第2話
そして、特に警戒する事も無くさらりと男三人の零細愛好会の部室へと足を踏み入れたショートカットの女子は、開口一番。
「うわ、くっさ!」
と鼻を摘まんで笑いだした。
そうして次の瞬間には
「う~ん、バッドスメル……まるで我が弟の部屋の様なスルメスメルだぜ」
などと、眉間に皺を寄せながら闇鍋の様に物が溢れる部屋の中を首から下げたカメラでパシャパシャと。
「ふむふむ、やたらと時計がありますな。これはもしかして時間を利用したトリックの研究なのかな、ワトソン君?」
おちゃらけた様子でそんなセリフを口にして、壁際で眉をひそめていた眼鏡少年アラタに微笑みかけてみせる。
その笑顔を正面から受けて、慌てて文庫本に視線を落としたアラタはぼそぼそと。
「……それがホームズの相棒の事を言っているのならば、『ワトスン』と発音するのが正確だぞ、
「? へえ、そうなんだ。良く分かんないけどさすが屋形君だねっ。この私が見込んだだけの事はあるよ、うん」
理屈大魔神の余計な添削にぱちくりと瞬きをしてから両手を広げて驚いて見せた彼女は、腕組みをして深々と頷いている。
「…………むむむ?」
そんな彼女を観察しながら、玄葉カケルは思わぬ女子の登場で乱れた頭を整理する。何やら様子のおかしいもじもじ眼鏡こと屋形新太を信じれば、訪問者の名前は浅川というらしい。
目測百六十センチ、透けそうで透けないでもちょっと位は透けて欲しい感じの白シャツにチェック柄のスカートを合わせ、かなり短めの茶髪と大きめの声が活発な印象を与える女子である。
女子である。
髪型だけ見れば男の様だが、そのキューティクルとしなやかな身体は隠しきれない女の子。
女の子と書いて、女子である。
女子が、部室に居る。
女子が、すぐそこにいて。
その名前を野郎が口走ったという事は――。
「! 付き合ってんじゃん!」
ぴょこんと飛び上がるほどのカケルの驚愕に、アラタは小さく首を振って。
「……同じクラスだ。知り合いと言う程にも知ってはいない」
やれやれといった感じのポーズを取りつつ、真っ直ぐにカケルを見つめたままで立ち上がった。
「二年三組、
「『白書』?」
聞きなれない単語に眉を寄せたカケルに対し、新太はちらりと彼女の方を窺って。
「元は生徒会の広報機関だった部署がかつての学生運動ブームに乗って独立した物で――まあ、要するに新聞部だ。一階に部室がある」
人差し指で階下を示した眼鏡の説明に、浅川はこくんと頷いた。
「うん、そう。『雑ヶ谷白書』って言う新聞を発行してるんだよ。最近ウェブ版も人気だし、雑高生の間じゃ結構有名なんだぜ?」
言って、浅川かなめはふにゃりとVサインを構えて見せた。
「ちなみに、現在発行されている号は新入生向けに《雑高の有名人》を特集したモノだ」
そんなミーハー新聞の内容に『ふうん』と冷たく頷いたカケルが、疑り深い目で新太の様子を見つめていると。
「……で、そんな美少女新聞記者が何の相談なのさ?」
長机の上から、男にしてはやや高め、デブにしてはかなり高めの安楽良の声が飛んできた。浅川かなめの登場以来彼がここまで黙っていたのは、別段女子という異分子に緊張していたのではなく、単にデザートのポテチを食べていたからだ。
いや、真のデザートはコンソメ味と化したその太い指なのかもしれないが――。
「僕ら探偵愛好会はさ、チュパ、友達には言えない悩みを打ち明けて気が紛れるような、チュパ、そういうチュパ心の相談員みたいなチュチュ優しい他人じゃないんだよね。相談されれば勝手に首を突っ込んでレロレロ僕らが良いと思うように振る舞うだけさ。ま、その辺割とロックでアバンギャルドでハードボイルドなわけよンチュー、わかるかな――?」
「だあっ! 分からせる気あんならチュパチュパすんなこのデブッ!!」
「えっ!? どこにデブ――あっ、これかぁ。ははは、嫌だなあカケル君。僕はデブじゃなくてパワータイプなんだよんちゅ~」
自らの太鼓腹を撫でながら、小指を吸い上げる安楽良。
「筋肉と脂肪の割合な! だーっもう、頼むからやめろっ、やめやがれ! 音と見た目が暑すぎるっ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ愛好会員の様子に、新太は溜息交じりに首を振って。
「……悪いな浅川。馬鹿ばっかりで」
すると、楽しそうに二人を見ていた浅川かなめは両手をぶんぶんと顔の前で振り回しながら。
「え? あっ、ううん全然。こっちこそなんかごめんね。食事中に」
両手を軽く合わせてきゅっと眉を下げて見上げる茶短髪の少女から視線を外し、新太はぽりぽりと耳の下を掻いた。
「いや。気にしないでくれ。安楽は常に食事中だから。さっきも、パンを食べていたし」
「ええっ!? ポテチはデザートですってか!? いやーそいつはすごい、活字映えするね。うんうん、さすがは安楽君だ」
わざとらしい位に驚いて見せた女子のいたずらな瞳の中、安楽良はにこやかにコンソメパウダーを舐めとりながら。
「いえいえ、我々にとってポテチなどフィンガーボウルのような物ですから」
「バカか。フィンガーボウルで指を汚してどうすんだよ」
口を挟んだカケルの知る限り、フィンガーボウルはお洒落に指を洗うためのお洒落水のことである。中学の社会科見学で赴いたオシャレストランで間違って武士風に飲んでしまい『死ぬ死ぬ!』と大騒ぎしたから間違いない。その情けない姿を見られて消えてしまった初恋に似たほのかなレモン味のあれは絶対にポテチではない。
「ははっ、何を言ってるんだいカケル君。汚した指を綺麗にするまでがポテチじゃないか。その意味で《ポテチ=フィンガーボウル》の等式が成り立つのさ」
これ見よがしに指を舐める良に、カケルはいーっと犬歯を剥き出し鼻に皺を寄せて。
「お前だけな。そんなの山川にゃ絶対載らねえぞ」
「山川は歴史の教科書ですぅ。等式とは関係ないですぅ」
「その山川じゃないですぅ。俺が今作った会社ですぅ」
「じゃあ知らないですぅ。無知でムチムチでごめんなさぁい」
「謙遜しないでくださぁい。安楽君はムチムチってレベルじゃありませぇん」
両手の親指を鼻に当ててひらひらさせ合う仲間の姿に、新太はやれやれと肩を竦めた。
「……まあ、こんなんで良ければ、その相談とやらを話してくれないか。出来る限り力になろう」
じっと部室の中を見つめながらのメガネの言葉に、けらけらと笑っていた浅川かなめはわずかに頷き、すうっと息を吸い込んで。
「うん。実はね、君達に見つけてもらいたいのだよ。わが校に隠された伝説のお宝をさっ!」
ぽかんと並んだ三つの馬鹿面の真ん中あたりにカメラを掲げた謎のポーズで躍り出た。
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