いじょ、ぶ……」

 

 薬草の成分だけでは完全には治療しきれなかったが、なんとなく、危機は脱したと感じた。


 ワタシはミリィさんから離れ、様子を眺める。

 まだ気を失ったままだったが、たぶん、大丈夫だと思う。


 ほっとしたら、再び頭がぼんやりしてくる。

 体の輪郭を、また保てなくなってくる。



「メルちー!」

 ターシャさんの声が聞こえる。

 でも、なんだか少し、休みたい……。





 多分、その数分後。

 意識がまた戻ってくる。



「あ……」

 ターシャさんとロランさんが、こちらを見ている。

 お腹の中に、泡で溶けかけている薬草が見えた。


「良かった。薬草の使い方が分からなかったから、適当に入れてみたけど……」

 ロランさんが、薬草を入れてくれたようだ。


「あ、ありがとう、ございます……」

 お礼を言って、ロランさんの、ターシャさんの顔を見る。

 2人とも、ほっとした表情になった。

 

 

「あの、ええと、どうなりました?

 ゴブリンは、どこですか?」


 気になったことを聞いてみた。


「え?あ、ああ。逃げっていったみたいだ。

 メルティちゃんを見て……」


「あたしを見て、ですか?」

 そう言えば……こっちを見てから逃げていった。なんだかそんな記憶がある。

 

「それで、ミリィさんは、大丈夫ですか?」


「ああ。メルティちゃんのおかげで傷は治ったよ。

 多分、まだ予断を許さない状態だと思うから、治癒師のところに連れて行かないといけなさそうだけど……」

 ……ミリィさんを、あたしの治癒能力で直した記憶もある。


 

「メルちー、ありがとね。ホントありがとう……」

 ターシャさんが、あたしに抱き着いて泣きながらお礼を言ってくれた。

 

「いえ、どういたしまして……」

 

 あたしは、にっこり笑って、それに返そうと思った。

 でもなぜか、上手く笑えなかった。

 

 

「よし、ホントはちょっと休みたいけど……急いで森を出よう。

 ゴブリンが戻ってくるかもしれない。

 えっと、メルティちゃん、人間に変身するんだよね?」


「……あ、はい、そうです……」


「じゃあ、申し訳ないけど、出来るだけ急いでもらえるかな。

 あ、ターシャも……水を貸すから、服を濡らしたほうが……その……」


「あ、うん……」

 ターシャさんは、もじもじとロランさんに返事した。


 

 

 あたしは急いで森の外に出る準備をする。


 なんだかおかしい。

 まだ、頭がぼんやりしている気がする。


 いつもやっている人間への変装の方法が、ぼんやりしているせいか、分からない。

 どうやっていつも人間になってたんだっけ……?


 思い出してみる。

 確か、人間みたいな形を作って……

 手……だっけ?動くところを……シリコン……に、変化させて……

 上のほう……そう、顔も、おんなじふうにして……その上にピンク色のやつをくっつけて……

 体の下のほうもシリコンにして……それを使って、体を支えて……

 あとなんだっけ、あ、そうだった。体につける……ローブ?を、体につけるんだった。


「でき、ました……」

 うん、ちゃんと出来た。ちゃんと人間になれた……はず。


「よし、じゃあ戻ろう……」

 あたしを見るロランさんの目も、特におかしなところはない。

 どうやら大丈夫なようだ。


 

 あたしは後ろを振り返る。

 誰も、いなかった。

 


 


 4人で森を出る。草原を歩く。


 まだ目が覚めないミリィさんを、ロランさんがおんぶして運んでいる。

 あたしは、ターシャさんに腕を握ってもらって、歩いている。

 

 2人から見て、どうやら、あたしはまだ本調子じゃないらしい。

 どうにもずっと呆けているらしく、表情も動かず、ぼんやりした目をしているらしい。

 ターシャさんに引っ張られて、そのおかげで歩くことが出来ているような状態らしい。



 確かに、まだどこかおかしい。

 意識はある。はっきりしているし、物事も考えられる。

 

 でも、何か忘れているような感覚がある。


 笑おうとしたとき、笑い方が分からなかった。

 人間に変装する方法を忘れてしまっていた。

 今も、歩き方すら、ちゃんと思い出せずにいる。


 どこか、記憶が他人事のような、そんな変な感覚がある。


 ゴブリンに立ち向かった事。ミリィさんを助けたこと。

 自分でやったはずなのに、自分じゃない誰かがそうしたような錯覚がある。


 人間に変装するときも、自分でやっていた事のはずなのに……

 誰かがやっていたのを真似ていたかのような錯覚がある。


 今歩いているのだってそうだ。

 いつもそうやって歩いていたはずなのに、今はターシャさんの真似をして足を動かしている。

 そんな、奇妙な感覚だ。



「今日はギルドに報告だけして、ゆっくり休もう。

 特にメルティちゃんは……うん、死にかけたんだもんね。ゆっくり休んで」


「あ、はい……」


 確かに、さっき『自分の死』をはっきりと意識した。

 結果的に助かったけど、今ぼーっとしているのは、きっとそのせいだ。



 あれ…………?


 でも、どうして助かったんだっけ…………?




 街の南門に到着すると、そこにいた人が、ミリィさんを連れて行った。

 どうやら見張りの憲兵さんが、あたしたちの様子を見つけて、事前に治癒所の人を呼んでくれていたらしい。

 

 ミリィさんを除いたあたしたち3人は、そのまま冒険者ギルドに向かった。


 受付のカウンターから人が出てきて、近寄ってきた。

 マリナさんだった。

 ロランさんが、起こったことを報告する。


「ゴブリンが……?」

 マリナさんは、絶句していた。

 あの森にゴブリンが出てくるのは、やっぱり異常事態のようだ。


「ミリィさんは治癒師のところなのね。他の皆は大丈夫?」


「俺はそんなに酷い怪我じゃない。ターシャも、まあ、怪我は無いよ。

 メルティちゃんは……」


 あたしの身に起こった事を、ロランさんの視点から説明してくれた。


「死にかけて……そっか、それで……

 そうよね……そうだよね……大変だったわね……」

 傷はもうすっかり癒えている。

 でも、マリナさんの目から見ても、今のあたしは、どこかおかしいらしい。


「分かった。えっと、ちょっと待ってて……ソレーヌ先輩に報告しなきゃ……」


 マリナさんは、奥の部屋に走っていった。

 その少し後、戻ってきた。


「その、ゴメン。疲れてると思うんだけど……

 いま奥で臨時会議しているんだけど、誰か、一緒に参加してほしいの……」

 マリナさんが、申し訳なさそうな顔でそう聞いてくる。


「あ、じゃあ俺がいきます」

 ロランさんが手をあげて答える。


「お願いね。

 それで、メルティちゃん。大丈夫?ちゃんと帰れる?」

 マリナさんが私に聞いてくる。


「…………あ、はい。大丈夫です。ちゃんと森に帰れます……」

 

「え、ちょ、メルちー!?

 ……あ、うん、アタシがちゃんと宿まで連れて帰ります。

 宿で、ゆっくり休ませますね……」

 ターシャさんがなぜかそう答える。

 

 宿ってなんだっけ……あ、そうだった……帰るのは宿だった……。

 

「そう……ね。ターシャちゃん、悪いんだけど……メルティちゃんを任せてもいい?」


 ターシャさんが頷くと、ロランさんとマリナさんは、奥の部屋へばたばたと行ってしまった。

 

「じゃあ、メルちー……宿に帰ろっか」


 


 あたしはターシャさんに引っ張られながら、街中の道を歩く。

 

 ぼんやりと、街の景色を眺める。


 大きな4本足の動物が、後ろに木の箱をくっつけて走っている。

 平たい石がびっしりと張り巡らされた地面は、土や草とは違って固く、どこか冷たい。

 木の箱の輪っかがガタガタと音を立て、それに動物のかぽかぽという音が混じる。自然界ではありえないその音が、なんだか煩わしい。たくさんの音を聞いていると、くらくらしてくる。


 大通りの両側には、建物と呼ばれる人間の住処が並んでいる。

 表皮を剥がされ、不自然な形と色に変えられた木が、自然ではありえないくらい整った形で壁から見えている。

 壁には派手な色がついていて、色が多くてチカチカする。壁に空いた穴に引っかけられた木箱には花が置かれ、それだけが唯一、自然の色を感じさせてくれる。だが森と比べると緑はほんのわ僅かで、息苦しい。

 空を見上げても、建物の三角形の屋根と、にょきにょきと突き出た煙突が、夕焼けの空の景色を邪魔している。

 


 人間は、こんな所に住んでるんだな……。


 やっぱり、森とは全く違う。

 この街は、拒絶してくる。人間では無いあたしの事を。


 目の前が、ぼやけてくる。くらくらしてくる。

 くらくらしすぎて、だんだん意識が、遠くなっていくような気がする…………。




 

 

「オウルさん!いますか!?」

 ターシャさんが叫んでいる。ぼーっとしているうちに、どうやら宿に到着したらしい。

 かうんたー……そう、カウンターだ。宿のカウンターの奥の方に向かって、ターシャさんが呼びかけている。


「ターシャちゃん……メルティちゃん!?いったいどうしたんだい?」

 奥から出てきた女の人……オウル亭のおかみさんに、ターシャさんが説明している。

 良かった、なんだかいろいろ思い出してきた。頭がだんだんはっきりしてきた。


 同じ場所から出てきた小さい女の子……えっと、ザジちゃんも出てきて、おかみさんにしがみつきながらこちらを見ている。


「メルティおねえちゃん、どうしたの?」


 やっぱり、ザジちゃんから見ても、どこかおかしいんだ。

 安心させて、あげないと……。


「うん……ぼくなら大丈夫だよ……」


「えっ…………?」


 どうしたんだろう。ぼくの声を聴いたら、さらに戸惑った様子になった。


「あの、ぼくの顔、やっぱり変かな……?」


「……ううん…………」

 ザジちゃんが首を振る。でも、何だろう、何かを不安がっている。

 安心させてあげなきゃ。

 えっと、そうだ。確か……スライムで作ったボールをあげる約束してたんだっけ。してたよね?


 ぼくは、ローブの隙間に手を入れて、そこからこっそりスライムボールを取り出す。

 腰を落として、ザジちゃんに差し出す。


「はい、ボールあげる」


「……おねえちゃん……これ……」

 ザジちゃんが、ボールを見て、何かに気が付く。


「どうかした?」


「このボール、うごいてる……」


「えっ?」


 ワタシは、手のひらの上のスライムボールを眺めてみた。

 本当だ。

 確かに、僅かに動いている。

 なんでだろう。

 よくよくそのボールを見てみる。



「あれっ……?」

 ボールの中に、違う色の部分を見つけた。

 コアだ。

 小さい小さい、スライムのコアだ。


 今までそんな事、あるはずが無かった。

 体から分離した部分は、ワタシの体じゃない。だから、コアは無い。

 なのに、これにはコアがある。



「ごめん、作り直すね……」

 ワタシは、ボールを体の中に戻す。


 その時、奇妙な感覚があった。


 ぼくは、その感覚が何であるのか、考えてみる。


「……えっ?」



 

 今、なんて思った?


 

 

 さっきもそうだ。自分の事を、ぼくは、ぼくって言った?



 あれ…………?


 自分の事を呼ぶとき、いつも何って言ってたっけ。

 

 ワタシ……?

 あたし……?

 ぼく……?

 ううん、私…………?




 体の中に意識を集中する。

 すると、体の中に、4つの感覚がある。


 これは……そうか、コアだ。

 コアが、4つある。

 4つのコアが、今はひとつにくっついて、ひとつのコアになっている。


 なんで…………?

 

 

 そのコアを、さらに確認してみる。

 何が違うのか、誰のものなのか、私は感じ取った。そして理解した。


 ワタシのコア。

 あたしのコア。

 ぼくのコア。

 そして、私のコア。



「なん、で……?」



 『私』はさらに戸惑う。

 4つあるからじゃない。それだけじゃない。


 4つのコアが、4つとも、同じ形になっている。


 私の形、私の色、私の姿……たとえが思いつかない。でも、はっきりとそう感じる。

 本来なら4つとも違う色のコアなのに、今は、今は……みんな、同じ色をしている。

 私の、コアの、色と、同じに。



「なんで、なんで、なんで、なんで……?」




 あの森の中で『私』に何が起こったのか、今分かった。


 なぜ、死んでいくはずの私は助かったのか。


 いつもなら森を出るとき現れる『あの子達』……そう、あの3匹のスライムが、今日はどうして目の前に現れなかったのか。


 『こんどは、ぼくたちが、たすけるよ』……あの不思議な声は、誰の声だったのか。




 あの子たちが、私を助けてくれたんだ。

 

 私の、傷つき、壊れてしまったコアを、自分たちの体を使って、再びくっつけてくれたんだ。


 だから、私は生き返った。



 でもその代わり、あの子たちは……。


 あの子たちのコアは、私のコアにくっついてしまった。

 

 だから、あの子たちは、『私のコア』とくっついてしまった。


 『私』に、なってしまった。



「な、ん、で…………」


 私はその場で膝をつき、がっくりうなだれてしまう。

 ザジちゃんの、心配する声が聞こえる。


「なんで……なんで、なんでっ!?」



 『私』の気配になってしまったあの子たちのコアからは、もう、あの子たちの気配は感じられない。

 

 それが何を意味するのか、私は分かった。分かってしまった。


 『死』という概念が、私の頭に浮かぶ。


 あの子たちは、私を助けるために、私と一体化し……そして。

 


「わあああああああああああああああああっ!!」



 突然叫び出した私。

 ターシャさんとおかみさんが驚いたように、心配するようにこちらを向いた。

 ザジちゃんは、怯えた表情で私を見ている。

 

 でも、私は、自分の慟哭を止めることが出来ない。

 


 死の悲しみで心がいっぱいなはずなのに、それなのに流れ込んでくる、嬉しさ、喜びの感情。


 助けられてよかった。

 一緒に居れて嬉しい。

 

 これは、これはいったい何なの?


 頭の中がぐちゃぐちゃになる。


 なにがなんだか、わからない。


 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」




 私は、叫び続けた。

 

 ただ、ひたすら。






 

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