第66話

 朝早くカフェで桜音ちゃんのお父さんと待ち合わせしている。田植えで忙しいけど、なんとか午前中だけ時間をもらった。終わったらすぐ戻って田植えだ。母さんがゆうにさせるから大丈夫よと言ってくれたから、助かった。久しぶりに大学から帰ってきた優には悪いけど……。


 モーニングを注文し、まろやかな豆乳オーレに小倉アンのトーストをマッタリ……と言いたいけど、気分はまったくマッタリしてない。朝早くに起きて、朝食抜きでここまで来たから、お腹が減っている。トースト追加しとこう。腹が減っては戦はできぬだ!


 サラリーマン風の人、ゴールデンウィークだからか、家族連れの人、ゆっくり窓際の1人の席で本を読む人でけっこうお客さんがいる。


 そろそろ約束の時間だ。いらっしゃいませという声がして、そちらを見ると一度見たことある人が入ってきた。桜音ちゃんのお父さんだ。


 僕のことを覚えていたらしく、迷わず席まできた。


「こんにちは。栗栖千陽くるすちはるです」


「……たまきって言ってなかったか?」


「あれ?あー!そうだった。すいません。あの時、娘の周りにかなり歳上の男がうろついていたら不安だろうなぁと思って、弟のフリをしました。騙した感じになっちゃって、すいません」


 ニッコリ笑って言うと、なかなかのやつだなとお父さんがボソッと呟く。コーヒーと店員に頼み、僕に向き合う。


「あそこに住んでいたから栗栖農園のことは知ってる。何番目の息子だ?」


「僕は次男です」


 へぇ……と言ってから、高校生みたいに若く見えるなと言う。やっぱり桜音ちゃんと親子だと僕は……思うのだった。


「君の目にはさぞ自分勝手な親たちだと見えてるだろうね」


「そうですね。それは否定しません……でも人には色々理由がありますから理解はしたいと思ってはいます」


 僕はお父さんの様子を伺うけど、どこか淡々としていて、表情に変化はない。コーヒーを飲み、カップに視線を落としている。僕は言葉を続ける。


「僕の推測で間違っていたら、申し訳ないですが、『失敗したくない』そう思ってるんじゃないんですか?」


 お父さんはコーヒーからパッと顔をあげて、僕を見た。


「大人になるたびに、人は失敗を恐れるようになります。僕の甥っ子……小学一年生なんですが、ヤンチャで小さい頃から危うくてヒヤヒヤしますよ。でも無茶をしていた甥っ子は何度も失敗学んでいるうちに怖くなってきた。誰かに笑われたらどうしよう?負けたらどうしよう?そこで立ちすくむことが出てきた。僕ももちろん失敗は怖いです。……失敗は人を成長させるけど臆病にもさせる」


「……君は……」


 僕の言葉にお父さんは否定することなく、困ったような顔をした。それはいつも僕に我慢してることがバレた時の桜音おとちゃんに似ていた。


「桜音ちゃんが傷ついていることを本当は気づいているんでしょう?」 


「君も高校生の娘を持てばわかるさ。どう接していいかわからない。特に桜音は本音を言わないから難しい……まあ、失敗は怖いさ。結婚も二度目となると、二度と失敗したくないって思う。幸せになりたいと思うのは誰しもが思うことだ」


「その幸せの中にあなたの娘もいれてあげられないでしょうか?桜音ちゃんの望みを叶えてあげてほしいんです。あ、すいません。付き合いたいんですってお願いしにきた立場で……ちょっと偉そうに話してますよね」


「……まったくだ」


 桜音ちゃんが倒れた時の怒りがおさまっていないから、つい……ダメだ。冷静にならないと。落ち着いて話さないと。僕は必死に感情を戻そうとする。


 けっこう失礼なことを僕は言ってるのに、お父さんはまったく怒らなかった。むしろ……。


「桜音と君が付き合うことは別に好きにすると良いだろう。なにもできない父親がなにかを口出す権利などない」


 そう言い捨てるように言う。


 僕は……少しだけがっかりした。桜音ちゃんが傷ついていることを知ればきっとお父さんは味方になると思った。僕の安易な考えだった。家族にはいろんな形があると思う。だから、桜音ちゃんの家族を否定はしたくない。でも、どんな家族の形であれ、彼女のことを愛してると思っていた……でも……。


「難しいんだ。あの子は繊細で、少しの言葉で傷つく。だからどう言葉で言えばいいかわからない。まあ……我慢強くて助かるところもある。特に反抗的な態度はしないからな」


 我慢?反抗的な態度?……僕は胸ぐら掴んで殴りたくなった。ギュッと拳を机の下で作り、爪が食い込んで痛いくらいに握る。一度、息を吸う。


「だからって……おじいちゃんおばあちゃんも家という居場所も桜音ちゃんから奪って良いものでは無いですよ。あの子は、あなたと過ごした昔の思い出をすごく大事にしてます。お父さんのことを嫌いになれないから、我慢して良い子になろうとして、何度も何度も自分の中で……」


 ダメだ。これ以上は無理だ。僕の心が痛いくらいに叫ぶ。こいつを張り倒して立ち去りたい。


 ピロンとメール音が鳴った。誰だよ……と電話をちらっと見ると……新太あらただった。おまえかよ。


 わざわざ写メ付き。船の上に居て、後ろに仕事しろよと睨んでる新太のお父さんが小さく見える。頭にタオルを巻き付け、ゴム製の長いエプロンをした新太はピースサインし、満面の笑みをしてる。自撮りして、何してんだよ。


『うまくいってるかー?落ち着いて話せよー』


 いい友人だ。良いタイミングだ。頭が冷えた。深呼吸する。


「率直に言います。家は桜音ちゃんのために残してください。お願いします。離れていても、違う生活をしていても、家族の形が変わったとしても、桜音ちゃんにとってはいつまでも好きなお父さんなんです」


 僕は頭を下げる。


「しかし……あれは……」


「奥さんが欲しいことは知っていますが、桜音ちゃんのために残してほしいんです。どうかお願いします」


 僕は……もう一度頭を下げた。本音はこんなやつに頭を下げたくはないと思ってる。でも今、大事なのは僕の感情ではなく、桜音ちゃんだ。


 お父さんは返事をしなかった……僕は時間も無いから帰ることにする。付き合うことに関しては桜音ちゃんの思う通りにすると良いと言ってくれた。それは娘を十分信用しているのか?それとも適当に流しているだけなのか?わからない。


 目に見えないもの、語られないこと……必ずあるはずだ。僕にはまだそれを見抜けない。


 かなり難しいかもしれない。いや、僕の話し方がまずかったのかも……桜音ちゃん、ごめんねと思いながら、帰り道、ゴールデンウィークでいつもより車が多いなと思いつつ、車を走らせたのだった。

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