第32話

 お母さんから着信が何度もあったことに気づいたのは、お昼になってからだった。


『どういうことなの!?お父さんに聞いたら迎えに行ってないって言うし、電話にも出ないし、心配していたのよ。連絡をしなさいって言ったわよね?』


 電話をスピーカーにしていないのに、聞こえる。すごい音量でお母さんが怒ってる。私は思わず身が縮こまってしまう。ギュッとムーちゃんを抱きしめると、ワン!と鳴いた。


『犬の声……?あなた、どこにいるのよ!?』


 しまった!と思った時にはもう遅かった。


「えーっと……具合が悪くなった私を心配してくれて、ご近所の栗栖くるすさんというお家にいます……」


 なんですって!と母が大声をあげた。ビクッと私はなった。ガラッとふすまが開いた。


 栗栖さんのお母さん!?稲刈りから帰ってきてシャワーを浴びたらしく、頭にはタオルが巻かれている。


「ごめんねぇ。聞こえちゃった。ちょっと貸してくれる?」


 私が良いですよと言う前に、電話を取り上げた。


「こんにちは。栗栖早絵さえと言います。たぶん婦人会やPTAで会ったことあります。お嬢さん、体調悪かったみたいなので、一人で置いておくよりもいいかなと思って、私が無理矢理居るようにと言ったんです。だから叱らないでくださいね。……高校生はまだ子供ですよ」


 シンと電話先の母が無言になった。しばらくして、母が気持ちを立て直したらしく、落ち着いた声音で話すのが聞こえた。


『お世話になり、申し訳なく思います。夜にはそちらへ行けると思うので迎えに行きます。それまで預かって頂けますか?』


「もちろんです。では、お待ちしてますね」


 シュッとスライドして、電話を着る栗栖母。


「ごめん、おばちゃん、余計なことしちゃったかな?千陽ちはるに怒られそう!でもこういうの我慢出来ないのよ。具合どう?お昼は素麺だけど、食べれる?食欲出てきたかな?」


「あの……ありがとうございます」


 ……もしかして、私の代わりに怒ってた?電話をするとき、少し栗栖さんのお母さんは顔が強張っていた。

  

 私も本当は具合の悪い時くらい甘えたいし、迎えに来てほしかったし、どうしても駅から歩いてこれなかった……そう言いたかった。でも体調悪くなったのは自分の責任だしと思うと口を閉ざして喋れなくなってしまった。


「気にしないのよ。また体調悪くなるわよ。大丈夫。まだあなたは大人ぶらなくて良い年齢で、大人に甘えてもいいのよ?」


 栗栖さんのお母さんはやっぱり栗栖さんに似ていて、私の隠してる気持ちを見抜いている気がした。そう言って、お昼ご飯を持ってきてくれる。


 素麺と鮭のオニギリ、トマトの胡麻和え、茄子やピーマンの揚げ浸し、デザートにりんごのうさぎがちょこんとのっているお盆を小さなテーブルに置いてくれた。


「素麺の汁は自家製なの。干し椎茸も家のやつだから、香りが出てると思うわ……千陽が作ったんだけどね。もう我が家の料理長よ。そのトマトの胡麻和えは桜音おとちゃんから教えてもらったって言ってたわ」   


 フフフと何故か笑う。そしてムーちゃんをヒョイッと抱える。


「食べて、ゆっくりと休みなさいね」


 そう言うと、ふすまをそっと閉めて行ってしまった。りんごのうさぎも栗栖さん……?なのかな?カワイイうざぎがこちらを見ていた。


 暗くなった頃、栗栖家の庭にパッと車のライトが光った。母が来た。


「どうも非常識な娘が、お世話になってしまい申し訳ありません。これを……少しですけど」


 お菓子の箱を持ってきて、頭を深々と下げる母。私の荷物を栗栖さんが運ぶよと言って、車に積んでくれた。


「同じ町内ですもの。困った時は頼ってもらって大丈夫ですよ。桜音ちゃん、またいらっしゃいね。おばちゃん、待ってるからね!」


 ありがとうございましたと私はお礼を言う。


 母は車に乗るとボソッと言った。


「これだから、付き合いの深い田舎は嫌なのよ」


 そして家に着くまでの短い距離だったが、始終不機嫌だった。私は車から降りると旅行鞄を持つ。ハァとため息が聞こえた。


「桜音、お母さんと新しい家に来なさい」


「え?」

 

「一人で大丈夫だといったから、許したのよ?新しいお父さんも一緒に暮らしても良いと言ってくれてるわ」


 ここを離れる?……もう友達や栗栖さんとは、簡単に会えなくなる。私は私の中にあるものが削り取られる気がした。それは痛みを伴う。負けちゃ……ダメ。ギュッと旅行鞄の持ち手を強く持ち、私は顔をあげる。


「今回のことは……ごめんなさい。だけど、一人でも頑張れるから……お母さんと暮らしたくないの」

 

 私がそう言うと、プイッとフロントガラスの方を向いて、苛立った表示をした。


「あんたは昔からそう。お父さんのほうが好きだったものね。嫌いな母親なんかと暮らしたくはないわよね!でも次にこんなことあったら許しませんからね。無理矢理でも連れていくわよ!」

  

「そんな……違うの!嫌いとかじゃなくて……」


 私が言った言葉を無視するように窓を閉めて、車を発進させて帰って行く母。そんな風に思われてしまっていたなんて……私はどっちも好きだった。だから選べなかったのに……。


 数日、留守にしていた家の中へ入る。月の明かりのお陰で、明るい。電気をつけなきゃ……そう思って、手を伸ばすが、止まった。涙が後から後から頬を流れていく。声を押し殺して泣く。一人だからどれだけ泣いても構わないと、しゃがみこむ。


 ピロンとメールの音が鳴った。


『体調大丈夫?無理しないで早く寝るんだよ。もし辛いことあったら聞くよ』


 栗栖さんからだった。……なんでいつもこんな……タイミングなの?一生懸命強がってても

なんで栗栖さんにはわかっちゃうの?


 月明かりのなかで私はメールの返信をした。変に文章にしたら栗栖さんに泣いていることがバレそうだったから、必要な言葉だけ入れた。


『お世話になり、ありがとうございました。おやすみなさい』


 頑張らなくちゃ……良い子でいて、誰にも迷惑かけないように頑張らないと栗栖さんと会えなくなっちゃう。


 月明かりはこんなに近いのに、照らす月はあんなに遠い。


 神様、私、良い子でいますから、どうか好きな人の近い所に居させてください。手を伸ばして届く距離じゃなくてもいいから……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る