第60話

 お母さんが栗栖くるす家にやってくる。私は心臓が飛び出しそうなくらい。ドキドキしていた。それに気づいて、千陽ちはるさんが私に声をかける。


「作戦は考えてある」


「作戦ですか!?」


「美味しいもので和ませよう作戦」


「それは作戦とは言いません。お母さん、そんなに甘くありません」


 大丈夫だよと柔らかく笑う。不安だったけど、千陽さんや栗栖家の人達がいるなら、なんとなく良い方向へいきそうな気がするから不思議だった。


 車から降りてきたお母さんはペコリと丁寧に頭を下げた。


「まさか夕飯に呼ばれるなんて思いませんでした。すみません。こんなご迷惑を桜音おとがかけていたなんて知らなくて……」

 

 朝から山菜採ったり新太あらたさんが魚を持ってきてくれたりしたのはお母さんが来るからだった。これが千陽さんの作戦らしい。


 ニッコリと笑う千陽さんのお母さん……早絵さえさんが挨拶を返す。早絵さん呼びが良いわねぇ〜と言われて、そう呼ぶことになった。


「いいえ。迷惑なんて!家は男ばーっかりなので、女の子が可愛くて。一緒に春の味覚を楽しみましょう」


 早絵さんが明るい雰囲気でお母さんを部屋へ招き入れる。千陽さんのおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、栗栖先輩がいた。そして私と千陽さん。皆の顔を見つつ、お母さんは座る。


 大皿にアジとタイの刺し身、サワラ、コシアブラ、タラの芽、ウドの葉の天ぷら、のびるの酢味噌和え、コゴミの胡麻和え、ウドのきんぴら、たけのこご飯にたけのことわかめの味噌汁などズラーッと春の味覚が並んでいる。


 千陽さん、おばあちゃん、早絵さんの合作らしい。


「すごいですね……これは……ここで採れたものなんですか?」


「朝から、桜音ちゃんもお母さんのために山菜採りに行ってました」


 千陽さんに言われて、私は少し緊張して頷いた。私のお母さんなのに一番緊張してるのは私かもしれない。


「桜音も行ってきたの?そんなことに興味あった?」


 そう言いつつお母さんが食べていく。天ぷらのつゆにつけると、サクサクに揚がった山菜の衣に甘さのある味が絡む。山菜独特の香りや食感がある。


「へぇ……美味しい。ここに住んでても食べない物だったわ」


 栗栖家の人達も世間話をしながら、和やかにすぎていく。


「ここに住んでる人に言っても良いのかわかりませんけど、私はここに馴染めなくて苦手でした」


 お母さんがそんなことを言い出す。早絵さんが合う合わないはもちろんありますよと言う。


「田舎で不便で、桜音が熱を出した時も病院までは遠くてたいへんでした。それに苦手な虫がでたり、道路には生き物が死んでいたり……」


 わかりますよとおばあちゃんが頷いた。お母さんは私を見た。


「……でも桜音はここが良いのね?」


 お母さんの顔は優しい顔だった。


「うん。ここが良いの。……あの……そう………私は一緒に、この町にいたいの」


 千陽さんと名前を言う時に少し照れてしまって躊躇ってしまったけど、私の気持ちをちゃんと言わなきゃと思った。


 ビールを飲んでいたおじいちゃんとお父さんがピタッと手を止める。栗栖先輩が目を丸くする。お母さんとおばあちゃんはどこか嬉しそうにまあまあまあ!と声を上げている。


 千陽さんは……とチラッと顔を見ると。赤面し、なにも言わず……え!?なんで?そんな泣きそうな顔をしてるんだろう?私の言ったこと、どこか変だった?一緒にいたいって言っただけなのに?


「……仕方ないわね。では、この頑固な娘はご迷惑おかけすると思いますが、気が済むまでよろしくお願いします。そのうち飽きるかもしれませんし」


「お母さん!私、飽きないわよ!」


 珍しく自分でも大きい声が出た。お母さんは首を横に振る。


「桜音、あなたはまだ若いし、子どもよ。やってみて、やっぱり現実は違うって、これから何度も思うわ」


 お母さんは言葉を続ける。


「親として自分は失敗してて、好きなことしてるからお母さんは強くは言えないけど、きちんと社会人として働いてみてほしいのよ。一人で立てない人が……誰かを支えることなんてできないわよ。お母さんがそうだったから言ってるの」


 私が下を向くと、ポンッと頭に触れる千陽さん。


「つまり認める条件は桜音ちゃんがやりたいことをみつけ、きちんと就職して、社会人となるってことなんですね?」


「そうよ。あなたには悪いけど、社会人になって、違う世界を見て、いろんな人に出会えば、気が変わることもあるでしょう」


 グッと握った手が震える。ダメ、ここでお母さんに負けちゃダメ。言わなきゃ。千陽さんにかなり失礼なことを言ってる……鼓動が早くなる。汗が滲む。私だけなら我慢するから良いけど、千陽さんにまで言わないで……私は椅子から立ち上がる。


「お母さんっ、私は………」


 千陽さんが私の服を引っ張る。座るようにとニコッと笑う。


「桜音ちゃん、お母さんの気持ちもわかるよ。大丈夫。僕らのことを、とても心配してるんだよ」


「あなた、ほんとに前向きね」


 千陽さんにお母さんが言った。千陽さんはその通りでしょう?と悪びれることなく言った。


「千陽は人の本質を見抜くのがうまいんですよ。……私も子どもが6人いて、どの子も自慢の息子だけど、確かに心配はつきません」


 早絵さんが口を挟む。おばあちゃんが皆に熱いお茶を淹れてくれる。


「子どもなんて思い通りにならんものだ」


 お父さんがボソッとそう言った。


「確かに千陽さんが悪い方ではないのはわかります。娘が高校生でなければ……と思うだけです」


「そうだなぁ。それは時が解決してくれる。周りは見守るしかない。千陽、踏ん張りどころだなあ?」


 おじいちゃんのその言葉におばあちゃんが、あらあらとお茶を配りながら笑う。


「桜音ちゃんも一緒に、この一年、乗り越えてゆくんだよ」


 若いっていいねぇと二人が言うと、なんだか空気が柔らかくなった。


 その日、お母さんは久しぶりに家に泊まって私と同じ部屋で寝た。


「すべて反対してるわけじゃないの。千陽さんが言ったとおりなのよ……心配してるの。離れていても大事な娘なのよ。千陽さんは良い人ね。母である私の気持ちと桜音の気持ちを優先してくれている。桜音が好きになるのもわかるわ。ちゃんとお母さんはそれは理解してるつもりなのよ」


 ……私はずっと長い間、お母さんの気持ち、わからなくなってた。私が見えて無くて気づかなかったことを千陽さんには見えているのだろうか?すごいと思った。


 大事な娘って……何年ぶりに言われたんだろう。私はそっと布団を被って少し泣いた。

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