第1章 スライム娘・修行編
1話 液状のカラダ
気が付くと、私は狭い場所にいるらしかった。
意識は戻ったのに、何も聞こえず、何も見えない。
ただ、体が何かに触れている感触はある。ひんやりとした感覚。
この感覚は壺だろうか。どうやら、人がすっぽり入るくらいの大きさの壺の中にいるらしい。
「…………! ………………!」
なんだか音が伝わってくる。誰かの話し声のような気がする。
マリナさんとクルスさんだろうか。
でも、音だという事は分かるが、その音は何故か音として私の耳には入ってこない。
声だという感じはするが、会話の内容は聞こえない。
私はもう少し注意深く、あたりを〈見回して〉みようと思った。
すると視界がゆっくり開けてきた。陶器の内側のようなものが見えた。薄暗い場所だ。
やっぱり壺の中らしい。なぜこんなところに?
でももっと疑問なのは、視界が重なって見えるような、そんな感覚だ。
前と後ろ、上と下、右と左が全部いっぺんに見えるかのような感覚。くらくらする。
今度は前らしい方向だけを集中して〈見てみる〉。するといつも通りの見え方に安定してきた。光が見えるほうが上なのかな?
壺の中にはどうやら液体のようなものが入っている。水の中だろうか。
少し粘り気のあるような液体の中だと思う。その中の筈なのに不思議と息苦しくない。
とりあえず視覚から分かる情報は得られたので、今度は話し声らしき音を〈聞いてみよう〉と思った。
すると少し聞こえてきた。やっぱり話し声だけど、少しくぐもっている。
ああそうだ、これは水の中で音を聞いているときのような感じの聞こえ方だ。
二人の話声らしき声をもう少しちゃんと〈聴いてみよう〉と思った。
するとくぐもった感じが消え、くっきりと聞こえてきた。
「とりあえず……集められそうなモノは全部入れてみたけど……」
クルスさんの声だった。
「いったい……これはどういう事なんでしょう……これ、メルティちゃん……なの?」
今度はマリナさんの声だ。どうやら二人とも壺の外にいるようだ。
とりあえず壺の外に出て、二人に何があったのか聞いてみようと思った。
私は立ち上がって、壺の外に出ようとした。
……あれっ……?
何故か、足に力が入らない。どうしてだろう。私は足元のあるほうに視界を落としてみた。
………………?
周囲を改めて見渡してみたが、足が見当たらない。視界には壺の中に満たされている水だけしか映っていない。というか、体そのものが見当たらない。
そういえば……そもそも何故私が気絶してしまったのか、ここでようやく思い出した。
確か、手が……そうだ、私の手!!
私は〈手を動かして〉見ようと思った。
すると、あれ……?何故かちゃんと手が動いている感覚がある。
〈指先を動かして〉みた。両手の指ともちゃんと動いている感覚がある。
どうやら手が無くなったわけではないらしい。でも相変わらず、自分の手も指も腕も見えない。ただ、動かすたびに液体が少し歪んで見えたような気がするだけだ。
どうにも現在の状況が今ひとつ分からない。でも手が動くなら、とりあえず壺の中から出ることは出来るかもしれない。
〈腕を伸ばし〉て、壺の縁を〈掴む〉。
「ひっ」という誰かの悲鳴のような声が聞こえた気がした。
私は壺の外に這い上がった。
壺の外に上半身を出した私を見て、マリナさんとクルスさんは凄く驚いた表情を見せた。
「ひゃああああああっ!?」
悲鳴はマリナさんのものだった。見てみると完全に腰を抜かしている。
クルスさんは体を落とし、腰の短剣に手を掛けている。臨戦体勢のような格好だ。
「な、ななな、なん、動いたっ!?
……えっ、これ、この形……メルティ……ちゃん?」
マリナさんがそう私に問いかけた。その驚きの意味は分からなかったが、
(そうですよ)
と、私は答えようとした。しかし、何故か声にならない。さっきからやっぱり何かおかしい。
「メルティちゃん……メルティちゃんの形してる……メルティちゃんなの……?」
マリナさんは私に向かって話しかけている。
私はそれに答えるために、視覚や聴覚の時と同じように、もう一度ちゃんとゆっくり〈声に出す〉ことを意識して話してみた。
「そう……ですよ、私です、メルティです」
今度はちゃんと声が出た。
「なっ!?……喋った……本当なのか……?」
クルスさんがもう一度驚いた声を出し、少し警戒した後……構えていた体勢を解いて普通の立ち方に戻った。
「あ、あの……いったい何が……?」
私の現状がどうなっているのか、私に何があったのか。どうして私を見てそんなに驚いているのか。
いろいろ聞きたいことはあったが、こう聞くだけが精いっぱいだった。
「う、うん……」
少しの変な間があった。その後、クルスさんが答えた。
「メルティ、君の体、どうなってるんだ……?」
「私の体、ですか……?」
そう、さっきから何か変なのだ。私はもう一度、自分の体を見てみた。
「えっ……?」
壺を掴んでいるはずの手を見てみた。
液体だった。
目線を下に落とし、自分の体を見てみる。やはり、液体だった。透き通った、少し青味がかった液体だった。
「えっ……えっ!?えっ!?なにこれ!?!?!?」
少しの後、落ち着きを取り戻したマリナさんが、会議室の隅にあった姿見の鏡を持ってきてくれた。
自分が映るはずの鏡の中は、違うものが映っていた。
液体だ。
いや、正確に言うと、液体のような何かが、私の顔と体の輪郭を作って映っている。
液体でできた私の姿だった。
「なにこれ……水?私の形した水……???」
私を見て、クルスさんがこう答えた。
「うん、これは……アレかな……スライム。スライムみたいだ」
「スライム……ですか?」
マリナさんが聞き返し、クルスさんがさらに答える。
「うん、やっぱりスライムだ。スライムがメルティの形になってる……と、思う。
いや、スライムの形のメルティ……?」
「スライム……」
スライム。よく見かけるモンスター。
森の中やダンジョンのひんやりした場所に特に多く生息する、おなじみのザコモンスター。
たまに街中の路地裏で見かけることもあるので、ダンジョンとかに行ったことない冒険者未経験の私でもその存在は知っている。
確かに、水の粘着感はこんな感じだし、色もなんとなくこんな感じの液体だ。
スライムだと言われるとしっくり来る。
「スライム……」
私はまたそう呟いた。どうやらこの顔、この腕、この体、スライムそのものだ。
「スライム…………」
私はショックを受けた……ような、なんだかこれを楽しんでしまっているような。
「確かに……でもどうして?」
マリナさんがそう聞いてみたが、何も答えられない。私にも何が何だか分からないのだ。
「まあ、そりゃ分からないよね……いったいどうして……
あっ、そうか、さっきメルティが言ってた言葉、スライム、だったんじゃ?」
クルスさんが思い出したように声を上げた。
そうだ。気絶する前に見たジョブマニュアルの表紙、たしかにスラなんとかって読めたような……?
「すみません、えっと、私がさっき持ってたジョブマニュアルって、どこにあります?」
スキルブックは祭壇のテーブルの上に置いてあった。マリナさんが持ってきてくれて、おずおずと私に渡した。
私は手で本を持ってみようとした。でも、液体の指では掴めず、本は私の指をすり抜けて落ちていく。
「わっ……と」
私はあわてて本を〈持ち直して〉みた。すると今度は落ちずにちゃんと持てた。
そのまま本の表紙を読んでみる。
「……うん、スライム、って書いてあります」
「読めるのか?」
クルスさんの問いに私は頷いた。確かに、この未知の文字が何故か理解できる。私は序章のページを読むため、表紙をめくってみようと思った。
そういえば、さっきより指が固まったような気がする。固まったと言っても、食事のデザートに出てくるゼリーのような感じだけど。おかげでなんとか本を支えられるし、本を開くこともできる。
本を開いてすぐ、序章のページ。
普通のジョブマニュアルなら、ここにジョブの概要が書いてあるはずだ。
私は内容を読み上げながら目を通す。
「ジョブ名『スライム』。モンスター職のひとつ。スライムと同等の能力を使うことができる……」
「……モンスター職?なんだそれ?」
「私も、初めて聞きます……」
二人が答える。
私は続きを読む。次はジョブ特性の項目だ。そのジョブに就くと得られるボーナスのようなものだ。
「えっと……『ジョブ特性』が2つあるみたいです。
ひとつは【スライムボディ】。体がスライム化し、自在に操れるようになる。
もうひとつは【魔物言語取得】。魔物の言語が理解できるようになる。
……だそうです」
「…………」
「………………」
二人ともお互いの顔を見合わせたあと、私のほうに顔を向け直した。言葉を失っているようだ。
「なるほど、このせいでこういう体になっている……っていう事なんでしょうか……」
「そ、そうだね。信じられないけど……」
「それに、2つ目のこれ。私がこれを読めるようになったのって、このおかげって事なんですね。
この文字、魔物の言葉なんだ。魔物も言葉を使うんですね……」
新米の私は魔物語なんて初めて知ったわけだけど、どうやら二人も同じのようだった。
「読めるのはここまでです。序章以降のページは読めません」
「そっか、それは他のジョブマニュアルと同じか……たぶん暗号化してるんだろうね」
読めるのはそこだけのようだったので、とりあえず私は本を閉じた。
「スライム化、モンスター職、魔物言語……どれもこれも初めて聞くわ……」
「は~~。世の中って広いなあ……なるほど……モンスター職……」
頭を抱えているマリナさん。それに対しクルスさんは感心したように頷いている。
二人ともそのあと無言になった。いろいろ考えこんでいるようだった。
少し無言の時間が続き、ちょっと気まずくなったので、私は疑問に思っていることを聞いてみた。
「あの、そういえば私、なんでこの中に入っていたんでしょう?」
「……えっ?え、えっと、それはね……」
あの後のことを、マリナさんとクルスさんが教えてくれた。
私が自分の手を見て気絶したとき、私は後ろに倒れこんだ。その時床に強くたたきつけられた。
でもその時、普通なら"どたん"という音で倒れこむはずが、その時は"ばしゃん"という音を立てて、体が爆発したように四散してしまったらしい。
爆発後は粘着質の液体があちこちにばらまかれていた。
直後は肌の色を残してした液体だったが、散らばると同時に無色に色を失っていた。
何が起こったのか理解できない二人はちょっとの間呆けていたが、キャーッうわーっというお互いの悲鳴で動きを取り戻し、パニックになりながらも、とりあえず散らばった私の体だったものをかき集めた。
なぜそうしたのかは二人とも覚えていない、なんとなくらしい。
少しかき集めた後、とりあえず祭壇室の片隅にあった大きな空の水がめに私の体を詰め込んだ。
他の小さな壺や掃除用のちりとりで何とかすくって水がめに入れたり、祭壇用のテーブルクロスでふき取って水がめの中に絞ったりしてようやく私の体を全部水がめの中に入れ切り、そのあたりでようやく二人ともパニックが収まったらしい。
いったい何が起こったのか、二人ともお互いに聞き返してはみたものの、何も理解できない二人はしどろもどろの会話を繰り返すのが精いっぱいだった。
で、どうやらその時の声で私は気が付いたようだ。そして壺……もとい、水がめの外に出て、後は私も知っての通りだ。
「それは……なんというか、すみませんでした……」
「いえ、メルティちゃんのせいじゃ……」
「うん、まあ、無事……で、良かった、本当に……無事って事でいいのかこれ……?」
再び少しの静寂。
私は改めて自分の体を見直してみる。
自分の手を顔の前に近づけて覗いてみる。
透き通った私の手のひら。わずかに青味がかったとろとろの粘液の向こう側に、会議室と窓の外の景色が透けて見える。
鏡のほうを向き、自分の顔をもう一度眺める。顔の輪郭は確かに私だと分かる。
そしてやはり、目も口も髪も液体だ。その形に輪郭が出来ているだけの液体。
目の形はあるのに目玉のようなものは無い。なんというか、彫刻の人物像みたいなつるんとした感じだ。
ちょっと怖いなと思って目を見ていたら、目のところに黒目が入るように暗く色が付いた。
ちょっとびっくりしたが、おかげでさっきより人間っぽい顔立ちになった。
笑顔を作ってみたりしかめっ面してみたりウインクしてみたりすると、スライムの輪郭もその通りに動く。
私の表情だ。とろとろになっている以外いつもと同じ表情だ。
顔に手を当てる。触った感触はやっぱり液体の感触だ。
液体の手が液体の顔に触れている、何とも言えない不思議な感触。手と顔の液体が混ざり合う感じがした。
手を離すと、液体は元の形に戻った。
鏡に映る体のほうに視線を向けてみる。すると胸のあたりに……なんだろう、他の場所とは違う色をした球体状のものがある。
よく見ないと分からないくらい色が薄い半透明で、外側が黒っぽい紫色、中心部が赤色の球体だ。
たぶんこれもスライム状なのだろう。位置的になんとなく、人間の心臓みたいだ。ひょっとしてここ大切な部分なんじゃないかな。直感で何となくそう思う。
体全体を見てみる。胴体の輪郭は出来ているが、やっぱりスライムだ。
腰から下、水がめに入った部分は形になっていない。完全に液体だ。上半身だけが私の輪郭になっているんだと気が付いた。
やっぱり私の形だ。
自分ではそんなに好きでは無かった貧相な私の形。
そんなにくびれてない腰、一応太ってはいないお腹。
そしてちょっとだけしか膨らんでない胸。
胸の先っぽは無くつるんとしているが、形はちゃんと私の胸だ…………あれ?
そうだ、今気が付いた。私の胸、完全に露わになっている。
え……私いますっぽんぽんじゃない!?
「はわわわわわわわ……っ」
突然叫びだした私を、二人がびっくりして見つめる。
「え、なに!?どうしたのメルティちゃん!?」
「ふふふ、服っ!!私の服はどこに!?」
私の言葉にはっと気が付くマリナさん。
「えっ……あっ!?あ、あそこっ!テーブルの上に!!」
びしゃびしゃに濡れた私の服。私はあわてて手を伸ばす。
「ふ、服っ!私の服っ!!!」
服を取ろうと、慌てて水がめの中から飛び出す。すると足がつっかえ……というか、足の形をしていない私の下半身が水がめに引っかかり……
ぐらっ。
「あっ……」
水がめは横倒しになり、上半身が床に叩きつけられ、私の体は再び爆発四散してしまったのだった……。
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