第65話

千陽ちはるどこいったんだよーーっ!」


 田んぼに響く声。私はほんとに……どこ行ったんでしょう?と首を傾げる。私にもメールで『午前中、いないけど、ごめん』としか入ってなかった。


「こら!桜音おとちゃんに挨拶して!千陽は午前中、用事あるのよ!あんた、午前中くらい手伝いなさいよ」


 早絵さえさんがビシッと言うと、オレ久しぶりに帰ってきたのに〜と情けない声を出す。茶色の髪に染めていて、どちらかといえば……背が高くて栗栖先輩に似ている。性格は違うみたいけど。


「オレは栗栖優くるすゆうです。5男で大学生。千陽の彼女なんだってー?」


「は、はい。新居桜音あらいおとです。よろしくお願いします」


「かっわいい!女子高生とか、千陽やるなぁ」


 無駄口叩かず、働く!と早絵さんがハウスに呼ぶ。苗を運びなさいっと良い、軽トラに積み込む。荷台がちゃんと収納できる棚になっていて、米の苗が収納できるようになっている。これで何十枚も運べるのかー………って、私も頑張ろう。


 優さんは文句を言ってた割に2枚いっぺんにヒョイッと持ってスイスイ運ぶ。す、すごい。私は一枚が限度だわ。


「あっ、無理しないで一枚ずつで、大丈夫だからね!無理させると……後から千陽がこえーから!」


 私の視線に気づいたらしい。私はコクコク頷いた。持てと言われても無理だけど……。


 田んぼには軽トラを優さんが運転し、早絵さんと私で軽自動車に乗ってきた。千陽さんのお父さんはすでに田植え機を動かしていた。


 広々とした田に均一に植えられた稲が揺れる。きれいに並んでいて美しい風景を作り出している。まだ弱々しい、この小さな青い稲がそのうち本当にお米を作るまでになるのだろうか?と思うくらい細くて小さい。


「広い!すごいです!……田植え機に屋根がついてます!」


 私が田植え機を見て、興奮気味に言うと、早絵さんがアハハと笑う。優さんがせっせと畦道に米の苗を並べていく。私も負けないように頑張ろうと、苗の板を持ち、慣れない細い畦道を歩く。


「落ちないようにね」


 早絵さんがそう声をかけてくれる。バランスを崩しかけたけど、足に力を入れて耐える。


「ふぅ……危なかったです」


「慌てずにすればいいのよ。そうだ!一緒に捕植してみる?田んぼに入るのに抵抗がなければだけど」


「してみたいです!」


 なんでもやってみたい。なんだか最近、私はそんな気持ちになれる。それってきっと千陽さんのおかげなのかもしれない。誰かにここにいていいんだよ……いてほしいって思ってくれて私のこと見てくれてる存在がいるって、こんなに心強いことなんだ。


 長い田んぼ用の長靴を貸してくれる。そっと入ると、どんどん足が沈んでいく。足を抜くとゴボッと泥が音を立てた。そして、また一歩進む。重い。なかなか泥の中って進めないんだ。早絵さんが米の苗が入った籠を私の腰に紐でくるっと縛る。


「ここから苗をとって、二本ずつくらいをこうやって指に挟んで、列の通りに田んぼの四隅を植えてってくれる?」


「やってみます!」


 うんと笑う早絵さんは千陽さんの笑顔によく似てた。


 私が田んぼの水中に手を入れると、オタマジャクシがチョロチョロと逃げていく。可愛いと思った矢先に気持ち悪いヒルがスイッと長靴の間をすり抜けていって、びっくりした。


 泥の中に二本の苗を丁寧に埋めていく。やっと一つの隅っこができた!と顔をあげると、早絵さんは広い田んぼの中を歩いて、田植え機が植えた列のチェックをしていた。苗が抜けているところをヒョイヒョイと捕植している。手つきがよく、すばやい。


 足手まといにならないように、がんばろう……。私も急いで、他の隅の方も仕上げていく。


「昼だなぁ。まだかよー!千陽うううううう!」


 優さんが軽トラで、何度目かの苗運びをしてそういうと、ごめーんと千陽さんが軽トラから降りてきた。


「おっせーよ!」


 そう言う優さんの耳をひっぱって、早絵さんがたまに手伝いなさい!と言う。


「お昼ご飯、ばあちゃん作ってくれてた。……すごい!桜音ちゃん、捕植してる!」


「ええっと、大丈夫でしょうか?ちゃんと植えれてますか?私の植えたところだけお米、実らないってことないですよね?」


 私の不安に千陽さん、早絵さん、優さんが顔を見合わせる。そしてしばらくして、アハハと爆笑するのだった。


 えええええ!?なんで笑ってるんですか!?と私は焦る。本気で言ったのに、3人は農業初心者の冗談だと思ったのだった……。

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