18話 修行5日目・午前 クルスのいない日
修行5日目の朝。
その日の朝は、なんだか静かだった。
私は最初、〈聴覚〉をオンにするのを忘れてたのかなと思ったが、どうやらそうじゃない。
庭が静かだ。いつも朝練している、クルスさんがいないのだ。
「あ、メルっちょ、おはよう」
キッチンに行くと、いつものようにオパールさんがいた。
「おはようございます……あの、オパールさん、クルスさんはどちらに?」
「クルるんならいないよ。ほら、そこのメモ」
テーブルの上にメモ用紙が乗っていた。そこに文字が書いてあった。
『メルティ、すまない。ギルドから緊急指名依頼が入った。
今夜には戻れると思う。今日は1日オパールの修行をしててくれ。』
その日の朝食はとても静かだった。
昨日は5人いたが、今は2人。昨日がとても賑やかだったので余計にそう思える。
「メルっちょ、心配?」
「……はい」
「心配いらないよ。アイツだってAクラスの冒険者なんだ。今まで緊急依頼なんて何度もやってきたんだ。
そのたびに毎回アイツはけろっとした顔で帰ってきた。今回もおんなじだよ」
そうは言ってくれたものの、私の不安は尽きない。万が一という事はあり得るだろう。
ああ、そうか、冒険者の帰りを待つって、こういう気持ちなんだな……。
「ま、いつまでも心配してても始まらない。アイツの言う通り、こっちはこっちでやるべきことをちゃんとやろう。
人間に変装する修行、上手くいけば今日はいよいよ大詰めだ。クルるんが戻ってきたときにびっくりさせてやろうぜ」
「……はい」
私は力強く頷いた。不安を消し去るように。
オパールさんの研究室。今日はいつもの机は端に追いやられ、広いスペースが作られている。
私は昨日マリナさんに貰ったローブを着て、そのスペースの真ん中にいる。
「じゃあ始めようか。まずは昨日のおさらい。手を変化させるところから」
「はい」
私は手をシリコンに変化させる。じゅっと言う音とともに手が人間のものそっくりになる。
「……うん、何度見ても本物みたいだ。想像以上だよ。
僅かだが皮膚のしわのテクスチャもちゃんと再現できてる。
爪は……あ、これもシリコンか。硬くないね。ぷにぷにする。でも触るまで本物と区別がつかない……
うん、こうやってローブを着てみると、ローブから手が出ている部分だけでも全然大丈夫そうだね。
袖の中が実はスライムだなんて誰も思わないよ、きっと」
オパールさんが何度も感心するので、なんだか私は照れてしまう。
「よし、じゃあ次。足を含めた歩行訓練は最後として……次は顔だね。顔をシリコン化して人間みたいにする練習だ。
あ、そうそう、その前にこれを受け取って。昨日ビビやんから言われたんで作ってみた」
オパールさんから首に下げるペンダントを受け取った。
ペンダントには奇麗でつるんとした宝石みたいなものが付いていた。
私がそれを身に付けたらその宝石が緑色の光を映し出した。光は、ひと切れ掛けた丸いピザみたいな形をしている。
「MPの残量を教えてくれるペンダントだよ。MPが減れば減るほど光っている部分が減っていく。
ゼロに近づくにつれ、緑から黄色、赤に変わっていく。こっちのボタンを押すと数字表記にもできるよ。
メルっちょにあげるから、これを確認しながら修行していこう」
「え、いいんですか?でもこんな宝石、高いんじゃ……」
「はっはっは。人工宝石だからそう見えてすごく安いよ。MPだけの表示に限定して作ったから装置部分も安く済んでいる。
あ、安物と言っても耐久性はちゃんとあるから多分壊れにくいよ。受け取っといて」
「そ、それでしたら……ありがとうございます」
「いえいえどういたしまして。あ、後はこれ。ビビやんがお土産にマジックポーション大量に置いていってくれた。
まずはこれを飲もう。MPの残量はまだたくさんあるみたいだけど、初めての事だから念のためね」
MPが回復したので、いよいよ顔をシリコン化させる練習。
「じゃあ、いきます……」
顔の部分をじゅっとさせて、シリコンにする。手で慣れたせいか一発で上手くできた。
「ど、どうですか……?」
オパールさんは、ちょっと怖いものを見る目をしている。
「ううん……僕はメルっちょの人間の頃は知らないんだけど……とりあえず鏡を見てみて。自分で見てどう?」
「う……なんか、怖いです……」
細かいところは不出来だけど、確かに私の顔。なのに、なんだかちょっと……いや、すごく怖い。
表情は動かせる。ちゃんとイメージ通り動く。でもなんだろう、ううん……。
「うんまあ、不気味の谷現象だね。あり得るとは思ってた」
オパールさんの解説。
ロボット?みたいな人形が人間そっくりになれば、似れば似るほどどこか不気味に感じてしまう瞬間があるらしい。
「不気味の谷を越えてさらに人間に近づけば、再び親近感のある顔になっていくはずだよ。
逆に言えば、今不気味だって事はだいぶうまくいってるって事。より人間に近づけるよう、練習してみようよ」
「なるほど、より人間っぽく……」
「う~ん……なんというか、目かな。目玉が動かないのが人間っぽくない気がするんだよな……。
後は髪の毛かな。ぺたっとしてるし、なびかないし、なんだかフィギュアの髪の毛って感じだね」
「フィギュア、ですか……?」
「あ、うん、僕の世界にある人形。そんな感じ」
なるほど、お人形か……確かに私の今の顔はそんな感じだ。
表情は動くが、逆に言えば動くのは表情だけなので、そのぶん人形が動いているみたいで不気味なんだ。
「後は口の中、かな。口を開けると中身が見えちゃう。透明のまんまだ」
「なるほど、口の中ですか……」
口を開けてみる。歯や舌や喉ではなく、『中身』が見える。トロトロの私の粘液だ。
「よしメルっちょ、とりあえず目は後で考えようか。
あと髪は諦めよう。たぶん複雑すぎる。女の子には酷かもだけど丸坊主のほうがいいね」
「丸坊主……ローブのフードで隠すんですか?」
「いや、大丈夫。確かこっちの箱に……あ、あったあった。これウィッグ。つけてみて」
オパールさんは髪の毛のようなものを持ってきた。
なるほど、かつらか。
それをつけて、再び鏡を見る。
「……あ、いいかもです」
髪の色は違ったが、ちゃんとした髪の毛の生えた頭に見えた。
「うん、良し。こっちのが本物に見えるね。この路線で行こう。
じゃあもう1回だけど、その前にMPはどう?
「ペンダントによると、今は21ですね」
「消費量5か……手のほうが多いんだね。まあ、細かい顔のパーツを加えればもうちょっとだけ増えるかとは思うけど……。
よし、じゃあ繰り返しやってみようか。あと細かいところももう少し正確に作っていくイメージで。
MPが半分になったら黄色くなるから、そしたらマジックポーションで回復させよう」
顔をシリコン化させる反復練習の開始。
MPが減ったらマジックポーションを飲む。
オパールさんは錬金術で何か作りながら練習を見ていてくれてる。さっき私の髪の色とか形とかを聞かれた。私用のウィッグを作ってくれているらしい。
約1時間後、私のウィッグは予備も含めて4つ完成した。
人間の頃そうだった、ピンクの髪の色。かなり細やかな髪の毛が再現されていて、人間の頃よりむしろ綺麗。
髪型はそれぞれ違う。気分で使い分けてね、との事だった。
「うん、だいぶいい感じだね。細かいところもすごく上手くなった」
「人間の頃の顔を思い出してみながら作ったんですが、だいぶ?そっくりになってきたと思います」
「うんうん。本当に人間の肌と見分けがつかない。でもメルっちょ、ニキビまで再現しなくて良かったんじゃない?」
「あ、そう言われば確かに……」
眼や口内の問題はまだ解決できていなかったが、それ以外はほとんど以前までの私だ。
「よし、じゃあメルっちょ、ちょっと休憩したら、次は足だ」
休憩の後、足の変形の練習。ローブは一旦脱いだ。
私はまずまん丸スライムの下半身を人間の足の形に変形させ、形を整える。座った状態の格好になる。
そのまま足をシリコン化。じゅうううううっという長めの音の後、足は人間の形になる。
「あ、っと……」
めまいのような症状が出る。ペンダントを見ると、満タンだった光がちょうど半分になっていた。
「ううん、変形させる部分が大きいからか、だいぶMP使っちゃったね……」
オパールさんがマジックポーションを渡してくれた。私は受け取って飲みながら話す。
「やっぱり足は難しいですね……」
こうしてみると、自分の足ながら妙に艶めかしい。
「太ももから先が変形しているけど、ここはローブで隠せる部分と割り切って……
変化させるのは、ローブの隙間から見える膝くらいから先だけにしておいたほうがいいかもしれない。
けど強度的にはどっちがいいのかな……。
後は……うん、足の指かな。
細かい部分を作る時はMPを多く使いがちみたいだし、足のほうは靴で隠れると割り切って、単純な形でいいかもしれない」
「靴か……そっか、靴も履かなきゃですね」
「それか、もうそっちも割り切って、靴の形も最初に整えてからシリコン化で作ってみたらどう?」
「なるほど、靴も……」
「後そういえば……なんか、メルっちょの足の色、薄いかも……こんな色だった?」
「いえ、だいぶ薄いですね……」
「そういえば、手の時も顔の時も普通に出来てたけど、どうやって着色したの?やっぱり絵の具?」
「あ……たぶんそうだと思います……」
「じゃあ単純に絵の具不足か。ちょっと足してみよう」
オパールさんが絵の具を探しに棚のほうへ行く。
「そういえば私、絵の具まだ出せるんですね。最初は次の日には使えなくなっていたのに……」
絵の具は体内の液体専用マジックパックに出し入れされる、と言う話だった。その中に入れた絵の具は次の日には消えていた。
でも、人肌色の絵の具は3日経った今でも使えた。
「そういえばそうだね。……ひょっとしたら、大事なものは消えないように保護できるのかな。そういう機能がある市販品があるけど……」
ちょっと試してみる。足はシリコン状のままなので、スライムのままの他の部位他の部位……手に色を付けてみる。
あの日に使ったほかの絵の具や、泥。試してみたが出てこなかった。
人肌色だけ出てきたが、絵の具が足りないのかほんの薄くだけ色が付いた。
「そうみたいですね。肌の色だけ使えるみたいです」
「そうなら朗報だね。わざわざ毎日絵の具を買わなくて済むよ……よし、出来た。じゃあ入れるね」
絵の具を混ぜて肌と同じ色にして渡してくれた。私はそれを自分の体に混ぜると、足の色が濃くなってきた。
「……じゃあまた反復練習しますね」
「あ、いやその前に、ちょっとそのまま歩いてみようよ。シリコン足の強度とか歩き心地とか確かめてみたい」
「そうですね、それじゃあ……」
私は立ち上がってみる。慣れていないせいか、だいぶふらふらする。
「シリコン足の固さはどう?自重を支えられる感じ?」
「う、う~ん……ゼリーとそんなに変わらない、かな?……まだよく分かんないです」
「そっか……まあ、シリコーンスポンジ皮膚自体だいぶ柔らかいもんね……」
「どうしましょう……昨日ビビアンさんが言ってたみたいに、足を太くしてみましょうか?」
「え、でもメルっちょはそれでいいの?」
「う~ん……嫌かどうかで言われれば嫌な気はしますけど……まあでも、ローブで隠れるのなら……」
「う、うん……まあそう言うなら、採用するかは後で決めるとして、一度試してみようか……」
「じゃあ、足を元に戻しますね……」
「待って、もう一つ確かめてみたい。メルっちょ、そのまま歩ける?」
「あ、そうですね。やってみます」
私はその場から歩き始めた。
「よ、っと……あ、あれ……?
どちらかと言うと、ゼリーより歩きにくいような……その、膝とか思うように曲がらないです……」
「う~ん、そっか……シリコン化は足には向いてないのかなあ……」
オパールさんはちょっと落ち込んでいるようだった。
「そう、ですね……シリコンってお人形なんですよね……お人形は歩けないですもんね……」
「……ん?人形が、歩く……?そうだ!」
オパールさんは突然棚をあさり始めた。その後何かを見つけて持ってきた。
「これこれ。これは絵を描くとき、人物画を書くときに使う、デッサン用の可動式の人形。これの膝みたいにしたらどう?」
その人形は木製だったが、体の関節部分などでパーツが分けられていた。膝の部分は、丸いボールのようなものがついている。
「ほら、こうやって……体のパーツを曲げてポーズを取らせて、人物画の練習にしたりする。
もっとアニメっぽいものだとこれでアニメのポーズを再現できたりするんだ。
メルっちょの足もこうすれば、もうちょっと動かしやすくできるんじゃない?」
「なるほど……やってみます」
シリコンの足をやめ、一度スライムに戻す。
再度変形させる前に、まずは足の形をスライムのまま検討する。
「えっと、まず足先の形は適当でいいんでしたよね。
そして、膝を、えっと、……ちょっとよく見せてください。う~ん、こうかな……」
人形を見せてもらい、それに似せて膝を作ってみる。
「膝以外で動かしにくいところはあった?」
「足首と、この太ももの付け根のあたりですね」
「股関節か。そこも真似てみる?」
「そうですね、とりあえずやってみます。あ、足の太さはどうしようかな……」
昨日ビビアンさんに提案してもらっていたことだ。とりあえず、足の太さを変えてみる。
「……ちょっと太すぎてバランス悪くない?」
「う~ん、でもとりあえず頑張って立てるようになりたいですし……ひとまずこれでやってみます……」
「まあそう言うなら……」
「よし、こんなものかな……じゃあ、いきますね……」
再びじゅううううっという音。足が出来上がった。
「MP消費は……さっきと変わらないか。足は簡単になったけど、代わりに関節が複雑になったし、こんなものかな……
よし、じゃあ立ってみて」
出来上がった足で立ち上がる。
「……あ、さっきより安定した気がします」
「よし、じゃあ歩いてみて」
「……うん、さっきよりは、だいぶ歩きやすいです」
まだかなりふらつくが、それでも歩けている。そのまま真っすぐ歩く。
……ついに私は、部屋の隅の壁際まで歩くことが出来た。
「やったぁ!メルっちょが歩いた!!」
まるで赤ん坊が初めて歩いた時みたいな喜び方だった。
歩いてる当の本人の私としても、そんな感じの気分だったけど……。
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