29話 私、スライム娘になります!

 クルスさんとオパールさんと別れて一人になった私がまず向かったのは、冒険者ギルドだった。

 と言っても、さっそく依頼を受けるためではない。


 

 今日は安息日。この日は他の冒険者たちも休日を取るものがほとんどだ。

 掲示板のボードにも今日はあまり依頼は無い。

 ギルドも、昨日休みを取ったマリナさん以外のスタッフは休みを取っているらしいので、私みたいな新人のサポートが出来るほどではない。

 なので、安息日の掲示板に私が受けられる依頼は無い。

 私は、別の目的で冒険者ギルドへ行くのだ。

 


「うん、これで良し。メルティちゃんのジョブは『なし』に戻ったわよ」

「マリナさん、ありがとうございます!」

 

 私はスライム娘のジョブを辞め、人間に戻った。

 クルスさんに昨日アドバイスを貰っていたのだ。

 

「メルティ、お金に無理のない範囲でいいから、時々ジョブを辞めて人間に戻ったほうがいい。

 同じ『ジョブチェンジで姿が変わる』者からの忠告として聞いておいてくれ。

 ずっとジョブチェンジ後の姿でいると、元の姿の感覚を忘れてきちゃうんだ。

 だから、時々元の姿に戻って、感覚を思い出しておくんだ。……大切だから。マジで」

 

 すっごく真剣な目をしていたので、忠告を護ることにした。なので、今日は私も人間に戻って、この体で休日を取ることにした。

 

 

「マリナさん、どうですか?どこか変じゃないですか?」

「ううん、大丈夫よ。むしろこっちが元の姿なんだから。スライム娘の頃とほとんど変わらないわよ」

「そ、そうですよね……」

 マリナさんはいつも通り優しかった。二日酔いっぽかったが、それを感じさせない。

 

 スライム娘になってから初めて、人間に戻った。

 ちゃんと人間に戻れるかどうか実はちょっとだけ不安だったけど、ちゃんと人間に戻れた。

 

 私は体を見回す。

 骨と肉を持つ、シリコンじゃない本物の手。

 この細さでもしっかり地面に立てる脚。

 ウィッグがいらない髪の毛。

 空気が通り抜ける鼻と口。

 鏡のそれらを眺める目。

 スライム娘になる直前までの私そのままだった。あれ、でもニキビが消えてる。

 

「じゃあ、また明日来ます」

「うん、メルティちゃん、また明日。お休み楽しんでね」




 私は肉と骨のある二本足で街を歩く。

 しっかりとした強度の足は、私の体を力強く支える。足取りも軽やかだ。

 公園に通じる階段を、ぴょんぴょんぴょんと跳ねるように登る。スライム娘の足では不安で出来なかったことだ。

 

 公園を散歩し、疲れたらベンチで休憩。

 疲れるという事も久しぶりだ。なんだか疲れが心地よい。

 

 綺麗なお水を買い、ごくごく飲む。

 喉を鳴らしながら飲む。そうか、飲むとき喉が鳴るんだ。

 人間だった頃の感覚を確認しながら過ごす。今度またスライム娘になる時参考にしなきゃ。

 

 あんまり飲みすぎるとトイレに行きたくなるかもしれないな。そういえば、拠点の家では1回もトイレに行かなかったな。

 

 

 休んだ後、腹ごしらえに食べ物屋さんを探す。

 公園の一角に、なんと昨日牛串を買った屋台のお兄さんがいた。今日はここに出店してるんだ。

 昨日のお肉は美味しかったなと思って見ていたら、目が合ってしまった。お金はちょっとある。また今日も買っちゃおう。

 

 

「良かった。どうやらちゃんと人間だったみたいだ。昨日会った時は天使かなと思っちゃった」

 お兄さんが話しかけてきた。ドキッとしてしまった。

 

「え、そうですか、エヘヘ……」

 結局今日も愛想笑いで誤魔化す。

 

 うん、たまに人間で街を歩いて疑いを晴らすのは大事かもしれない。

 

「ウチのお肉、気に入ってくれた?」

「はい、とっても美味しかったです!」

「そっか、良かった。また来てね。君ならいつでも大歓迎さ」

 

 私は屋台を去る。

 ……あれ、ひょっとしていま口説かれてた?……いや、まさか、ね……。


 ベンチに座り直してお肉を噛む。

 噛むっていう行為も1週間ぶりだ。スライム娘の時とは違い、口の中にお肉の味が広がる。

 体中に味が広がるスライム娘の時もそれはそれで良かったが、人間の体では噛みごたえというものが楽しめる。

 今のうちに堪能しておこう。



 

 曇り空になってきたので、午後は宿屋へ行く。

 スライム娘になる直前まで泊まっていた安宿『オウル亭』だ。

 お金の無い新人冒険者たちのために格安で寝床を提供してくれる宿屋、そのうちのひとつだ。

 今日からまたしばらく、ここが私の帰る場所となる。

 

「あら、メルティちゃん!久しぶり!」

「おかみさん、お久しぶりです!」

 宿のおかみ、オウルさん。太めの体格の優しいおばさんだ。

 

「聞いたよ、やっとジョブが見つかったんだってね。修行も終わったのかい?」

「はい!明日から冒険者として活動するつもりです」

「そうかい。良かったね、メルティちゃん」

「はい!」

 

 スライム娘になって宿に帰れなくなっていたので、事情をマリナさんが連絡しておいてくれたそうだ。

 怖がられるかもしれないので、スライム娘になったという事までは伝わっていない。修行で泊まり込んでるとだけ伝えたそうだ。

 突然宿を空ける形になったが、嫌な顔せず再び迎え入れてくれた。

 

「ところで、ギルドからおっきな水がめが届いてるんだけど……あれメルティちゃんの?」

「あ、あはは……」

 玄関脇に、とても見覚えのある水がめがあった。

 

 私は宿の2階の自分の部屋に入る。そのままベッドに飛び込む。

 このベッドの感触も久しぶりだ。安宿だが、ベッドの感触は申し分ない。

 

 人間の姿に戻っている時だけ味わえる感触。

 スライム娘の時は、水鳥のローブ以外の布地は、体が吸われる不快感がどうしても苦手だった。

 ベッドで寝られるのも当面のうちは今日だけだ。

 明日からはまた水がめのほうが心地よく感じる体になる。

 部屋の隅に、さっきおかみさんに手伝ってもらって運んだ水がめがある。マリナさんが特別にプレゼントしてくれたものだそうだ。

 

 しばらくベッドを堪能した後、部屋着に着替えるために一度起き上がる。水鳥のローブを脱いで……

「…………あ」

 

 しまった。

 そうだった、人間は下着をつけるんだった。

 

 スライム娘の時は下着を付けずにローブを羽織っていた。代わりに、シリコンで下着を再現させて。

 だから人間に戻った後もそのままだった。シリコンで再現していた下着はその時に消えてしまっていたようだ。

 

 つまり、今日の午前中、私はローブの下はこのままの状態で…………う、うん。

 

 多分誰にも気づかれていないので、セーフ、としよう、うん……。

 クルスさんのアドバイス、身に染みました……。


 

 その後は部屋の中で本を読んで過ごした。

 オパールさんから貰った本に目を通したり、読みかけだった小説の続きを読んだりして、その日の午後は過ごした。

 

 夕飯は宿でおかみさんが出してくれる料理を久しぶりに堪能した。

 宿のシャワーも浴びた。

 さすがに夜の散歩はしなかったけど。

 その後、しばらくお別れのベッドで寝た。

 


 

 翌朝。

 

 安息日明けのギルドの朝はものすごく混んでいる。

 私はそれを避けるため、やや遅めの時間にギルドの扉を開けた。

 

 転職用の祭壇の利用者が落ち着いた後、私はマリナさんにお願いして、再び『スライム娘』にジョブチェンジする。

 昨日ぶりのとろとろの体を堪能する暇もなく、すぐに体をシリコン化させる。

 


 

 冒険者ギルドの掲示板に張り出されている、クエスト依頼の張り紙。

 そのいくつもの紙を、私はいつものように長い間ぼーっと眺めていた。

 

 でも、今日は今までと違う。

 数こそ少ないものの、私に出来る依頼がある。

 

 そう、ついに冒険者としてこの張り紙を手に取る時が来たんだ!

 

 最初にする依頼は、私ひとりで可能な依頼にする。

 これは冒険者ギルドの習慣みたいなものだ。ひとりで出来る依頼をこなして初めて『一人前』を名乗れる。誰かとパーティーを組むのはその後だ。

 

 私は張り紙の中うちの1枚を取る。

 うん、これがいい。

 普通の人と比べてかなり遅くはなったけど、これが私の『初依頼』だ。

 

 この以来の料金の半分を、クルスさんから譲ってもらったジョブマニュアルの代金に充てることになっている。

 なので少ない報酬の依頼では申し訳ない。かといって自分には無理な多めすぎの報酬の依頼でもいけない。

 これがいい。これにしよう。

 

 ぴっ、と、依頼が書かれた張り紙を引っ張って外した。


 

 どうやら私が最後のようで、他の冒険者はギルド内にはもういない。

「この依頼、受けさせてください!」

 私はカウンターにいるマリナさんのところへ張り紙を持っていき、念願だったその言葉を声に出す。

 

「いらっしゃいメルティちゃん。どれ、ちょっと見せて……

 うん。これならメルティちゃんにも可能ね。メルティちゃん、頑張ってね!」

「はい!」

 マリナさんは、そう言って応援してくれた。


「あ、マリナ、ちょっと見せて」

 隣にいるもう一人の受付嬢、ソレーヌさんが、マリナさんに話しかける。

 マリナさんがソレーヌさんにその張り紙を渡す。

 ソレーヌさんの声を聴いたのは久しぶりな気がする。

 いつも通りの上品で優しい声だ。


 クエスト依頼に目を通し終えたソレーヌさんが、私に話しかける。

 

「メルティさん、あなたは正式な依頼を受理するのは初めてですね。

 なのでまず、通例に従い、最終的な意思確認を行いたいと思います」

 

 ソレーヌさんは真剣な眼差しで私を見ながら言葉を紡ぐ。

 

「メルティさん、あなたは今後、冒険者として、様々な活動をしていく事になります。

 しかし、冒険者というのは過酷な仕事です。

 時には大きな怪我をしたり、あるいは死んでしまう可能性もあります。

 明日生き残れるか分からない世界です。

 あなたはそれでも、冒険者として生きていきますか?」

 

「はい」

 私は力強く答えた。

 

「通例外ではありますが、もうひとつ確認させてください。

 メルティさん、あなたの事はマリナから聞いています。全くの新種の職業である『スライム娘』として活動していくという事も。今私の目に映っている姿が、本来の姿でない事も。

 新種のレア職であるあなたには、普通の冒険者の数倍も危険と困難が待ち受けるでしょう。

 それでも、本当に、冒険者として生きていく覚悟がありますか?」

 

「はい!」

 私はさらに力強く答えた。

 

「……分かりました」

 ソレーヌさんは、隣にいるマリナさんと目を合わせ頷き合い、そして紙にハンコをポンと押した。

 

「依頼、受理します。頑張ってくださいね」

 ソレーヌさんは優しい声でそう言った。

 ソレーヌさんの声はいつも通り優しかったが、今日のこの言葉は何故かいつもよりも優しい声に聞こえた。

 まるで、心の底から私の事を応援してくれるかのように。

 

 

「では、最後にもうひとつ」

 依頼書を私に差し出しながら、ソレーヌさんは最後にもうひとつ質問してきた。

「メルティさん、あなたは、スライム娘になりますか?」

 

 

 私は依頼書を受け取りながら、さらに力強く宣言した。

 

 

「はい!私、スライム娘になります!」

 

 

 





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作者の日高うみどりです。

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。

第1章はこれで終了です。


引き続き、別キャラ視点の幕間が4話(うち2話は前後編)ほどありますので、明日から順に投稿していきたいと思います。

本編とはだいぶ雰囲気の違うお話となるかと思いますが、お付き合いいただければ幸いです。


せっかく第1章で修行編という感じでやっていきましたので、引き続き第2章も書いていければと思います。

お話は現在執筆中です。できればある程度まとめてから投稿したいと思いますので、公開まで少しお時間を戴ければと思います。

1か月以内には投稿を再開していきたいなと思っています。もし引き続きお付き合い戴けるのであれば、その際にはどうかよろしくお願いいたします。


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