第41話

 君が想う月と僕が想う月が同じならいいと思う。


 今日のお弁当は栗ご飯だ。先日、桜音おとちゃんとおばあちゃんが選別してくれた小豆入り。鶏のてりやき、だし巻き玉子、小松菜と油揚げの煮浸し、二十日大根の浅漬け。


「あんた、ほんとにマメよねぇ。桜音ちゃんに作る前から……まあ、上手にできてたけど」


「ばあちゃんが栗ご飯と漬物作ったから、僕はそうでもないだろ?だし巻き玉子は作り置きだしね」


「作り置き!もー!それがマメだって言うのよ」


 母さんが朝から、絡んできて、めんどくさい。


「でも千陽ちはるが作ってくれるから、助かってるだろ?」


 新聞を見ながら牛乳を飲んでる父さんが言う。まぁねーとニコニコしつつ母さんが言う。


たまき、朝練はもう良いのか?」


 のんびりと納豆ご飯と海苔、目玉焼きに味噌汁を食べている。電車時間は良いのだろうか?


「ああ。これからシーズンオフだから、試合もないし、体力作りだけだからな……新居あらいに弁当、届けようか?これから同じ電車だろうから」

  

 え!?同じ電車か……僕はそうかと思った。僕が好きだった電車からの景色を見て、同じ時間を共有して通える環が少し羨ましかった。


「うーん……ムーの散歩に行くし、別にいいよ」


「ふーん、わかった」


 ……桜音ちゃんのことを好きだと、言う割にアッサリと引き下がるんだよなぁ?なんだ?


「兄貴は意外と負けず嫌いなんだよな。だけど今回は勝たせてもらうからな」


 は!?なにを!?桜音ちゃんのことか!?


「ごちそうさまっと……」


 さっさと茶碗を片付けて行ってしまう。


「千陽、言い返しなさいよっ!栗栖くるす農園の将来を頼むわよ!」


 しっかり会話を聞いてる母さん。僕は肩をすくめる。お弁当とムーの散歩セットを持つ。ムーが散歩へ行くと察して、嬉しくてピョンピョン跳ねる。リードをしっかりつける。


 ……ばあちゃんから、桜音ちゃんが自分のことを透明人間だと言って泣いていたことを聞いた時、僕は心が痛んだ。


 透明人間なんて思わないで欲しい。ここに君のことを必要としている人間がいるのに……本当は……そんなこと無いよって伝えて、僕は君が傍にいてくれたら幸せな気持ちになるんだと抱きしめたいくらいだけど、僕にはできない。


 寒くなってきた朝の道路を散歩を喜ぶムーと一緒に小走りで行く。いつもの時間、いつもの場所に桜音ちゃんはいた。駅のそばの屋根のあるベンチ、小さな水飲み場があり、誰が植えてるのかわからないプランターの花はいつしかマリーゴールドやサルビアからビオラになっていた。


「おはようございます」


 ニッコリ笑う彼女は前よりもずっと元気そうで、顔色も良いし、どこかキラキラしていて、とても綺麗だと思う。


「おはよう!寒くなってきたよね。駅の中で待っていてもいいし……環に弁当頼もうか?寒くない?」


「え!?……いいえ。私、ここで栗栖さんを待つのが好きなんです。ムーちゃんにリードを引っ張られながら、栗栖さんが少し走りながら来るのを見るのが毎朝、楽しみになんです」


 なんで……この子は僕の心を読むように嬉しい事を言ってくれるんだろう?僕はいつしか我慢してるのに我慢できなくなる時が来るかもしれない。でもそれは桜音ちゃんにとっては良いことではないと思う。


「ムーにホントは主人を引っ張らないように!って教えなきゃいけないのに、全然うまくいかないんだ。風邪ひいちゃいけないから、ホントに寒くなったきたら、駅の中にいてよ?」


「わかってます!さすがに雪が降ったり凍ったりするような日はそうします。栗栖さんは時々、心配性になりますね」


「それはなるよ……桜音ちゃん、いってらっしゃい」


 お弁当を渡す。電車がいつもの時間に来る。


新居あらい、電車が来るぞ」


 ふと駅から出てきた人影。環だった。慌てる桜音ちゃん。二人の高校生に僕は手を振る。


 ……そうなんだ。僕は桜音ちゃんのために大人で守ってあげれる存在で優しい兄であるべきだと思う。それが今の彼女に必要なものなんだ。


 彼氏の役は環で良い。ぴったりだと思った。あいつは言葉こそ足りないことがあるが、根は優しい。身長が高くて、野球部のエース、春には付属の大学へ行くけれど、桜音ちゃんの通う高校とは隣だし、離れることはない。


 そう自分に言い聞かせる。


 だけど環に譲るなんて……本当にできるのか?桜音ちゃんの笑顔を見るたびに……見せてくれるたびに諦める自信がなくなっていってるくせに。


 二人を乗せた青い二両電車は駅を出発していく。電車の音が遠ざかる。駅は静かになった。


 もし僕がこの気持ちを伝えて、桜音ちゃんがひいてしまったら、もう栗栖家には来ないだろう。本当の家族とはうまくいっていないことに僕は気づいていたし、まだその温もりを求めてる年齢だってこともわかってる。だからなによりも、彼女が家に来れなくなることが一番怖い。


 小さくて白い雪虫が偽物の雪のようにフワリフワリと空中に飛ぶ。雪が降る季節が近づいてきているなと感じた。曇り空が増えてきた。見上げるとどんよりと厚い雲で覆われた空。


 ムーが僕の気持ちを読むように、足にスリスリと体を寄せてきた。ヨシヨシと撫でて、散歩の続きしようと駅を背に再び、歩きだした。

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