2-9話 張り子の援軍

 一角ウサギは、森を逃げる、見慣れぬ大型のスライムを追いかけている。

 つまり、私をだ。


 追いかけ続けた一角ウサギは、森の出口の付近までたどり着いた。

 そこで一度、動きを止める。

 そして周囲を見渡す。


 一角ウサギは発見した。

 出口のそばの木の根元にいる、大きなスライムを。

 スライムはそこで、丸くなり、じっと動かずに停止している。


 とどめを刺すため近づこうとしたその時、気が付いた。

 木の上に、何かがいる事を。



 一角ウサギは上を眺める。

 そこに、もうひとつ、生き物がいた。


 木の枝に腰掛け、幹に背を持たれながら、こちらを見ている生き物。

 それは、人間に見えた。


 

 一角ウサギは、確かにこの森では最強のモンスターだ。

 だが、最強の生物かというと、そんなことは無い。

 本当の最強は、時々森の外から現れては自分たちの仲間を殺す、人間なのだ。


 

 服と呼ばれるものを身に着けたその生き物は、一角ウサギの事を見ている。

 その顔は、今まで見たことも無い形相だった。

 

 大きなスライムは、今だ動かない。

 恐怖で動けなくなっているのか、観念しているのか……

 それとも、もう死んでいるのか。ぴくりとも動かない。



 地表には一角ウサギ。木には大きなスライムと人間。

 スライムが生きていたら2対1。あるいは三つ巴の状況。



 一角ウサギは、さらにこちらを見続ける人間から目を離さない。

 そしてずっとにらみ合った後……



 一角ウサギは、後方に動いた。

 そして、そのまま去った。


 人間から、逃げるように……。




 一角ウサギが去った後も私はずっと動けずにいたが、しばらくして……

「良かった……いなくなってくれた……」

 気が抜けて思わず、木の上から、そうつぶやいてしまった。


 そう、木の上の『人間』は、私だ。

 

 そしてこの木の下の大きなスライム。これももちろん、私だった。

 いや、正確には、私の体の一部だったものだが。



 恐怖が消え、やっと動けるようになった私は、ふぅっとため息を付き、その場からジャンプした。

 水鳥のローブの首周りから、私の首から上だけ、ぴょんっと飛び出る。


 今の私の姿を誰かに見られたら、とんでもなく驚かれるだろう。

 生首だけが、ぴょんぴょん跳ねているのだから。




 森の出口付近に到着してしまった私は、まず、隠れられそうな木を探した。

 私はその木の根元の草陰に隠れた。

 

 そこで私は、マジックパックからローブを取り出した。

 大急ぎだった。うまく一角ウサギから隠れられたとはいえ、すぐに気づかれるかもしれなかったから。

 マジックパックは見た目に反して中身が広いので、探すのは大変だった。ただ、ローブはそれなり大きいので、それだけはすぐに取り出せた。

 ウィッグまで探す余裕はなかった。そちらはいったん諦めた。ローブのフードで隠せば何とかなるかもしれない。

 

 次に私は、体をシリコン化させようと思った。

 しかし気が付いた。もしかしたらMPが足りないかもしれない、と。

 確認する余裕はもちろん無い。

 

 このまま草陰に隠れて人間への変装を完了させるのは、どうやらできそうになかった。

 ずっと隠れてやり過ごすのも無理だろう。

 あの大きな耳だもの。ちょっとの物音でここに隠れているってバレてしまうかもしれない。


 ああ、駄目だ、やっぱり間に合わない……。


 もうすぐここに一角ウサギが来る。

 もう駄目だと思った。

 誰か、援軍に来てほしかった。

 でも、そんな援軍なんて来るはずがない。

 

 クルスさんの顔が思い浮かんだ。

 生き残るっていう約束、守れそうになくてごめんなさい。

 ザジちゃんの顔も思い浮かんだ。

 一緒に遊ぶ約束、破っちゃってごめんね、と。


 ザジちゃんとの思い出が頭をよぎったその時。

 ふと、ある事を思い出した。そして思いついた。突拍子もない事だった。

 そうだ、援軍が来ないなら……援軍を、私が作っちゃえばいいんだ!




 私がスライム娘になる前、ジョブ無しで宿屋に泊まっていた頃、ザジちゃんが嬉しそうにしていたことがあった。

 その日はお祭りがあって、縁日で、お面を買ってもらっていた。

 とても嬉しそうにそのお面を見せてくれた。

 その後、ベッドの上にぽんとお面が投げ置かれたのを見た時、まるでお面を付けた誰かが寝ているようだなと思った。

 

 その事が走馬灯のように頭をよぎった時、思いついた。

 

 

 最後の賭けだった。私は思い付きを実行する。

 私は、体から粘着ボールを上に射出した。

 しかしいつもの粘着ボールではない。私のコアの部分を含んだ粘着ボールだ。本体そのものと言っていい。

 そしてその際、私のローブをくっつけて一緒に飛ばした。


  私の小さな本体は、上手く木の上の枝にくっついた。

 地面には、私の体を離れて動かなくなった、体の大部分が残った。


 そして私は、体の形状を変え、それをシリコン化させる。

 コアよりひと回り大きい程度の今の私の体は、人間の頭の大きさとほぼ同じだった。

 だから私は、全身を、人間の頭に変えた。


 動く生首のような不気味生命体となった私は、後頭部からジャンプし、体を木の幹にくっつけた。

 その時、ローブの襟元を生首にくっつけたまま。

 ローブは私の首の下からぶら下がり、裾を木の枝の上に乗せた形状で、動きを制止した。

 

 

 これで私は、援軍を作り出すことが出来た。

 まるで人間そっくりな、木の上に体をもたれて座るように見える、見せかけだけの援軍を。


 

 まあ、人間そっくりと言っても、クオリティはとても低い。

 お洋服の上に、屋台のお面を乗っけて『人間です』と言い張っているような、乱暴な作り物。

 人間相手には、間違いなく通用しなかっただろう。


 しかし相手はモンスター。

 人間をあまり見慣れていない生き物。しかも視力を少し失っている。

 だから、洋服の上に、お面のように人間の頭を乗せれば、もしかしたら通用するかもな、と。


 

 急いで作った顔の造形は、ぶっちゃけイマイチだった。

 鏡を見ていないので自分では確認はできていないが、修行の時一番最初に顔をシリコン化させたときの、オパールさんに『不気味の谷』と言われてしまったあの顔より、さらに出来が悪いだろうなという確信はあった。

 一角ウサギを見ているこの作り物の顔は、きっとものすごい怖い顔だったのだろう。


 だからもう本当に、『人間』を見て逃げていってくれたのは、一角ウサギがモンスターだったから。

 私を襲ってきた一角ウサギが、人間の存在は知識として知ってはいても、どういう生き物なのかまでは詳しく知らなかった。

 だから、偽物の人間でも、逃げていってくれた。

 それに尽きる、と思う。



 

 一角ウサギの撤退を確認した私は、とりあえず現状から復帰する。

 生首の姿を解除し、普通のまん丸コアだけの姿に戻る。

 木によりかかったローブを剥がし、下にある私の大部分の上に飛び降り、とりあえず元の通常形態に戻る。

 落ちてきたローブを回収する。


 

 さて……この後どうしよう……。

 結論はすぐに出た。


「……うん、今日はもう、帰ろう」

 

 私はもう、ぐったりしていた。

 連戦で、しかも死にかけたんだ。精神的にすっかり衰弱していた。

 ブル・アプサン採取のミッションは未達成になってしまうが、今日はもう仕方が無い。

 再び森の奥地に進む気力が、もうすっかり無くなってしまっている。

 撤退するべきだ。


 とはいえ、MPが足りない。

 私にはMP自動回復の能力がある。しかし、全身のシリコン化にはまだまだ全然足りない。

 一応、ペンダントで確認してみる。やっぱり足りない。そもそもさっき、雑とはいえ生首化に使ってしまったし。

 

「ううん……やっぱり、今が使い時だよね……」

 私はマジックパックから『マジックポーション』を取り出す。

 修行の時、ビビアンさんが置いていってくれたものだ。あの時たくさん貰っていた残りだ。

 修行の時、何本も飲んでそれなり数が減ってはいたが、それでも2本だけ残った。

 その残りを、「緊急の時が絶対あるから」と、オパールさんがお土産で私に譲ってくれていた。

 

 これを飲むと、残り1本になる。

 しかし、今が明らかにこれの使い時だ。

 

 ついでに、昨日自分用にと思って多めに採取して置いたブル・アプサンも使ってしまう。

 もう森の出口から帰るだけのなので大丈夫とは思うが、もうさっきみたいな油断だけは御免だ。使ってしまおう。

 

 

 マジックポーションをごくごく飲む……というか、体に混ぜ込む。

 これでMPが回復した。

 続いてブル・アプサンの葉を使う……というか、体に入れる。

 食べるときのように、しゅわしゅわと泡を立てて消えていく。

 これでHPも回復した……よね?

 初めて使うのでよく分からないけど、コアの痛みが引けていくのでたぶんこれで大丈夫なはずだ。



 そしてローブを回収して身に着ける。さらにウィッグを、と思って周囲を見渡す。

 あ、そうだった。そもそも取り出せていないんだった。


 周囲を見渡した時、ふと、視界に入るものがあった。

 スライムだった。


「あれ、ひょっとして……」

 さっきの今で不用心かもしれなかったが、思わず近づいてしまった。

 そこには、スライムが3匹いた。


「もしかして、昨日の……?」

 野生のスライムに、知性は感じない。表情も無いし、個体差も分からない。

 それでもなんとなく、昨日のあの3匹のスライムじゃないかなという気がした。

 私が大ガラスから助けた、あのスライム。そんな気が。


 結果論だけど、最初の大ガラス戦の遠因となってしまったのは、この子達を助けたからだ。

 でも、こうして会った今、この子達の事を恨むつもりにはなれなかった。

 むしろ、知っている顔に会えたような安堵感があった。


「もしかして、見守ってくれていたの?」

 そう聞き返しても、やはり何も反応は無い。

 でも、なんとなくそんな気がした。



 もしかしたら、私が助かったのも、この子達のおかげかもしれないなと思った。

 なんとか2対1の状態に見せかけることが出来たと思っていたが、ひょっとしたらそうじゃなかったかもしれない。

 一角ウサギがこの子達に気が付いていたら……。そうなると、5対1の状態になる。

 最弱のスライムとはいえ、これだけの数が揃えば一応の威圧にはなるかもしれない。たぶんだけど。

 

 この子達はずっと見ていただけだ。

 でも、最強の一角ウサギがいても、逃げずに、そこに居続けてくれた。


 昨日助けたスライムが、今日は私を助けてくれた。

 そうとしか思えなかった。

 

 

「助けてくれて、ありがと」

 だから、私はそう言葉に出して、この子達に伝えた。

 人間の言葉なんて、たぶん分からないとは思うけど。


 

 私はその後、その子たちの見えている範囲ではあったが、ウィッグ装着と全身シリコン化を済ませ、帰り支度を進める。

 驚くかなと思ってスライム達を見てみたが、やはり反応は無かった。


 私は森を出て、街道に向かう。

 森の方を振り返る。

 あの子たちはもちろん、森から出てこない。

 こっちを見ているはずの監視塔の憲兵さんに気付かれないよう、こっそりと手を振ってみた。

 森からの反応は、やっぱり無かった。







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【7/27追記】

コアの大きさの表現が、1章終盤の頃と矛盾があったので、当話の該当箇所の表現を変更しました。

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