12話 修行3日目・昼 雨と泥と薬と涙
修行3日目の朝。その日は朝から雨だった。
昨日の朝と同じく掃除のお手伝いをした後、私はいつものようにオパールさんの朝食をご馳走になる。
「今日は雨だけど、クルるんの修行はどうする?やっぱり中止?」
オパールさんが訪ねる。
「何言ってんだ、やるに決まってんだろ」
「えっ……?この雨の中で?」
驚くオパールさん。私も答える。
「まあそうですね。冒険者になったら、雨の中で探索したり戦ったりは普通ですよね」
「ん、そういう事。今のうちに慣れとかなきゃ」
「えぇ~マジか……ヤダな……」
「そう言うんならオパールは参加しなくてもいいぞ。元々そういう話だっただろ」
「そうか。じゃあ……遠慮させてもらおうかな。雨はどうも苦手でな……ちなみに、今日は何やる予定なんだ?」
「ああ、昨日の修行でメルティの攻撃方法が3種類に増えただろ。今日はそれを反復練習して鍛えていく」
「なるほど……何か面白そうなことがあったら教えてくれ」
雨の中、私たち2人は庭に出る。
「ん……この雨だと、メルティの体はどうしても汚れちゃうな」
確かに、ちょっと歩いただけで、下半身が泥を含んで濁り始めている。自浄能力はあるとはいえさすがに汚れが溜まるほうが速い。
「あ、でもこっちのほうが雨の日にはいいかもです。ほら、こうやって水たまりっぽくできますし」
体を潰してそれっぽくする。水たまりに見えないことも無い。水たまりの割にはすごく大きいけど。
「まあ確かに、雨の日のスライムは見つけ辛いもんな。潜伏にはちょうどいいかも」
さっきも言っていた通り、今日の午前は今までの反復練習だ。
まずは体当たり。次にナイフ発射。そして粘着ボール撃ち。
これらを10分くらいずつローテーションで繰り返していく。
なんだろう……楽しい。
昨日までは修行と言っても試行錯誤しながらの実験という感じだったが、今日のは本格的な修行。やる気が出る。
「よし、一旦休憩」
1時間くらいで少し休憩を挟む。
「体当たりの硬化にかかる時間はまずまずだね。劇的には短くなってないけどこんなもんかもな。でも体当たりの仕方が大分上手くなった。確実にダメージを与えられそうだ。
ナイフ発射はだいぶ命中率が上がってきた。狙ったところに打てるようになってきている。もう少し早く飛ばせたら理想的だけどな。
粘着ボールも同じくいい命中率だね。ダメージソースにはならないが妨害用としてはだいぶ使えそうだ。理想はもう少し遠くに飛ばしたいな」
クルスさんが各攻撃に寸評をしてくれる。なるほど、的確だ。
『スライム娘』で強くなるという事がいまいちピンときてはいなかったが、こうやって聞くとだいぶ手ごたえがある。
3種のローテーションを繰り返し、1時間後に休憩。その日の午前中はそれをひたすら繰り返した。
「ふぅ。濡れた濡れた」
お昼になって家に戻る。クルスさんは濡れた体をバスタオルで拭いている。
「クルスさん、寒くなかったですか?」
「平気平気。こう見えても鍛え方が違うからね」
私の事を見るためにずっと立ち止まっていたクルスさん。動いてないので、かなり寒かっただろうなと思ったのだが……
「あ、おかえり~。うわメルっちょすっごい色!」
リビングに入るとオパールさんが出迎える。
「あ、ほんとだ……」
大量の泥が体に入ってきたせいか、かなり濁った泥水だ。過去一番濁っている。いつもは透き通っている腕も今日は向こう側は見えない。
ふと後ろを見る。
「……あっ」
私が這いずった跡が泥で汚れている。
「すみません、後で掃除します……」
「いいっていいって、気にしないで」
オパールさんはそう言ってくれたけど、後でもう一度掃除しよう……
「それより二人とも寒くない?お風呂沸かしといたけど、昼ご飯の前に入っちゃったら?」
「私は寒くないです。寒さ自体感じないらしいです」
「俺も大丈夫……くちゅんっ!」
とってもかわいいクシャミが出た。
「……すまん、やっぱり入ってくる……」
やっぱり、かなり寒かったようだ。私のためにすみません、クルスさん……。
クルスさんがお風呂なので、二人で先にお昼ご飯を頂いた。
さすがに椅子まで汚したくは無かったので、既に汚れている場所で立ち止まって食べる。
「メルっちょ、体調はどう?どこか変なところある?」
「いえ、この体では特に……」
と言おうとして改めて自分の体を確認してみたが、そういえばどこか違和感がある。
「……う~ん……?」
「……どしたの?」
「そう言われれば……どことなくですが、体が動かし辛いような……」
手を動かしてみる。体を左右に揺さぶってみる。
「なんというか、こう……いつもより体の動きが遅いというか、どこか引っかかるというか……」
「ふうむ……?体が疲れたのか……?それとも大量の泥のせいで動きが鈍っている……?」
オパールさんが2つの仮定を出した。
この体は疲れを感じないのかと思っていた。でも、今日は今までで一番激しく運動した。私に疲れが存在するなら、今それが出てきてもおかしくない。
泥の可能性もある。ここまで異物が混じったのも今日が初めてだ。どっちかのような気がするし、どっちも違うような気もする。
「はぁ~温まったぁ~。あれ、何かあった?」
クルスさんがお風呂から上がってきた。暖かそうなラフな格好に着替えている。
「メルっちょが、なんか動きが鈍いんだって」
「……ホントか?」
「なあクルるん、修行中メルっちょに何かおかしなところはあった?」
「いや、特には……ああでも、後半はだいぶ動きが落ちてたな。疲れてきたらそんなもんじゃないのかと思ってたが……あれ、でもメルティって疲れないんだっけ?」
「私もそう思ってたんですけど……う~ん……」
「ひょっとして、どこか怪我した、とか……」
「怪我はしてないです……というか、体がバラバラになっても大丈夫だし、その時も痛みは感じなかったですし……こういう体なので、怪我というものは無いとは思うんですが……」
「う~ん……その動きにくい感じ、えっとなんて聞けばいいのか……その、なんか危なさそう?」
「いえ、特には……。
う~ん、人間だった時で言うと、ううん……筋肉痛、が近いかもです。
痛みは無いけど、その時みたいに体が動かし辛いって感じかなって思います」
「なるほど、筋肉痛……筋肉疲労かな……」
「ちょっと休めばよくなる……ような気がします。多分……」
「そっか、それじゃあ大事では無いのかな……」
「メルっちょは筋肉は無い、でも、筋肉痛に近い何かがある、という事か……。
原因も何もまだよく分からないし、後で調べてみないといけないかも。とりあえず、もう少し休んでみよっか」
何も分からないし、さほど問題も大きくなさそうなので、保留、と言う結論になった。特に問題ないといいのだけれど……。
クルスさんが遅めの昼食だったので、午後の修行も少し遅れて開始となった。
場所はいつも通りオパールさんの研究室。オパールさんは黒板の前、私とクルスさんは椅子に座っている。
「どう、大丈夫そう?」
「はい、休んだらだいぶ良くなりました。動きもだいぶ元に戻った気がします」
あれから少し経ったら症状は治まった。結局何だったかは分からないけど、分からないものをいつまでも気にしてもいられない。
体の泥も完璧ではないがだいぶ浄化されてきてはいる。調子もいつもくらいに戻ってきた。
「今日は多分座学になっちゃうから座っててくれて大丈夫だけど、もしまた似たような症状が出たらすぐ教えてね」
私は頷いた。
「よし、じゃあ始めようか。
昨日メルティ君から借りた粘着ボールについて色々調べてみたんだが、興味深いこと幾つか分かった。
役立つかどうかはともかくとして、とりあえず一通り発表していこうと思う」
オパールさん、初日以来の学者モードだ。
「まずはこちらを見てくれ。
粘着ボールに、泥を混ぜて数時間放置したものだ。それがコレだ」
オパールさんが机の上にお皿を置いた。上には粘着ボールが、形は半球状のまま崩れず乗っている。
その粘着ボールの中心に泥がまとまっている。中心部分以外は、澄んだ色の液体だ。
次にこっちのビーカーは、普通の水に泥を混ぜ、同じく数時間放置したものだ」
ガラスのコップのような容器に入った水を隣に並べる。
「メルティ君、この2つ、違いが分かるかい?」
「あ、はい、ええと……
こっちの容器の水は、泥が底に溜まっています。でも私の粘着ボールのほうは、中心に泥が溜まっています」
「その通り。
見ての通り、泥が沈殿した場所が違うんだ。
普通の水の中の泥であれば、重力に従って下のほうに落ちて沈殿する。
しかし粘着ボールのほうは、重力に逆らって中央に沈殿したんだ。ちなみにこうやってかき混ぜると……ビーカーの水は再び濁って泥水になる。
粘着ボールのほうも同じく……かき混ぜるとこんな感じで泥水になる。ここまではいい?」
「はい」
「うん、分かる」
私とクルスさんは返事する。
「つまり、泥水と言うのは、さっき底に溜まっていた泥が、水の中に混じった状態の事を言うんだ。
泥と言うのは実はものすごい小さな粒の集合体なんだ。一番小さな粒は目に見えないくらい小さなサイズのね。
この目に見えない粒を、僕のいた世界での学術用語で『粒子』と呼ぶ。あ、泥に限らず小さな物体の総称が粒子ね。
で、この泥の粒子は、かき混ぜると水全体に散らばり、茶褐色の液体になる。
時間を空ければ再び底に沈殿して、澄んだ水と底に溜まる泥に分解される。
で、こういう全体的に散らばった状態の事を『コロイド』と言う。
そしてこういう性質を持った液体の事を『コロイド溶液』と言うんだ。ここまではいい?」
「あ、はい」
「え~、あ~、うん、分かる」
思っていたよりも難しそうな話になってきた。
「コロイドは主に2種類の物質が混ざっている。
こっちの普通の泥水の場合、泥と水だね。こういう風に、泥を分散質、水を分散培としたコロイド溶液の事を、
「スラリー……」
何となくスライムに似た名前だな、と思った。
「ではこちらの粘着ボールのほうだ。
さっきも言ったように泥が中央に集まっている。
分散質は同じく泥なのに、混ざる分散培が変わっただけで全く別の状態になっている。
便宜上いつも水って呼んでるこの液体だけど、水のようでやっぱり水とは全く別の物質なんだ。
この液体の名称だけど、まあ僕の世界には無い液体だから適当に名前つけちゃおう。『スライムジェル』ととりあえず命名する」
スライムジェル。いつものネーミングセンスと違い、まともだ。というか普通だ。
「つまり、私のこの、とろとろの部分が『スライムジェル』って事ですよね」
「そうだね。つまりは君はスライムジェルの集合体というわけだ。
話を続けよう。昨日までの実験を思い出してほしい。
昨日メルティ君に絵の具を混ぜて、色を変えることが出来た。
スライムジェルの分散培に別の何かを分散質として混ぜることで、メルティ君の体の色などを変えることが出来る、と言うわけだ。
そして、混ぜた分散質は一定時間でどこかに消えるが、自分のタイミングで再び出すことが出来る。
僕らはそれを『体内にあるマジックパックのようなもの』を使って出し入れできると考えた。
ペンなどのような固形物は体内に入れることは出来なかった。
体内に入れられるものは、水そのものの他に、絵の具と泥、オレンジジュースなど。いずれもコロイド状になる物質だ。
つまり君の体内マジックパックは、コロイド状にできる分散質を収納できる、という事になる」
かなり難しい話だが、なんとなく理解できた。
「えと、つまり……水に溶けるものなら溶かして収納可能、って事ですか?」
「概ねその通りだね。要するに水に溶ける粉とかだ。液体も可能かな。分散質が液体の場合もあるからね。
で、何が溶けるかだけど……こっちのビーカーと粘着ボール、沈殿する方向は違うけど、混じりあった際の様子は非常に近い。
沈澱する方向の有無くらいで、後はほとんど同じに見える。この2つの溶液はほぼ同じ性質であると考えてもいいかもしれない。
つまり、普通の水に溶ける物質なら、スライムジェルにも溶けるという事だと思われる」
ううん……難しい話が続く。ついていくだけで精いっぱいだ。
「んじゃ、難しい話はここまでにして、ちょっと面白い実験をしてみよう。メルティ君に役立つ事のはずだよ」
オパールさんは横から、別の粘着ボールと水、そして何か粉状のものを取り出してきた。
「この粉は『薬草パウダー』だ。普通にこの街で市販されているものだね。
粉のまま水と飲んだり、水に溶いたものを傷口に塗ったりして使う。
ただの『やくそう』よりは割高だけど、その分回復量も多い商品だ。
で、ちょっと見ててね……」
オパールさんはナイフを取り出し、自分の手の指をぴっと軽く傷付けた。
次に粘着ボールを小さく千切り、それに薬草パウダーを混ぜた。そして、薬草パウダー入りの粘着ボールを傷口に塗り付けた。
「ほら、見て」
「あ……傷口がふさがっています!」
「そう、薬草パウダーと同じ効果があるんだ。しかも粘着性があるから塗りやすい。
さらにこれ、普通のパウダーより効果が大きいみたいなんだ。
水に溶いただけではこのくらいの傷なら治るまでにまあまあ時間がかかる。でもこれは……ほら」
ナイフで切りつけた傷は、もうすっかり見えなくなってしまった。
「ね。すごいだろ」
「ほんとだ……すごい……」
「このスライムジェル入り薬草パウダーの凄いところは、少ない量でもかなりの回復力があるところさ。
普通なら今の4~5倍は粉の量が必要だよ。コストパフォーマンスがかなりいい。
もしかしたら、僧侶の回復魔法並みに扱えるんじゃないかな」
僧侶の回復魔法並み……これが使えたら、もし仲間が出来たときに効率よく治療してあげられるかも。
「えっと、じゃあ、やってみます」
オパールさんが薬草パウダーをこちらに渡す。
私はそれを体に混ぜた。そういえば体の泥は講義の間に消えていたらしい。
私はとろとろのスライムジェルと、薬草パウダーが混じった状態になった。ほんのり体がきれいな緑色になる。
「じゃあ、試してみよう」
オパールさんが再びナイフを持ったが……
「待った。俺がやる」
クルスさんがそれを制止して、ナイフを奪い取った。
「クルス君……ずいぶん静かだったけど、もしかして寝てた?」
「い、いや、寝てねえよ……」
クルスさんはオパールさんから奪ったナイフを左手に当て……ナイフで肌に傷をつけた。かなり、大きく。
「ひゃっ!クルスさん!?」
「魔物との戦闘じゃあこのくらいの傷なら浅いほうさ。大丈夫、おかげで目が覚めた」
「お前やっぱり寝てたんじゃ……」
「まあまあ、いいからいいから。さあメルティ、試してみて。
大丈夫、失敗しても俺には回復魔法があるから自分でも直せる」
そう言いながらもだいぶ痛そう。私はクルスさんの手を持ち、傷口にもう片方の手を添える。
「ッ!……いや大丈夫、ちょっと染みただけ」
クルスさんの傷に手を添え続ける。クルスさんの血液が私の体内に入り込みながら、クルスさんの傷は癒されていく。
「……おお」
程なくして、クルスさんの傷は奇麗に無くなった。
「すごいなこれ……治りの速さもそうだけど、傷の跡もすっかり消えてる。
俺の回復魔法より上手いな。エリーゼ並みだ。うん、本職の治療魔法に負けてないよ」
「良かった……良かったです……」
あれ……?目から何かが零れる。液体だ。
「あああメルティ、ゴメンね、泣かないで……」
泣いてる?私が?
「そっか……私、泣いてるんですね。泣けるんですね、私……」
この目は所詮、目の形に輪郭を作っただけの、ただのパーツに過ぎない。でも今、確かにそこから液体が流れている。
「うん、ゴメン、怖がらせちゃったね、ゴメンね……」
「だって、メルティなら絶対大丈夫だって思ったからさ。
メルティ、ありがと、良かったね。またひとつすごい特技が見つかったね……」
クルスさんは謝りながら褒めてくれた。
嬉しいはずなのに、私はなぜだか涙が止まらなかった……。
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【作者補足】
本文中の科学的な内容のものは、作内に都合がいい部分だけ抜き出している物なので、実際の科学的ななんちゃらとは大きく異なる点があるかと思います。
作者は科学な知識はあんましなので、細かいツッコミ等はご遠慮していただけると助かります。
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