第49話

 その事件は唐突に起こった。お母さんのところから帰ってきた次の日のことだった。朝から降り続ける雪は道路や木々に降り積もり、玄関先の雪かきが必要かなと思っていた矢先にいきなり連絡もなく、お父さんたちの新しい家族が来た。


 家の前に見覚えのある、雪まみれの車が停まった。


「どうしたの?急にお父さんきて……」


「ああ……ちょっと話がある。おい、入ってこい」


 私の許可など必要ないと、遠慮なく全員で、家の中へあがりこんできた。


 リビングのソファに座る。私は戸惑いながらお湯を沸かして人数分のお茶を淹れた。


「悪いな。桜音おと。お茶とか気をつかわなくていいんたぞ」


「あら、女の子ですもの。そのくらいできないとね?桜音ちゃん、お茶ありがとう!」


 新しい奥さんから、お礼を言われてるのに言われてない気がする。


 私に話ってなんだろう?私もソファに座る。相変わらず、ゲームばかりしていて、こちらを見ない男の子に携帯電話を触ってて知らん顔してる同年代の女の子。


「話というのはな……おまえは就職するだろう?でもこんな小さい町じゃ良い仕事なんてないから違うところへ行くよな?」


「まだ……考えてないけど……」


 私がそう答えると、お父さんの奥さんが笑う。


「ここ、こないだきたけど、良いわねって話をしていたのよ」


「それで、なんでしょうか?」


 私の就職のことを心配してるわけではないらしいので、全くわからない。何しに来たのだろう。


「あのね、この家のことなんだけど、就職を違うところでしたら、いらなくなるわよね?私達にこの家をくれない?1人じゃ広すぎるでしょう」


 え?家を?私は何を言われたか一瞬理解ができなかった。


「お前が卒業してからでいいから、いらなくなったこの家をくれないか?」


「でも……まだどこで就職するかわからないし、私はこの町好きだし……家も大事にしてるし……」


 私はここで負けちゃだめだと小さい声だったけど、自分の思いを必死で口にして、抵抗すると、お父さんの奥さんが負けずに言う。


「あら?この家はあなたのお父さんがお金を払って建てたんでしょう?あなたのものじゃないのよ。それに1人ならアパートで十分よね?私達は4人だし、アパート暮らしは手狭なのよ。桜音ちゃんは優しいし、頭が良いから言ってる意味わかるわよね?譲ってくれるわよね?」


 そんなこと困ってしまうと思い、お父さんの方を向く。助けを求める。……だけど、お父さんは気まずげに顔を逸らして、私の視線に気づかないようにしていた。


 私の居場所がなくなっていく。どんどん……なにもかもなくなるってこういうことなのかな。気持ち悪い笑顔でお父さんの奥さんがこっちを見て笑ってる。呼吸が苦しい。


 ……お父さんからは助けの言葉なんて、何一つなかった。来春、この家はお父さんたち家族の物になることになった。見送ろうと思ったけど、力が入らなくて、冷たい床にしゃがみ込む。


 帰っていった後、私は気づく。


 ここにはいれない。お父さんたち家族がくるなら、私がこの町にいるのは邪魔でしかない。一緒にこの小さな町に住んでいれば面白おかしく噂されるだろう。


 あと……一年くらいしか栗栖くるすさんとはいれないんだ……その事実がショックで、バッと思わず雪が降り続けてる外へコートも着ないで、飛び出していた。栗栖さんの家へ走る。


 栗栖さん!今、今……会いたいの。助けてほしいの。私は……ここにいたい!


 降り積もった雪に何度か足をとられて転びかける。栗栖さんの家まで後半分ほどの距離になって、急に足が止まる。ハアハアと肩で呼吸するたびに白い息が出る。タイヤ跡のある地面が目に入った。


 ……行って何を言うの?


 家がなくなるって聞いたら優しい栗栖さんはどうするかな。私、すごく図々しいこと想像をしてた。それが急に恥ずかしくなる。


 結婚しようなんて言われると思ったの?栗栖さんの家においでって言ってくれるって思ったの?


 お父さんたち家族が来て、ここに私がいれば嫌な噂話を他の人たちがする。それに栗栖家を巻き込むことになったらどうしよう。


 なに夢みたいなこと、考えてしまったんだろう……私、彼女でもなんでもないのに、栗栖さんの優しさにどこまで甘えて同情してもらうの?あの温かな栗栖家の人たちに迷惑かけるの?こんな私は自分でも嫌いだ。


 クルッと踵を返して私は家へ帰る。どんどん降り積もる雪が私の足跡を消してゆく。


 残り一年、期間限定の恋をしよう。この町から去ることになる私。この町でずっと農業をしていく栗栖さん。私の想いはやっぱり叶わない。遠くて遠くて……手を伸ばしてほしいって泣いても届かない月みたい。


 寒さで指先や足先がジンジン痛みだした。それでも走る元気はなかった。雪で濡れて帰り、私は家に入った。力なくリビングのテーブルに目をやると、冷えた飲みかけのお茶のカップがそのままあった。洗って片付けようと流し台へ持っていく。水を出す。

  

「………っ!」


 溢れる涙がポタポタと流し台に落ちて、蛇口からでてきた水と混じって流れてゆく。どれだけ泣こうが何も変わらないことを知っているのに、ずっと涙は止まらなかった。


 お正月も3日になり、栗栖さんの家でぜんざいを作ったからおいでとおばあちゃんが誘ってくれた。


 久しぶりに顔を合わせた栗栖さんが私に聞いてきた。


「あの……餅つきの日に桜音ちゃんって一緒にこたつにいた?」


 私は答えた。


「いませんでした。私は帰ってしまいました」


 笑顔で言えた。


 栗栖さんは夢だと思ってくれたと思う。どうか夢だと思ってほしい。心を隠して、こんな家族のような温かな距離で最後の日までいたい。


 泣くのを我慢すると、喉が焼けるように痛かった。


 ……誰か私にあの月をとってほしいの。どれだけ泣いても届かない月を私はほしいの。

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