26話 修行7日目・午後 日常生活の試験(前編)

 午前の試験が終わり、お昼ご飯の後。

 

「わあ、素敵!」

 マリナさんが私の姿を褒めてくれた。肌をシリコン化し、彼女から貰った服を着て、マリナさんに人間体の初お披露目をした。

 

「そ、そうですか?どこか変なところは無いですか?」

「ううん、ちっとも変じゃないわ。とってもかわいくて素敵よ。その服も似合ってる。人間だった頃のメルティちゃんそのまんまよ」

「エヘヘ……」

 

 この中で、普通の人間だった頃の私と一番長く接してくれていたのはマリナさん。そのマリナさんからお墨付きをもらった。

 これなら、午後の【日常生活の試験】も大丈夫そうだ。

 

「それで……あっちの2人は何を揉めているの?」

「え、えっと……」

 

 お昼ご飯過ぎから、クルスさんとオパールさんが言い争いをしている。

 ここに来て何度も見かけた、最早いつものケンカだ。でもその内容が、私にとってはちょっと恥ずかしいことなのだ。


「だから、大きいほうがいいって絶対!」

「何言ってんだ、小さいままのほうがいいに決まってる!」

 

 ずっとこの調子だ。ケンカが続いている以上、私がこれをマリナさんに説明しなければいけない。

 

「その……私の胸を、大きくするかどうかで揉めているんです……」

「えぇ……」


 

 事の発端は些細なこと過ぎて覚えていない。

 私の胸を大きくしたほうがいいと主張するオパールさんと、それを否定するクルスさん。二人のケンカになってしまった。

 

「だからな、太ももとお尻を大きくした以上、胸も大きくするべきなんだよ!」

 

「何言ってんだ、無駄に大きくする必要なんか無い!」

 

「お前こそ何言ってんだ、メルっちょは自分の体のサイズを自由に変えられるんだぞ!なら大きくするべきじゃないか!」

 

「出来るからと言って大きくする必要は無いだろ!大きい胸なんて目立っちまうよ!

 見てみろ俺を!俺が普段どこをジロジロ見られるか分かるだろ!」

 

「でもメルっちょのお尻が大きくなった以上、そっちがどうしても目立っちゃうだろ!胸も大きくしてバランスを取るべきなんだよ!」

 

「バランスってなんだよ!目立つ場所を増やしてどうするんだ!

 スライム娘だってバレないようにするのがそもそもの趣旨だろ!目立たせてどうするんだよ!」

 

「だからこそだよ!球体関節とかごくごく細部とか凝視されるとさすがにバレやすくなる!

 だからこそ胸をあえて見させてそこ以外から視点を外させるんだよ!」

 

「でも男がそれをジロジロ見たらどうするんだよ!メルティがそんな目で見られてもいいのか!

 もしエロい奴がメルティに触ったり服を脱がそうとしたらそれこそアウトだろ!」

 

「そうはなんないだろ!」

 

「いや、なるよ絶対!メルティ可愛いもん!」

 

「そうだな!メルっちょ可愛いな!じゃあ女の子をもっと魅力的にしてあげたいのは当然だよな!じゃあ大きくしていいな!」

 

「だからって胸は駄目だろ!」

 

 

 ……もう、羞恥心と可愛い可愛い連呼されて照れくさいのとでもう耐えられない。

 

「はいはい2人とも、その辺にしときなさい。メルティちゃんがもう限界よ」

 マリナさんが仲裁してくれた。

 

「……あ、ごめん」

「メルティ、すまん……」

 私の様子に気が付いた2人の口論がやっと収まった。

 

「まあ二人が親心?で言ってくれてるのは分かるわよ。

 でもだからこそ、胸をどうこうするかなんて、メルティちゃん本人に決めさせるべきじゃない?

 ね、メルティちゃんはどうしたいの?」

 そして私に結論を振られてしまった。

 

「う、うう……そ、そうですね……とりあえず今日はこのままでやってみます。

 まだこの体そのものに慣れてないので、急に胴体のバランス感覚が変わるのはちょっと怖いですし……。

 それに、一応街中で私を知ってる人に会う可能性も無くは無いので、急に胸が大きくなって知り合いに驚かれたら嫌ですし……

 その、胸の事は……だんだんに考えることにします……」

 

「そ、そっか……うん、メルっちょごめんね……」

 

「……あ、で、でも、一応私も女ですし、大きな胸自体が嫌というか、興味ないわけじゃないですよ!

 ちなみにクルスさんはどっちがいいですか!?やっぱり今のサイズがいいですか?」

 

「へっ!?い、いや、まあその……別に大きな胸もダメというわけでは……」

「あ、あれ?そうなんですか?……そうなんだ……」

 

 急にクルスさんに話を振ってしまったせいで、今度はクルスさんがしどろもどろになってしまった。

 

「まあとりあえず結論は出たわね。

 ……それにしても、いくらメルティちゃんが出来るからと言って、昼間から胸の話を大声でするのはちょっと良くないと思うわよ。

 まあまだ女同士の会話だからいいけど、男だったら大ヒンシュクよ?」

 マリナさんがそう締めくくった。


 クルスさんとオパールさんは気まずそうに謝った。……たぶん2人とも『女同士だから、男だったら』の部分が特に引っかかるのだろう。

 ……そうか、マリナさんは知らないんだ。

 まあ、ここで私が訂正するのも言いふらすみたいで嫌だし、二人が自分から言い出すまでそっとしておこう、と思う。

 

 そんなわけでケンカは収まったが、なんだかすぐこのまま試験という雰囲気では無くなったので、少し間をおいてから始めようかという事になった……。

 

 

「さて、じゃあ気を取り直して、いよいよメルっちょの【日常生活の試験】に入ろうか」

 

 オパールさんとの修行は、だいたいいつも気を取り直すことで進行する。試験日の今日とてその通りだ。

 研究室で、午後の試験の解説が始まる。

 

「コホン、では、『はじめてのおつかい』を始める。

 昨日も言った通り、メルティ君には3つのお店に行って、3種類の商品を買ってもらう。

 買い物リストはこのメモに書いてある。このメモは持って歩いていいから、確実に買い物を済ませてくれ」

 

 私はメモを受け取る。そこに書かれたものを見る。……うん、どれも普通のものだ。特に難易度の高いものでは無い。ただまあ、私が人間の頃のままならばの話だが。

 

「買い物はここの近く、北地区の広場付近で買えるものばかりだ。明日は安息日の休日なので、今くらいの時間でもそこそこ人通りはある。スラバレに気を付けてミッションをこなしてくれ」

「分かりました」

 スラバレ……たぶん、スライム娘だってバレる事かな。

 

「ボクはこの『鳥型ドローン』のカメラを通じてメルティ君の事を監視しておく。マリナ君も家にいてモニターを見ていてくれ」

「オッケー。へぇ……すごいわねコレ……」

 

 オパールさんの肩に、金属でできた鳥のようなものが乗っかった。

 遠目から見たら機械だとはバレないくらい本物に似ている。

 オパールさんの後ろには前面だけガラスの箱があり、ガラスには映像が映っている。この鳥の『目』から見た視界が、後ろのガラスの面に映るシステムらしい。

 

「クルス君は万が一に備えてメルティ君をこっそり尾行。緊急時には助けに行ってくれ。

 ただし、昨日も言った通り、メルティ君の前にクルス君が出てきた場合はその時点で不合格とする。いいね」

「……はい」

 

「それじゃあ始めようか。あ、メルティ君、市場の場所は分かるね?」

「はい、何度か行ったことがあるので大丈夫です」

 

「よろしい。では、準備が出来次第始めてくれ。無事に家に帰ってくることを祈ってるよ」

「ありがとうございます。じゃあ、行ってきます!」

 

 

 

 私は研究室を出て、家の玄関を開けて外へ出る。

 家の敷地の外へ出ること自体1週間ぶり。このクルスさん達の拠点の家を出るのは初めてだ。

 

 私は見慣れぬ景色の街を歩く。拠点の家のある場所は北地区という。高級住宅街が立ち並ぶ、高所得者向けの地区だ。

 

 シリコンで出来たストッキング色の足を交互に動かして歩く。膝の球体関節がローブの外に出ないようにゆっくりと。

 周囲は木と塀に覆われていて、とても静かだ。拠点の家もその周囲の家も、庭がとても広いらしく、建物の間隔が市街地とは思えないほど離れている。


 誰もいない静かな秋の小道を、ゆっくりと歩く。

 後ろを振り返る。空のほうに鳥が飛んでいる。さっきのドローンだ。クルスさんの姿は見えない。


 

 私は路地を出て大通りに出る。通りは一気に賑やかになり、道を馬車が何台も通る。

 私は轢かれないように道の端の歩道を歩く。

 ここから先が本当の試験。午前の試験と違い、どんなトラブルが起こるか事前に予測したりシミュレーションしたりできないのが今回の試験の難しいところだ。なるべくトラブルを起こさないよう慎重に歩くしかない。

 

 往来の人達とすれ違う。みんな私を疑う様子は無い。

 私が実は人間じゃないってバレている様子は無いようだ。何人かは振り返るが、このローブとシリコンの肌の下がスライムだという事にまでは気が付かないようだ。

 少しだけいけないことをしているような気分になってくるが、顔には出さないように堂々と歩く。

 

 

 程なくして、北地区の広場に出る。

 とても大きな円形の広場で、円に沿ってお店がたくさん並んでいる。

 北地区の需要に合わせてここも高級そうなお店が並んでいる。円の中心には露天市場が開かれている。

 

 明日は安息日。オパールさんの世界では日曜日というらしいが……そのおかげで、屋台がたくさん並んでいる。

 こちらは庶民的なお値段の商品だ。

 

 私が普段滞在していた宿からは遠いのでここへはあまり来たことは無かったが、とても活気のある場所だ。

 そのぶん人混みも多い。スライム娘だってバレて騒ぎになる危険性は大いにある。

 

 私が目指すお店は、円周の外側にあるお店が2軒、露天市場内の屋台が1軒。

 順番はどこからでも構わないそうだ。私はあたりを見回し、最初に入るお店を決める。


 

「よし、ここだな……」

 最初に私が訪れたのは『ネピア書店』という本屋さんだ。

 ここで『初級錬金術入門』という本を買うのが最初のおつかいだ。

 

 店内はとても静か。どこからともなく心地よい音楽が流れている。最近流行りだした蓄音機という音を出す機械のものらしい。

 

 お客さんは他に数人いたが、みなそれぞれ静かに本を探したり立ち読みしていたりしている。

 私のほうを見る様子は無い。うん、最初にこのお店を選んで良かった。このお店なら私の事を必要以上に見てくるお客さんはいなさそうだ。

 

 私は店内を歩く。本は好きだ。この書店ではないが、本自体は自分のお金で何度も買ったことがある。だから本の探し方は分かる。学術書の棚を探せばいいはずだ。

 

「あった……でも、何を買えばいいんだろう……」

 私は小さくつぶやいた。初級錬金術師の本は、出版社違いで何冊かあった。このうちどれを買えばいいんだろう。

 

「何かお探しですか?」

 店員さんから声を掛けられた。親切そうな女の店員さんだ。本屋さんで声を掛けられることはあまりなかったのでちょっとびっくりしてしまった。

 

「あ、その、錬金術の入門書を探していて……どれがいいのかなって……」

 この姿になって初めて初対面の人と会話する。変装がバレないかドキドキするが、怪しまれないように返事をする。ちょっと挙動不審な返事だったかもしれない。

 

「錬金術の本ですね。冒険者のジョブ用ですか?一般用ですか?」


「一般用というのもあるんですか?」

 どんな本かを質問されたが、聞きなれない言葉が出てきたので、逆に質問し返す形になった。

 

「ええ。冒険者用の専門書よりも作成できるアイテムはかなり少なくなりますが、特に必要なスキルが無くても作成できる、一般のかたでも使える錬金術を集めた本というのがあります。それが一般用ですね」

 店員さんは、丁寧に説明してくれた。

 

「そうなんですね……じゃあ、一般用でお願いします」

 

 

「わかりました。であれば、お勧めはこの2冊ですね。

 こっちの白い本は、家庭で便利な錬金術が多く載っています。

 生活魔法の代わりに使える錬金術なんかも幾つか記載されてあります。

 こっちの紺色のほうは、冒険者など、街の外で探索する方向けですね。

 ジョブの錬金術師でしか使えない錬金術は多いんですが、この本はそれ以外の方でも使える錬金術をメインに記載されてあります。

 他にも、探索で採取できる野草や鉱石なども書かれてありますよ」

 

 

「えっと……じゃあ、こっちの冒険者向けの本でお願いします」

 

「ありがとうございます!ほかにご入用の本はございますか?では、お会計はこちらで……」

 

 なるほど、ジョブじゃない人でも使える錬金術の本か。

 

 錬金術の入門書なんて、プロの錬金技師のオパールさんなら必要のない本のはずだと思っていた。でもこういう事だったんだ。私でも使える簡単な錬金術があって、それを教えてくれたんだ。

 

 私は預かっていたオパールさんのお財布からお金を支払った。それなり高い本だったけど、お財布の中にはだいぶ余裕のある金額が入っていた。私は本を受け取り、これもクルスさんから予め借りていたマジックパックに入れた。

 

「ありがとうございました。またお越しください!」

 私は店員さんにお辞儀をしてその場を離れた。

 

 

 ……うん、店員さんの反応に特に変な部分は無かった。ごくごく普通に、親切にしてくれた。つまり、私が人間じゃないって事はバレてないという事なのだろう。

 

 私が書店を出るとき、金属の鳥が窓の面格子に止まって中を見ていた。

 私は鳥さんに小さく頷いて、大丈夫だったと伝えた。


 

 

 次のお店は本屋からだいぶ離れた場所にあった。

 私は通りに沿って、他のお店の前を通り過ぎる。

 

 道具屋、武器屋、防具屋といった冒険者向けのお店の他に、ブティックや宝石店みたいな一般人用のお店もある。

 

 どのお店も高価な商品がお店の前にディスプレイされている。私には手の届かない世界だ。

 

 クルスさんのマジックパック……今私が借りて身に着けているものと同じ商品があった。

 やっぱりこれはものすごく高価なものなんだ。これを買えるくらいクルスさんは凄い人なんだ。

 

 いつか、私もここを訪れられるくらい立派な冒険者になれるのだろうか……。


 

 いやいや、まずは今のこの修行を無事終わらせられる事。これが一番の目標だ。うん、頑張ろう。

 

 私は歩く。もうすぐ2軒目のお使いのお店だ。




 

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