第80話

 お父さんとの面会日。私はこないだのことがあったから、ドキドキしていた。今回はお父さんがこっちの街へやってきた。


「この鰻屋さんに入るの!?高そう……お父さん、お金大丈夫なの?」


 地元でも有名な鰻屋さんのお店で、私も生まれてから一度くらいしか行ったことがない。


「大事な話をする時はこういう店を予約しておくもんだ。桜音おとが夏バテしないように鰻屋にした」


 そう言って、お父さんは暖簾をくぐる。大事な話?やっぱり家のことかな?……私には千陽ちはるさんや栗栖くるす家の人たちがいるから……うん。言われても大丈夫。諦められるはず。


 ただ、あの家に住むお父さんたち家族を目の当たりにするのは辛いし、新しい家族たちも私がいたら居づらいだろうし、やっぱり今の町からは出たほうが良い……今よりは少し栗栖家から遠くなるだけ。住むところ、早く探さないと……。


 店員さんが最初にタコときゅうりの酢の物を持ってきてくれる。


「えっ……まさか……コースなの!?」


「そうだけど?」


 お、お父さん……と私はとまどう。


「こういう店に娘と来てみたかったんだ。酢の物、生姜効いててうまいぞ」


 確かに食べると夏に合う味付けで、酢と生姜が効いた酢の物は美味しかった。


 鰻重の蓋を開けると、端から端までびっしり鰻が詰まってた。ふわりと甘いタレの香ばしい匂いがした。箸で摘むと柔らかくて、ホロッと崩れる身。


 口にいれると脂が乗った身に甘いタレが絡み、ご飯に合う。


「美味しい!」


「良かった。ここの店の美味いけど、なかなか食べさせてやれなかったからなぁ」


 お父さんもモリモリ食べていってる。


 デザートは水ようかんと巨峰が横に添えられていた。


「それで大事な話なんだが……」


 うん。と私は頷いた。大丈夫だよってお父さんに言う準備はできてる。


「家は桜音に残すことにした」


「うん………えっ!?お父さん!?いいの!?」


「ああ。いいよ。奥さんに、どうしても一軒家がほしいなら、祖父母の家に入るか?って言ったら、それならいらないって断られてしまったよ。今、住んでるところの近くで、中古住宅か貸家を探すことにした」


 奥さんの怒ってる顔を思い出したのか、やれやれと渋い顔をするお父さん。


「いきなりどうして!?」


「それは千陽くんやこないだの女性……他人があんなに一生懸命桜音を守ってくれているのに、父親の自分は何してるんだって思ってね……悪かった。桜音の気持ちをまず優先させるべきだった」


 私は言葉が出なかった。


「良い人達じゃないか?千陽くんとあの家で暮らしてもいいし、好きなようにしてもいいが、就職して、卒業してからにしてほしい……とやかく言う権利などないかもしれないが……これでも一応、心配はしてるんだ」


 うん……と私は頷くことしか出来なかった。精一杯、言葉を探して言った言葉は1つだった。


「ありがとうお父さん」


 ああ……とお父さんは頷く。もう何も言わなかった。言わなくても今は大丈夫だった。ずっと長い間、お父さんと私のすれ違っていた目が合う。


 夕方、千陽さんとまだ暑さの残るコンクリートの道を歩く。


「これ、お父さんから、栗栖家にお土産です」


「えっ!?………ええっ!?鰻ーっ!?これ、しかも……あの有名店の!?高くなかった!?」


 袋を見て、私と同じように反応し、動揺してる千陽さん。


「千陽さんや栗栖家にお礼を言いたいって……あの……お父さんが今日、家は私に残してくれるって話をしてくれました。ほんとに私もありがとうって言いたくて……」


「僕はそんな……力不足だったって思ってて……なにも……」


「私がいないところで、私が聞きたくないような話をしてくれてたんですよね。由佳さんも私に聞かせたくなかったって言ってて、千陽さんも私にお父さんと会ったことを内緒にしていたのはそういうことなんですね。私のかわりに戦ってくれていたんですね……ありがとうございます」


 それがすごく温かくて、守られてるって実感してしまって……ホントは私が向き合わなきゃいけないことなのに甘えてしまって……あの一人ぼっちで我慢して一人で戦わなきゃって意地張ってた頃の私はもういなくて、今、私は心が震えるくらいにとても幸せだと思った。ちゃんと私が幸せだってこと千陽さんに伝わってるかな?


 言葉で言うのは難しい……だから、そっと手を伸ばす。農作業で少しゴツゴツしてて、硬い豆のある手のひら。私より大きな手に私は手を伸ばして、手を繋いだ。この一生懸命仕事をしている手が好きだなって思う。


 驚いたように一瞬、千陽さんはこちらをみて、それからフッと笑った。ちゃんと伝わった?伝わってるよね?私も笑い返す。


 夏の夕暮れ。手を繋いだ影がアスファルトに伸びてゆく。この時間がもったいないから、ゆっくり二人で歩いて行こうって千陽さんは言った。

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