やがてそれは秘められた。 ~雑ヶ谷高校探偵愛好会~
たけむらちひろ
第1話
春と夏の境目にある大型連休を後ろに控えた土曜日の午後、補講を終えた放課後の公立
何故この街がこんなに暑いのかと聞かれれば、それは『雑ヶ谷だから』と答える以外にない。盆地にあるからだとか、南部のビル群に溜まった熱波が風に運ばれるからだなんて分析は多分全部が後付けで、真実、『雑ヶ谷は暑い』。それだけである。
どれくらい暑いのかと言えば、もう、ハゲが勝ち組になるくらい暑い。夏場、日差しを防ぎつつも熱を貯めこむ中途半端な毛皮を纏うのは生物として劣っていると思える程だ。だからこそ、毛髪を着脱式にするという革命的な生き方をしている校長に対し、
つまり。要するに。雑ヶ谷高校は今日も明日もクソ暑い。
だから。
「あっぢぃ~~」
大小様々な文化部が拠点を置く蒸し風呂の様な文化棟の二階の端の部屋。少し前まで物置場になっていたその部屋の窓辺で『週刊ベーブルース』こと『週ベ』を顔に乗せ、だらっとソファにもたれている探偵愛好会の一員
いや、一応袖を捲ったシャツを上に羽織っているので厳密にはパンツ一丁ではないのだが。
「……せめてボタンを留めてくれないか」
開け放たれたシャツからこぼれる色黒の腹筋に一瞥をくれ、再び手の中の文庫本に目を落としたのが探偵愛好会会長にして創設者でもある
そんな真面目メガネの言葉に、窓際でのびていたカケルはへんてこな腕時計を巻いた腕を持ち上げかけて、
「……あ~だめだ。動かしたところが溶けちまうわ……」
再びその手を重力にまかせ、先程よりもアグレッシブにだらけ始めた。
「だったら日陰に入れ。窓辺に居ても風など来ないぞ」
汗で滑り落ちる眼鏡をくいっと指で押し上げて、部室の入り口脇に積み上げられた長机の上に腰かけていた屋形新太がカケルに言う。
地元出身の――いわゆる『原住民』と呼ばれるカテゴリーに属するメガネ少年は、長年の経験からこの季節のこの時間、雑ヶ谷に風が吹かないことを知っていた。
「風……かあ……」
現に、カケルの脇に垂れ下ったカーテンはピタリと静止したままで微動だにせず、前部を開かれた制服の裾も、まるで宝の在処を知らせる魔法のコンパスのように完璧に地球の裏側を示したままだ。
「……なあ、軍師よ」
長い前髪の下に滲んだ汗をぬぐいながら、玄葉カケルが読書中の新太を横目で見た。
「? なんだ?」
「ちょっと画面端でお祈りしてきてくんね?」
「……俺は諸葛亮ではない」
どこの無双ゲームの赤壁かと、雑ヶ谷高校探偵愛好会の会長は言う。
「そもそも望んだ時に風を吹かせられる人間がいたら、かのミステリーの名作は成り立たなくなってしまうではないか」
「へぇ~すげえな~。本格様にゃそんなトリックもあるのか~」
ぱたぱたと手で顎のあたりを扇ぎながら、カケルはぼやけた頭の中に風と関係がありそうなミステリーの名作タイトルを思い浮かべて。
「……そうだよな~、風と共に去れないと困るもんな~」
伝統と言う名のシミが目立つ天井に向かい喘ぐように呟いた。
「……一応言っておくが『風と共に去りぬ』はミステリーではないぞ」
「あ~……マジか~。てっきり怪盗がビルからグライダーで飛び去るのかと思ってたわ。んじゃぁ読まなくていいやな」
暑さのあまりずるずるずるっと椅子から溶け落ち始めたパン一の少年に、眼鏡の新太は読んでいた国産本格ミステリーの文庫本をひらひら振って。
「あのな、玄葉。探偵愛好会たる者、少しはミステリーくらい読んだらどうだ?」
「漫画かゲームになったらな~」
暑さで溶けた人間の本能なのか、床に崩れたカケル少年は、より冷たい場所を求めて床の上をくねくねと這いずり回る。全開の窓から差し込む初夏の日差しが、彼の動いた後にテラテラと汗を輝かせていた。
「やめろ。床が臭くなる」
なめくじよろしく太陽の魔の手の外側へと転がってきた半裸男を睨みつけ、長机の山からひょいと飛び降りた新太は古いアルミ扉を振り返り。
「今日、
「ん~? ああ、飯食ったら来るって言ってたから……そろそろ来るんじゃねーの?」
言って、カケルは部屋中に存在する大小様々な時計の中から一番近くの目覚まし時計へと視線を向けた。
と、そこへ。
ガン、ガン、ガン、と部室棟の鉄階段が揺れる音。
時刻は十三時過ぎ。
一コマ五十分の授業を四コマ終えて昼飯を食べ終わるにはちょうどいい時間。加えて、クーラー付きの本校舎からだと遠回りになる古臭いこちら側の階段をわざわざ利用する人間はそれほどいないと言う事実。そして何より、特徴的にきしんだ階段の音でカケルは自分の言葉が正解だったという事を理解した。
なぜならば。
「お疲るぇ~」
ガチャリとアルミの扉を開けて現れたブレザー姿の少年の体型がその答え。
一般的な男子高校生より縦に長く、横には大分大きい。つまり、全体的に丸っとデカい。ロシアの民芸品の如き楕円形だ。そういう目で見ると、雑ヶ谷の暑さに湧き出した額の汗をハンカチで拭うその顔はロシア人に見えなくもないホリの深さ。
そんな
「おいおい……いいのかい? 君達がそうやってだらだらしてる間にも、『キスアス』はどんどん上に行ってるんだよ!?」
「……そうか」
冷たく呟き、ぽっちゃりの登場によって急上昇した湿度で曇ったメガネを拭き始めたアラタの向こうで、暑さにとろけていた少年の瞳が燃え上がる。
「そいつは……聞き捨てならねえな……」
ズドン、と拳を床に叩き付け、身を起こした玄葉カケルのシャツの裾が怒りで揺れる。
「ジャ○ーズに負けたまま、男子高校生がやってられっかってんだよっ!」
例え好きでも何でもないあの子であっても、クラスの女子がカッコのよろしい男にキャワついているのを見るとなぜかイラッとするのが男子と言うモノ。
エッチなお姉さんが大好きな自分はさておいて、男のアイドルなどに負けるわけにはいかないのだ!
「そうだ、その意気だよカケル君! 我々はマスコミと芸能事務所による顔面価値観の世界的統一を断固是正するのだ!」
「おうよ! みんな違って!」
「「みんな良い!!」」
ビシィッ! と拳を振り上げ、体中から怪気炎を上げる二人のメンバーの掛け声に屋形新太は溜息をこぼして。
「……言っておくが、彼らは『カッコいい』をキープするために多大な努力をしているんだぞ? それを俺達の様なシケた連中が何の努力もせずに『自分も良い』等と、まるで世の中は平等だから金持ちから税金を取れと言うような怠惰な貧乏人の根性だな」
まくし立てられた言葉の端々から何かしら馬鹿にされた事を悟ったカケルが、アラタのメガネを指さして吠える。
「うるせえ理屈魔人! ちょっと眼鏡かけてるからって頭よさそうなこと言ってんじゃねえぞ、この事務眼鏡が! おいリョウ! 本物の賢いマンとして何か言ってやれ……って、お前飯食ってきたんじゃねえのかよ!?」
室温を上昇させていたカケルの怒りが驚きに変わる。
なぜならば、
「え? ほうだけど?」
そう答える安楽良は、先程までアラタが座っていた机の山を軋ませて、もともと膨らみ気味のほっぺたをパンでパンパンにしていたからだ。
「ほうだけどじゃねえって! お前、キスアスにデブがいるか!? 気が付いたらパン食ってる奴がいるか!? そうやってお前がぶくぶく太ってる間にも、奴らはどんどん上に行ってるんだよ!」
「ふふふ、やだなぁカケル君。顔が良いだけの男なんて所詮は中身の無い風船じゃないか。どこまでも上に行けるように見えて、ある程度の所でそれは止まるのさ。僕の楽しみはやがて落ちてくる彼らの残りカスをぐりぐりと踏みつけるように叩く事なんだ」
ニヒルに唇をゆがめた安楽良は、両手に持ったクリームパンとあんぱんを交互に至るべき場所へと導きながら。
「その時にさぁ、出来るだけ太っといた方が良いと思わないかい? 物理的にも、精神的にも、太った醜い男に蹂躙される方がさぁ……」
そのふくよかな身体から漂う醜いと言うよりもおぞましいオーラを受けて『うっ』と呻いたカケルは、片手で呼吸器官を守りつつ。
「お、おい……良? な、なにかあったのか? 相談に乗るぞ? ほら、おじさんに言ってごらん? やけ食いは身体によくないんだぞ」
いつも通りでありながらいつも以上に異常な仲間の様子に、頬を引き攣らせたカケルがにじり寄る。
「やめとけ、玄葉。どうせ安楽のやることはネットで叩くだけだ。物理的にどれだけ太ったって意味は無いし、相手に体型が見えるわけでもない。せいぜいが同じ穴のムジナどもと掲示板に書き込む速度を競うだけだろう」
「そ、そうなのか……?」
何がそうなのかわからずとも、自信満々のアラタの物言いに仲間を案じたカケルの足は踏みとどまる。
「現実を見ろ、安楽。奴らは見栄えの良さで大金を稼ぎ、お前の手の届かない高みに居る。世の中とはそういう物だ。お前達の業界でも言うそうじゃないか? 『ただのイケメンに限る』って」
「『ただし』ね! ただしイケメンに限るのね! なにそのちょっと他には何にもできないイケメンが庇護欲をくすぐって最高みたいな――って、僕はどこの業界人ですか!」
「ああ、そうなのか。悪い。てっきり『亭主は元気で留守がいい』の様な女性主体の言葉か、あるいはお前の様な美少年愛好業界の言葉だと思っていた」
「否定はしないけどねっ!」
鼻息荒く残りのクリームパンを頬張った安楽良は、
「アラタくんは古い人間だね! 見た目や性別や性癖なんてただの個性に過ぎないんだよ! ねえ、カケル君もそう思うだろ!」
しかし激しくパンを飛ばしながら振り向いた先、パン一の友人の顔は驚愕に染まっていて。
「……良、お前、道理で……」
「ぶほっ! 道理でって何かな!? 違うよっ! 君は『美』ではないから乳首を隠さなくてもいいんだよ! そんな乳首なんて全然凝視できるからね! ほらほらほらほらそいやそいやそいやあっっ!」
そっとシャツで覆われたカケルの恥部を歌舞伎役者よろしく睨みつけた安楽屋は、どかりと長机の山に腰を下ろすと、鞄の中から取り出したポテチの袋を乱雑に破って甘いパンとポテチの怒り食いをおっぱじめた。
それらを薄く笑いながら見ていた新太が再び壁際に座って文庫本に目を落とし、暑い暑いとつぶやいたカケルが再び椅子の上でだらけ始めた。
誰かが何かを言い出すまで、少し前の光景の繰り返し。
そう、雑ヶ谷高校探偵愛好会が集まった所でやることなど無いのである。
――と。
トンカシャドンガシャガシャ。
カビ臭い部屋に転がった退屈に耐えきれなかったかの様に、部室のおんぼろ扉が音を立てた。
「ん?」
三人の視線が、安っぽいアルミの扉に集まる。
凪いでいる風が揺らすわけがなく。すぐ横の鉄階段を上がる音も下る音も聞こえなかったので、誰かが通り際にぶつかった音でもないだろう。
トンカシャトン。
と、再び。
今度はさっきよりもはっきりと。明らかにそれと分かるノックの音が部屋に響いた。
ちらりと腕時計を確認しズボンのファスナーをグイッと上げた玄葉カケルは、こちらを伺う仲間達の顔を見渡してその真ん中を歩き出す。
隣のボロ階段の音がしなかったという事は、謎の訪問者は反対側の階段から二階の一番奥にあるこの部屋の前までわざわざやってきたという事だ。そして、新参者の探偵愛好会を除くこの文化棟の部室の扉には全て部活やら愛好会やらの団体名が表示されている。だからよっぽどのおっちょこちょいでない限り、部屋を間違えたという事もないだろう。
つまり、訪問者はこの『探偵愛好会』を訪ねてきたのだ。
愛好会の開設から約三か月、そして部室強奪から一か月、顧問が姿を見せた事は一度もないし、何かといちゃもんをつけてくる生徒会の連中ならばいつもの様に扉の外から声をかけてくるだろうし。
一体誰が? というよりも。
「何の用だよ?」
身構えたカケルが、ガチャリとドアノブを捻る。
すると。
「……あん?」
扉の隙間には、とても人間の物とは思えない無機質な一つ目があって。
それがカメラだと気付いた瞬間、パシャリ、とフラッシュが光った。
そうしてごついカメラの下からクソ暑い雑ヶ谷の白日の下へと晒し出された訪問者の正体は――。
「初めまして、玄葉カケル君。って言う事は、噂の探偵愛好会はここでいいんだよね?」
くりっとした瞳といたずらっぽい笑顔が印象的な、
「実はわたくし、ちょっとご相談がありまして」
真っ直ぐに目を見つめてくる、短い髪の女子だった。
「お……おう」
意表を突かれて素直に頷いたカケルが、思わず社会の窓にそっと触れて閉まっていることを確かめたくらいに女子だった。
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