第68話
その日は朝から雨が降っていた。雨合羽を着て、田んぼの水を見て回る。山には白い水蒸気がかかっている。湿度が高くて蒸し蒸しとしている。
母さんがはやくー!と呼ぶので、そのまま行くと……玄関先に立ってたのは……。
「急に訪ねてすまないね」
「え……?どうしたんですか?」
「なんだか、来たくなってね」
そう言いながら、僕から目をそらして山の方を見るお父さん。
「えーと、別に良いですが、中へとりあえずどうぞ」
客間に案内しなさいと母さんが手で合図する。客間にはすでに座布団が用意されていた。母さんの素早さがすごい。
「ちょっと僕、雨に濡れてるので、着替えてきます」
「仕事を中断させてしまったか?すまない」
「雨の日はそこまで忙しくないので、大丈夫です」
母さんが台所で温かいお茶をとお菓子を用意していた。もうお盆に2つ載っている!僕は髪を拭き、服を慌てて着替えて、客間に戻ると、それはもうテーブルの上にセットされていたのだった。
ムーが仕事終わったなら遊ぼうよ!とクルリクルリと足元に絡んできたが、後から!とひと撫でしてから母さんに渡す。
僕は
「急にどうしたんですか?全然、遊びに来てもらってもいいんですが、今日は平日なので、桜音ちゃんも学校行ってますし……」
「君に用があってきたんだ」
熱いお茶を手に持ち、飲むお父さん。
「農業を仕事にしているんだな。楽しいか?」
え?そこ?僕は質問に驚いたけど、ハイと答える。
「やりたいと思ってしてる仕事なので、やりがいがあります」
「そうか……ここへ来る前に道の駅に寄ってきた。
「ええっ!?いや……わざわざ家に来てくれたし、帰りに野菜はお土産にしたのに、買ったんですか!?」
ああ……と言って頷く。
「買う価値があった。いい仕事してるな」
「僕はまだ祖父や父には敵わず、修行の身です。でも新しく土作りや無農薬にも取り組んでみていて、楽しいです」
「新しく取り組んで見ようと思うのは若者の特権だ。良いな。……君は連絡をくれた時、歳の差をとても気にしていたが、それはどうでもいい。父親としては、娘を任せるに足る男か否か。そうやってイキイキと仕事してる君なら、良いだろうと思ったよ」
そしてハハッと笑うと、実は……と、バツが悪そうに切り出す。
「道の駅で君の評判を聞いて来たんだよ。千陽くんは仕事熱心で優しくて良い子だと聞いた……どのおばちゃんに聞いてもそう言うんだよ」
どの人だろう?と気さくで、いつも野菜を売ってくれてるおばちゃんたちの顔を思い出した。
「娘の相手がどんなやつなのか、心配だったたんですね?」
「身辺調査してたようで、悪いね」
「いえ、おばちゃんに良い風に言ってもらえて、僕は感謝です」
そこで聞くんだ〜と可笑しくなった。そして、お父さんはいきなり湯呑をのぞくように下を向く。少し雰囲気が暗くなった。
「先日、言われたことを考えてみた。確かに家は桜音のために残すと桜音の母とも約束をしていたんだ」
「え!?………じゃあ!」
僕は解決できそうで、ホッとした……と、思ったら、お父さんが首を横に振る。
「しかし、許してくれ。今の家族には無理だと言えないんだ。今、アパート暮らしをしていてね、4人家族では確かに手狭なんだ。この歳ではローンを組んで、新しい家を建てることもできない。だから家がほしいといい気持ちもわかる」
「……言えないですか」
「不甲斐ないやつだと思うだろう?君の言ったとおりだ。今の家庭では失敗したくない。言いなりになってると思われてもいい。桜音を犠牲にするつもりはないんだが……結果そうなってしまってることはわかっている」
僕は静かにその話を聞く。雨音が外から聞こえる。
「桜音にはあの家にとらわれず……桜音を君に頼んではいけないだろうか?」
「栗栖家に来ても良いって僕も家族も思ってます。でも桜音ちゃん、あの家を気にいっていて……庭にあるブルーベリーの木、お父さんと植えたと言ってました」
ハッと顔をあげるお父さんは、少し悔やむような寂しいような顔をしていた。
「あれは家族で旅行した時、小さな植木市があってみつけた。桜音が欲しいと言って買ったんだ。実がなった時喜んでいてね……毎年嬉しそうに食べてたよ」
そう言うと、桜音ちゃんのお父さんは帰ると言う。僕は見送る。
「また遊びに来てください。採れたての新鮮野菜、用意しておきますから」
「すまないね……桜音には来たことは内緒にしておいてくれ。君の身辺を探っていたとバレたら嫌な父親だろう?」
「大丈夫だと思いますよ。きっと自分のこと心配してくれるお父さんのこと、桜音ちゃんは嬉しく思いますよ」
僕がそう返すと、そうか……そうかな?と言ってからペコッと頭を下げて、車を発進させた。
もしかして僕は……思い違いをしていたんじゃないかな?お父さんの思った以上に臆病になってる気持ちを見落としていた部分があったのかな。桜音ちゃん……たぶんだけど、君が思うより、君の両親は君のこと愛しているのかもしれないよ。そう雨音を聞きながら、車の去った先を眺めていた。
いつか君にもその思いを上手く届けられたら良いのに。
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