第53話
3月になると
「また忙しくなるわー!」
栗栖さんのお母さんはそう言いながらも、冬場よりもイキイキとしている。軽トラから降りてきた栗栖さんが、お母さんに半眼で言う。
「
「わ、わかってるわよ!」
まさか!?私は黒いポットに種まき用の土を入れていた手を止めて顔をあげた。栗栖さんのお母さんと目があった。
「オホホホ。誰のときだったかしら?
「
栗栖さんに言われて、そうだったかしらー?と明後日の方向を向いている。
「
「あ、はい。在校生の中に……」
じゃあ、卒業式に会えるかなぁと嬉しそうに言ってくれる。
毎年、卒業式は何故か必ず寒くなり、雪が降る。積もるほどではないけれど、少し暖かくなってきたはずの3月半ばには珍しいことだった。
卒業式は挨拶、歌、言葉などがあり、泣いている卒業生もいた。来年の3月には私もあちら側なんだなと、どこか他人事のように見ていた。
でもきっと、私は泣くかもしれない。来年の3月にはここを離れ、違う所へ行かなきゃいけない。
どこへ行こう?ずっとずっと遠く……栗栖さんと偶然だねって会えない距離の方がいいと思った。もう二度と会えないほうが諦めることができるかもしれない。
卒業生が退場した。
先生から、頼まれて卒業式の後の片付けを手伝っていて、下校が遅れた。
私が玄関の方へ行くと、人は少なくなっていて、栗栖先輩に出会った。
「あ……栗栖先輩、卒業おめでとうございます」
「ああ。ありがとう……あのさ……」
栗栖先輩が何かを言いかけてジッ私を見る。なんだろうと首を傾げる。ふと、栗栖先輩の制服を見て驚く。
「栗栖先輩!?ボタンが一個もありません!……す、すごいです」
「え?あ、そうか?……第2ボタン、実は……」
私はそっか……ボタンか……と思った。
「私、栗栖さんのボタンほしかったな」
つい、口からそんな言葉が出てしまった。私はいなくなる前に、何か形に残るものが欲しかったのかもしれない。
「兄貴のか……そりゃ、昔過ぎて、もう制服はないな」
何故か栗栖先輩の表情は笑っているのに寂しそうだった。……どうしてそんな表情するんだろう?
「あーあ……そうだよな。新居は兄貴のこと好きだよなぁ」
「……でも私、伝えられないんです」
ヒラヒラと空から花びらのように雪が降ってくる。
「言えよ」
え?と私は聞き返した。
「ちゃんと言えよ」
もう一度、栗栖先輩は力強くそう言った。
「でも……私……」
言えない。だって……私はいなくなるのに……。奇跡が起こったとしても、離れるなら言わないで、このままの関係の方がいい。
「なにを躊躇ってるのか知らねーけど、歳の差とかなんか問題とかあるなら、兄貴は一緒に悩んでくれる。そして、意外と頼りになるんだ。新居の気持ちをちゃんと兄貴に言えよ」
栗栖さんが私のことを好きかどうかもわからないのに、なんで栗栖先輩は、そんなふうに言えるんだろうか?
そんな疑問が顔に出てしまったようで、ハァ……と栗栖先輩は白い息と共にため息を1つ吐いた。黒髪に白い雪がついてゆく。
「兄貴が
後ろ手にバイバイと手をふって去っていく。私は白い細かな雪が降る中で、栗栖先輩の背中を見送った。
栗栖さんの気持ち?私ならわかる?
……うん。
私はきっとわかってる。栗栖さんは私を大切に扱う。心にそっと寄り添って優しく触れるような扱い方をしてくれる。
それは両親にすら忘れられそうな透明人間の私には、もったいなくて余るくらいのこと……栗栖さんに会う前は『朝、起きたら私はこの世界から溶けて消えてしまっていればいいのに』って思っていた。
今度は栗栖さんの前から、一年後には本当に消えなきゃいけない。溶けて透明な私にならなきゃいけない。
私がいなくなっても私の気持ちがここに残ることができるなら、せめて私の気持ちだけでも、置いていきたい。そしたら私が栗栖さんの人生の中に少しでも居たよって覚えててくれる?
私の気持ちを口に出して、言ってもいいのかな?私がここにいる未来がなくても?
『言えよ』
そんな栗栖先輩の声が耳に残り、雪のように染みていく。
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