第5話――心臓の音

「ごめん、なさい……」


 背中の彼女は、ただ、そんな言葉を繰り返すばかりで。


「……」


だから、僕の方こそ謝らなくちゃいけない。


「……ごめん」


「え…?」


「…嫌われてる、なんて言ってごめん」


「……」


「勝手に独りぼっちになろうとして…ごめん」


「………」


彼女の腕が、いっそう僕の身体を締め付ける。


「……私のほうこそ、ごめん」


その顔は――涙で濡れていて。


「あなたが倒れたって聞いて…私は……」


どうやら、彼女の耳にも僕の話は入っていたらしい。


「トイレから戻った時…あなたが、保健室からいなくなってて…」


え、戻った時…?


「それじゃあ、さっきまであそこに――?」


「うん…」


彼女はゆっくりと頷く。


「私…謝ろうと思って。昨日のこと…」


……。


「でも――あなたに会うのが、怖くなって」


「……」


「見限られた、って思ったから…」


「それで…」


「うん……」


…それで、今日は教室に来なかったのか。


「でも…」


彼女の目が、真っ直ぐ僕を捉える。


「それでも謝らなくちゃいけないと思って……後で教室に来た時には、もう――あなたは保健室に運ばれてた」


…それから彼女は、僕が目覚めるまでずっとあの部屋にいたらしい。


僕に謝るために。


「…あのさ」


「うん…?」


「…僕も、見限られたんだって思ってた」


「……」


「でも、そんなことはどうでも良くて――僕も、君に謝らなくちゃ…って思って」


……。


「それで…ここまで来た」


「……そっか」




――静寂。


お互い、一言も話さず。


僕は彼女に身体を縛られたまま。


長い長い沈黙。


でもそれは、決して気まずいものではなく…




「……心臓」


「えっ?」


「心臓の音……聞こえる」


僕の胸元に耳を当てた彼女が、呟いた。


「ねぇ…ずっと考えてたんだ…」


――彼女の視線に、僕は釘付けになる。


「…何のために生きているんだろうって」


何の、ために…?


「心を読むのに必死で生きてきたけど――あなたと出会って、初めてその必要が無くなって」


……。


「…それで気付いた。私の生きる意味、今まで以外に何も無かった――って」


「……」


僕は言葉を失う。


「心を読むことなんて嫌いなのに、結局はこの能力に縛られたままで…」


掠れた声が彼女の口から漏れる。


「心臓は動いていても、私の心はとっくに死んでた――」


「小海さん…」


「生きる意味が分からなくなった――」


生きる意味――。


「でも、私…やっと気付いたんだ」


「気付いた…?」


「うん――私の、本当の生きる意味」


彼女の琥珀ひとみに、僕が映っているのが見えた。


「……あなたは?」


「…え?」


突然、彼女は思い立ったように言った。


「あなたの、生きる意味…」


「……」


そう、僕の生きる意味。

僕は――





「私は――」


…え?


「――普通の女の子になりたい」





顔と顔が近付く。

その、直後――。


唇を、柔らかな感触が伝って。

ほのかな甘い香りと、吐息。


――。


……。





「……」


「――涼介」


「…うん」


「――それで、いいの?」


「……うん」


「――本当に…そんなことでいいの?」


僕は頷く。


「……ありがとう」


琥珀色の視線が、頬を撫でる。


僕の生きる意味。

一度は見失ったもの。


たぶん、さっきからバレていたんだろう。

…僕は分かりやすいから。





――零花れいかの心臓の音が、聞こえる。


そのまま彼女は――ドアの鍵を閉めた。






















































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