8話 修行1日目・夜 お風呂と夜のお散歩
「うぉおおおおおお!やっぱりそういう事か!!」
オパールさんは元気を取り戻して、メモにいろいろ文章を書きなぐり始めた。
「おい、メシは?」
「残りは後で食べる!後で片づけておくよ!」
そう言ってオパールさんは、ばたばたと研修室へと向かってしまった。
「あ、行っちまった……ああなったら聞かねえんだもんな……」
その後二人で夕食を食べ終えた。自分たちの食器だけとりあえず流し場へ戻しておいた。
「メルティ、今日はシャワーどうする?」
シャワーか。そういえば昨日は入らなかった。
「ううん……昨日は怖かったけど、排水溝に流されそうになったらとりあえず硬化すればなんとかなる……かな?
でも、あんまり汚くはない……らしいですけど……」
午後の修行で、どうやら汚れは消化……というか、浄化かな?出来るらしいので、どうやら私は清潔さを保つことは出来るらしい。
なので、人間の頃のようにシャワーに入る必要はないんだけど……
「えっと、じゃあ、入ってみます」
「わかった。じゃあ案内するよ」
シャワールームに案内された。見たこともない形のシャワールームだった。
「オパールがこういう風に作ったんだ。あいつの世界のお風呂で、ユニットバスっていう形状らしい。
洗い場はこっち側ね。お湯は……これもアイツの発明だけど、魔道具で出てくるようになってる。そこのレバーを動かすと適温の湯が出るよ。数字の付いているほうの把手は温度だ。その数字の温度のお湯が出てくる。
そっち側の窪みは湯舟って言って、そこにお湯を貯めて、肩くらいまで体を沈めて入る。気持ちいいよ。あ、このゴム栓ってやつを排水溝にはめて水を貯めてね」
「ふぇぇ……オパールさん、すごい人なんですね……」
「ま、アイツの専門は本来こういうのを作る事だから。
アイツは謙遜してるけどね。自分が閃いたんじゃない、元の世界にあったやつを真似ただけだ、って。
じゃあ、ゆっくりしてね」
クルスさんは扉を閉めて出ていった。
辺りを見回してみる。見たこともないくらい奇麗。形も素材も初めて見る。正面には大きな縦長の鏡がついている。
上のほうには明るい照明。この照明だって、この家にはどこにでもあるけど、今まで見たどの照明より明るい。私の安宿のオイルランプとは大違いだ。
さて……どうしよう。さっきも思ったように、私の体は汚れを落とす必要はないらしい。なのでここで私がやってみようと思ったことはそれではない。
思い出すのは午前中の事だ。
私の体は運動しても疲れない代わり、水分が抜けていくらしい。なのでたくさん水を飲んで体の大きさを戻した。
でも、なにも私は口から水を取り入れなくてもいい。体のどこからでも取り入れられる。
私はここで、自分の体に水を取り込んでみようと思ったのだ。
シャワーを使おうかな、と思ったけど、やっぱりちょっと排水溝は怖い。
こっちの湯舟ってやつのほうを試してみようかなと思った。
ゴム栓をして、浴槽のほうのレバーを上げると、湯気とともにお湯が出てきた。硬化した指で触ってみる。ちゃんと暖かさを感じる。
5分ほどぼーっと眺めてしまった。お風呂のお湯は結構溜まった。これに入ればいいのかな。
脱衣場で服を脱ぐ必要はないのでそのまま入る。そういえばこの姿でいる事にすっかり慣れてしまったな。恥ずかしさももう感じてなかった。……うん、もし人間に戻った時は気を付けなきゃ。
えっと、肩までお湯に入って……こう、かな。たぶん正しく入浴できている。
お湯も私の体もどっちも水だけど、私の体とそうでない部分はちゃんと分かる。とろとろの粘液のほうが私の体。そうでない部分がお湯。混ざったり溶けたりする事なく、私の体はちゃんと形を保てている。
体じゅうの粘液との境界線から、暖かいお湯がゆっくり染み込んでくるのが分かる。
うん、なんだかとっても気持ちいい。気持ちよくて美味しいお湯だ。
とてもいい気持ち、湯舟の中でしばらくぼーっとする。
しばらくぼーっとした後、気が付いたら、お湯が無くなっていたことに気が付いた。
どうやら体内に全て取り込んでしまったらしい。
お風呂から出ると、リビングにいたらしいクルスさんが声をかけてきてくれた。
「あ、メルティ上がった?どうだった?」
「はい、とっても美味しかったです!」
「お、美味しい……?そっか、それは良かった……」
なんか違うな、という感じのリアクションだった。あれ、何か変なこと言った?
「あれ、メルティ、ちょっと大きくなった?」
さっきお風呂上りに鏡を見たときに私も同じことを思った。
「そうみたいですね。お風呂のお湯で増えたみたいです」
「なんていうか……スライム娘になる前、人間だった時に会った時くらいの大きさだね」
言われて気が付いたけど、スライム娘になってからの私は、人間の頃より少し小さかったらしい。いろいろあって減った水分のせいかな。
「確かにそうですね……顔も体も、人間だった時くらいの大きさです。
う~んでも、あの湯舟のお湯が全部入った割にはそれほどでもないような……」
「ぜ、全部……?」
「泥水と同じで、どこかに消えちゃったんでしょうか……」
考えたけど、分からなかった。自分の体はまだまだ分からないことだらけだ。
お風呂が終わったら就寝の時間。私は客間に戻った。
濡らしてしまった昨日のシーツの代わりに、新しいシーツが敷かれている。
昨日と違って、私は自分の体全体をゼリー状に硬化させることが出来るようになった。
多分それを使えば、昨日みたいにシーツに吸われることなくベッドで寝ることが出来るだろう。
「でもうん……やっぱりこっちかな」
私は独り言をつぶやき、水がめのほうに入っていった。
硬化自体、何時間使えるのか分からない。寝ているうちに効果が解けて全身シーツに奪い取られる危険性はある。
それにこの体、やっぱりこっちの水がめのほうが落ち着くらしい。
「………………」
すぐに寝つけた昨日と違い、視界をオフにしても今日はなんだか寝付けない。
あんなに体を動かしたんだから疲れて眠れそうなのに……そっか、疲れないんだっけ私の体って。
眠れそうにないので、水がめから這い出し、ドアを開けて廊下に出る。
リビングがちょっと明るい。覗いてみるとクルスさんが一人で晩酌していた。
「あれ、メルティどした?」
「あの、ちょっと眠れなくて」
「じゃあ、メルティもお酒飲んでみる?……あれ、そもそも飲めるの?」
「一応15歳の成人の儀は終えているので……この街の法律では、軽い度数の物なら飲める年齢です。
ただ、高いので一度も飲んだことはありませんが……」
「じゃあ飲んでみる?ワインとエールならあるけど」
「……この体で酔うとどうなるか怖いので、止めておきます……」
自分が酔ったらどうなるか分からないけど、もしこの体で暴れちゃったりなんかしたらどうなるか分からない。
「そっか。それなら付き合ってもらうのも悪いね。……そうだな、じゃあ、散歩でもしてみる?」
「散歩、ですか?」
「まあ、庭くらいならだれにも見つからずに外を歩けるんじゃない?」
「そうですね……じゃあ、行ってきます」
私は庭に出る。
まっ暗い。昼間の庭とまるで別の景色。
こっちの地区のほうは治安は良いほうなので、夜道でも一人で歩けると聞いたことがある。
でも万が一という事もあるので、倫理的に女の一人歩きは推奨されない。私は庭の散歩に留めておく。
まあ、女の一人歩き以前にモンスターの一人歩きだしね。むしろ怖がられる側だ。
がさっ。
外に出てすぐだった。木陰が動いたような気がした。動物か何かだろうか。
ちょっとびっくりしたが、どうやら逃げていったようだ。
私を見て逃げたのだろう。ごめんね。こんな見た目だけど怖くないよ。
拠点の家の周囲をぐるっと一回り。
この家には修行していた庭以外にもいろんなものがある。
小さめの家庭菜園。オパールさんが錬金術の材料を植えているらしい。
ガラスで出来た建物。今はいないけど、クルスさんの仲間が好きな場所だそうだ。お茶好きで、あそこでよくお茶を出してくれるそうだ。
家とは離れた場所にある小さな小屋。物置だそうだ。オパールさんの世界では、この上に何故か100人乗る風習があるらしい。
何が何だか分からない施設もある。石ばっかりの……なんだろうここ。
家のほうも見る。
オパールさんの部屋の明かりはまだ付いている。いつも夜型なのでこのくらいの時間はだいたい起きているそうだ。
庭側に戻ると、リビングの明かりは消え、クルスさんのお部屋の電気が付いた。カーテンを閉めようとしたクルスさんと目が合った。私は手を振ってみる。クルスさんも手を振り返す。その後カーテンは閉められ、ほどなくして明かりが消され真っ暗になった。
部屋の明かりが消え、闇が深くなった夜の庭で、私はひとり散歩を続ける。
10月の秋の夜空はとても澄んでいる。空に浮かぶ欠けた2つの月がちょっとだけ明るい。星がきれい。
私は歩きながら、ぼんやりと考え事を続ける。なんだかんだで劇的に時間が流れていったので、ゆっくり考え事をしたのはこの姿になってから初めてかもしれない。
私は全てが変わってしまった。
私にはもう、体も顔も目も耳も無い。おとといまでの私ではない。人間だった頃の面影などない。この人間の輪郭ですら、そういう風に形作っただけ。
変わるのは私の姿だけではない。私を取り巻く環境も大きく変わるだろう。
私はこの体で冒険者を目指すことになる。
それは決意していたことだけど、具体的にどうなるのかはまだ想像できない。
スライム娘の私に仲間は出来るのだろうか。知り合いは変わらず接してくれるだろうか。
将来はどうなるんだろう。未来はどうなるんだろう。
ゆくゆくは恋人とか……いや、それは無いな。さすがにこの体にそういう感情を持つ人間なんているはずがないよね。モンスターに恋するって事だもんね。まあ、人間だった頃のちんちくりんの姿の私に恋人なんてできなかったから、仮に人間のままだったとしても同じなんだろうなとは思うけど。
そもそも、恋とか友情とかそれ以前に、怖がらず接してくれるかどうかも怪しい。
まあ人間だった頃を知ってる人なら、その時を思い出してくれるかもだけど……。
例えばクルスさんは照れてるみたいな反応だけど、それは多分私が人間だった頃をちょっとだけ知ってるから、人間のように接する事が出来るんだと思う。
オパールさんはこの体になってから知り合った人だけど、好意的に接してくれる。でもたぶんそれも異世界の人だから。この世界の人みたいにモンスターにさほど怖い印象を持っていないのかもしれない。
この世界の多くの人は、モンスターの自分を見て怯えてしまうだろう。
ただでさえ怖がられるモンスターのスライム。しかも人間サイズもあるスライム娘の私。
……うん、ちょっと寂しいかも。ジョブを辞めれば人間に戻れるだろうけど……。
……でも、やっぱり冒険者の夢は諦めたくない。そのためにも体は捨てたくない。
恋人とか、いろいろ実生活面で諦めなければならない部分はあるだろうけど……
でもこの体が冒険者になるための唯一の手段である以上、ちゃんと向き合って覚悟を決めるしかない。
そのためには、この体でいる事を受け入れなければいけない。
できれば嫌々この姿になるんじゃなく、この体の事を好きになりたい。
好きに、なれるかな……。
スライム娘の自分の事を、ちゃんと好きになれるかな……。
だんだん風が冷たくなってきた。もうすぐ薪が必要な季節になる。
その頃には私はどうなっているんだろう。
スライム娘として初仕事に挑戦しているのだろうか。
それもと、試験に失敗して人間に戻って暮らしているのだろうか……。
修行は、そのために二人がしてくれていること。
今日のは修行と言うにはちょっと楽しかった。手応えはあんまり無かったけど、それでも、スライム娘としてやっていくという未来への道が見えたようにな気がした。
まだほんのちょっとだけだけど。
……うん、もうそろそろいい時間かな。明日も頑張ろう。
部屋に戻り、水がめの中で視界を閉じる。
不安は尽きないが、希望もある。
どうやら今度は眠れそうだ。
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