第55話

 桜の樹の下に座って、お弁当を食べる。


「メニューはちらし寿司、玉子焼き、鮭の麹焼き、菜の花の辛子和え、筍の煮物、ポットの中には熱いほうじ茶。どうぞ」


「すごいです!ちらし寿司のさくらでんぶがピンクで可愛いです」


 いや、そんなこと言ってくれる桜音おとちゃんのほうが可愛いと思う。毎回、お弁当に喜んでくれるから、作りがいがある。


「えーっと……何事もなかったように昼食にしたんだけど、僕からお願いがあって……」


 ずっと言いたかった。なんですか?と桜音ちゃんが首を傾げる。その仕草すら可愛い。


栗栖くるすさん……っていうのは……止めて千陽ちはるって呼んでくれると良いな。栗栖さんって、家はみんな栗栖だから紛らわしいし……」


 回りくどいことを言ってるが、実は名前で呼んで欲しいだけと言えない。桜音ちゃんの顔が赤くなる。


「ええっ……そんな!無理です!は、恥ずかしいです」


 そ、そんなに無理だった!?


「そっか……だめか……」


 ちょっと残念だったけど、諦めよう。そのうち呼んでくれるかもしれない。


 モクモクとしばらく静かに食べる。田んぼの近くの小川の流れる音がする。


「あの……ち、千陽さん」


 ゲホッとご飯が喉につまりかけた。噛まずに飲みこんだ。と、唐突すぎる!


「呼んでくれてありがとう」


 い、いえ!と顔を慌てて逸らす……そんな桜音ちゃんがとても可愛い。


 僕の桜音ちゃんへの愛おしい気持ちを隠しきれてない気がする。ここで、こんなふうに特別な関係になれるなんて………いや、感動する前に、桜音ちゃんが隠してることをまず聞きたい。絶対になにかある。今ならきっと話してくれる。


「それで、何を隠していたんだろう?何かあるよね?離れたくないってどういう意味?」


 ハッとし、桜音ちゃんの顔色が変わる。


「だ、大丈夫です。ごめんなさい……口に出すべきではなかったんです。これは私の問題なんです……」


 青ざめてすらいる優しい彼女はきっと僕のことを考えている。

 

「僕を巻き込むとか迷惑をかけるなんて思わなくていい。なんでも話して欲しい。桜音ちゃんが信じることができ、頼られる僕になりたい。泣いてしまった理由を知りたい」


 桜音ちゃんが躊躇いがちに話したことに僕は……我慢できずに今すぐ、彼女の父親のところへ行って殴りたくなった。


 でも待て。僕は……大人だ。落ち着け。一時の感情に流されるな。冷静になれ。そう何度も自分に言い聞かせて、この綺麗な景色を眺めて、心を落ち着かせる。深呼吸する。なるべく穏やかな声音を心がける。


「そっか……家をとられるのは辛いね。栗栖家に来ることにしてもいいんだけどね……僕はもちろんだけど、家の皆も大喜びするよ。でも桜音ちゃんの気持ちはそうじゃないんだね」


「……栗栖さん……じゃなくて、千陽さんは私の隠してる気持ち……読みすぎです」


 僕はその言葉に笑う。桜音ちゃんをちゃんと見てるからねと言いたいところだけど、君が僕のことを好きかな?どうかな?っていうのは確信できなくて、怖くてなかなか辿り着けなかった臆病者だから言えない。


「桜音ちゃんはあの家が大事なんだね」


 ギュッと桜音ちゃんは手が白くなるまで握り、下を向く。


「もう私しかいないから、あの家を守る意味なんてないってわかってます。でも他の人……お父さんたちの新しい家族には入ってほしくないんです。それって……まるで……」


「簡単に家族を入れ替えられるものじゃない」


 僕の言葉にパッと顔をあげた。……わかるよ。君の傷が深くて、いくつもあって、本当の気持ちを今、話してくれていて、これから僕が少しずつ傷を塞いでいって、治していかなきゃいけないと思う。


「なんで私の気持ち、千陽さんにはわかってしまうんでしょうか」


「なんとなくわかるんだ。……でも家がなくなって、ここにお父さん家族が来たからって、僕から離れるっていうのはダメだ。そんな理由では離したくない」


 桜音ちゃんの目が丸くなる。


「僕がちゃんと守るよ。僕を信じて……守らせて欲しい。僕を桜音ちゃんの困ってることやどんなことだって巻き込んでも良いんだ。一緒に乗り越えていきたいんだ」


「そんなこと……」


「それに、もっと桜音ちゃんは甘えてもいい」


 むしろこのままにしておかなくてよかったと心底思った。桜音ちゃんをどうして1人にした!とか、なんで気づかないんだ!不甲斐ないやつだな!とか栗栖家の面々に僕がなじられるよ……母さん達の怒った顔が浮かぶ。


「私の不安な気持ちを知ってくれて嬉しいんですが、千陽さんに甘えすぎじゃないかなって思ってしまいます……千陽さんに縋って助けてもらおうなんて、そんなつもりで好きって言ったんじゃないんです」


「わかってる。そんなふうに思われるのが嫌で言えなかったんだよね。いや、でも桜音ちゃんもこれから嫌なことを言われるかもしれない。なにせ僕は10歳も上だし、他の人から何か言われるのは間違いないけど……」


 桜音ちゃんが僕の目を見た。さっきまで下を向いていた彼女とは違う。強い眼差し。


「それはまったく構いません!私は私が何言われても良いんです。千陽さんに関してのことは私、絶対に負けたくありません……でも私のことで迷惑をかけるのは嫌なんです」


「僕のことは頑張ってくれるのに、それは不平等だよ。僕にも桜音ちゃんのことを頑張らせて欲しいし、どうか僕の前では強がらないでほしい」

 

 しばらく見つめ合う。うん……と桜音ちゃんは頷いた。


 うん。やっと届いた。君の本当の心にやっと近づけた。桜音ちゃんの心がボロボロになるまえに辿り着けて良かった。


 これから僕がすることはたくさんあるし、問題は簡単に片付けられないかもしれない。報われないことだってあるかもしれない。


 だけど……今日は良い日だ。幸せで愛おしい日。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る