第4話 生ぬるいソーダの味

 まったくおかしな話だ。


最初はそう思った。でも十季のあの真剣な表情、ここではないどこか遠くを見つめるような目が本当にあったことなのだと咲に思わせた。


ジリジリジリジリジリ


外では暑さに拍車をかけるようにセミが鳴いている。


咲はもう昼だというのにベッドの上でダラダラと寝転がっていた。


「なんであいつ、私にいちばんに相談しないのよ。葉にばっかり...ンンン〜ああーもう!!!」


一人部屋の中で、ピンクのクマさんのクッションにパンチを二発。

ズコッ。ズコッ。鈍い音を立て、クマさんの顔を凹ませている。


あのレストランで4人が合流して以来数日が経ち、ついに夏休みがやって来た。


高校生活最後の夏休み。受験勉強だけでは惜しいので、また1年生の頃みたいに4人で何かしようという話になった。


函館には8月に"港まつり"なる祭が1日〜5日まで開かれ、1日の日には夏の夜空に花火が打ち上がる。それを4人で見に行こうという流れになったのだ。


今日は7月23日、夏休み2日目。


咲はおもむろに起き上がり、部屋の隅にある写真を見る。3年前に撮ったものであり、写真には浴衣姿の幼い女の子と少し大きめの犬が楽しそうに写っている。


港まつりなど3年前に家族で行ったっきりである。その時にはノアもいたっけ、と思いを馳せる。


そう、私は犬を飼っていた。


まだ咲が小学6年生の時に親に懇願してやっと飼えた愛犬。名前はノア。


飼い始めた当初は面倒もよく見ていたし、可愛がっていたと思う。でも1年経ち、咲が中学生になると部活やら友達との付き合いが増え、なかなか面倒をみなくなっていった。


中学3年生の中体連、咲はバドミントンの個人戦で勝ち進んでいたが、準決勝という惜しいところで僅差で負けてしまった。家に帰るとノアがいつものように駆け寄ってきてくれたが、私はそれを追い返すように言った。


「ノアうるさい!あっち行って!!」


その言葉を最後にノアとは会うことはなかった。


玄関から家を飛び出したノアは、運悪く車に轢かれ亡くなってしまった。

咄嗟に呼び止めた声も届かず、後には見るに耐えない光景が道路にはあり、咲を恐怖と後悔の渦へと誘った。


あの時のことを咲はずっと後悔していた。


「ノアごめん、ごめんね...私...」


掠れた細い声が虫の鳴き声にかき消され、青い空に跡形もなく消えていった。


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 夜明けとともにレースから光が少しずつ差し込んでくる。光に目を細め、あくびとともに流れた涙を拭う。


葉の朝はいつも早い。


ひとつ深呼吸をし起き上がりリビングへ行き、冷蔵庫から新品のソーダを取り出す。


「よしっ今日も行くか」


夏の休日の朝はよくランニングすることが多い。十季と家が近い葉は、よく五稜郭公園の堀を走っている。春になると満開の桜が咲き、多くの観光客で賑わう。


夏休みに入って3日目、今のところ毎日約5キロの距離を葉は走っている。


元々勉強に加えて運動もできた葉は、よく女性にモテている。それは自分でも自覚していた。それを行動や態度に出すとよく十季にやっかまれるのだが...

フォローするようだが、十季もモテる方だとは思う(自分ほどではないが)。身長は俺と同じ175センチとわりと高め。少し長めの髪が陰キャ臭さを醸し出しているが、それが似合っていると思うし、あいつが短髪なのを想像できない。


持ってきたソーダを取り出し、勢い良く喉に流し込む。ソーダが熱った身体と喉に強い刺激を与え、生き返るような冷たさだった。


十季とは高校に入ってからの友人だが、わりと深いことまで話せる親友だと思っている。だから十季の性格やあれこれもよく知っているつもりだ。だから分かるのだが十季は鈍感な奴だ。それもかなりの。

近くに想ってくれている人がいるのになんで気づかないのか。

まあ、俺から十季に伝えてあげても良いのだが、それはなんか違うような気がするのでこの3年間、2人を見ていて歯がゆい気持ちを続けている。


「あいつら、ほんと。」


外の生ぬるい空気を大きく吸い込み、勢いよく吐き出す。


「今を大切にしろよ...十季、咲...」


ジリジリジリジリジリ


まだ朝だというのに、セミは大合唱を繰り広げている。


この季節になるといつも思い出してしまう。あの日もこんな夏の日だった...

そうあの日は...


葉には昔好きな人がいた。


ある小学生の夏の日の出来事だった。葉はその日、女の子と海を見にいっていた。


長くて綺麗な黒髪と、儚げな目が印象的な彼女。


その日は夏だというのに少し肌寒く、それが理由なのか海にはあまり人がいなかった。


彼女は少し強引なところがあり、いつも俺の腕をひっぱり外に連れ出してくれた。そんな強引で少しわがままなところも含めて、俺は彼女に惹かれていた。


浜辺で押しては返す波と戯れていた彼女は、後ろから大きな波がきているのに気づかず、そのまま彼女は波に攫われ、帰らぬ人となってしまった。


俺は彼女が攫われていくのを見ていたのに、怖くて足がどうしても動かなかった。


つくづく思う。俺は弱虫で意気地なしだって。


あの時俺が動けていれば、もっと早くに助けを呼んでいたら、彼女は今もこの世界にいたかもしれない。


葉は苦くて切ない過去から逃げるように、今日も脚を前に前に動かした。


右手にあるソーダは手の熱でだんだんとぬるくなっており、少し気が抜けていた。


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