第30話

「ごめん。すいませんでした。悪かった。勘違いだった」


「簡単に謝って許されると思うなよっ!?」


 頬に氷を当てている栗栖くるす先輩。まさか小柄な栗栖さんが、長身の栗栖先輩を吹っ飛ばすなんて思わなかった。


「えっと……大丈夫ですか?まさか……その……」


 私の驚きに栗栖先輩は栗栖さんを睨みながらポツリと言う。


「……兄貴は身長低くくて、童顔のくせに喧嘩は強いんだ」


「おまえらがデカくなりすぎただけだ!やんちゃな弟たちの面倒みてたせいだよ!」


 話を聞いていた栗栖家の母が私の測った体温計を見てから、二人の息子にビシッと言い放つ。


「あんたたちなにしてんの!千陽ちはる、いい歳してすぐ殴らないのよ!……桜音おとちゃん、けっこう熱あるから、今日は泊まっていきなさい。客間に布団を用意するわ」


 私には優しい声音でそう言ってくれる。ショートヘアで背は低く、色素の薄い茶色の髪と目は栗栖さんにそっくりだった。お母さん似らしい。


「えっと……でも大丈夫です。ご迷惑ですし……家も近いので帰ります」


 私はさすがに悪いと辞退する。病気かもしれない!と慌てて私を栗栖家に運んだのは栗栖さんだった。お母さんの方はとても冷静だった。


「こんな時は迷惑とか家が近いとか関係ないのっ!良いこと?私が来るまでに、この冷たいお茶をしっかり飲んでおきなさい。それでも帰るなら、今から無理矢理でも病院へ連れてくわよ?千陽は氷枕作ってきて!環はそのまま頬を冷やしていなさい!」


 有無を言わせぬ母の圧に二人の息子と私はハイと返事をした。すごい……すごい人だ!


 熱っぽいけど、風邪の症状はまったくないから、病院へ行くほどでもないと思う。昔から、私は疲れると高熱が出て、だいたい一日で下がる。今回も体質的なものだと思う……ずっとスッキリと寝れずにいたからと原因はわかっていた。


 私はそういえば……と思い、鞄から先輩に学業守りのお守りを渡した。

 

「これ、頼まれていたやつです」


 一瞬、キョトンとしたが、ニヤッと嬉しそうに笑って、お守りを受け取る栗栖先輩。


「サンキュ。欲しかったんだ」


 いいえ。と私は言ったが、冗談じゃなかったのかな?と首を傾げる。頬を冷やしてる反対側の手でお守りを持って眺めている。


「桜音ちゃん、客間に案内するわね。こっちよ」 


 栗栖家の母がしばらくして呼びに来た。客間は一階で、ふすまをし、一人で眠るにはちょうどいい間取りの狭さにしてくれてあった。畳の上にきちんと布団が敷いてある。


「あなたの話、時々、千陽が言っていたから、どんな子なのかなって思ってたわ。私達には紹介してくれないし、農作業を二人だけでしたがるし……やっと会えたわ」


「度々、来ていたのに挨拶しなくてすみません」


「良いのよ。あなたのせいじゃないのよ。うちの恥ずかしがり屋の息子のせいよー」


「母さん!余計なこと言ってないよね!?」


 スパーンとふすまが開く。栗栖さんが氷枕と冷たいミネラルウォーターを持ってきていた。焦ったように言う息子に母が楽しそうに口元に手を当てて、ウフフフと笑う。


 あっ!こら!と栗栖さんが言うと、後ろからドドドドと走ってきた茶色い毛玉が私に飛びついた。久しぶりのムーちゃんだった。百年ぶりに会うかのように、喜んでカシカシと手で私の足にして、スリスリとくっつく。


「ムーちゃん!久しぶりね」


 私はヨシヨシと撫でる。嬉しくてコロンとお腹を無防備に出すムーちゃん。もっと撫でてくださいよぅとお願いしている。


「ムー!今はだめだぞ」


 ヤダヤダとバタつくムーちゃんを抱える栗栖さん。


「ムームーは素直ね。でも桜音ちゃんをゆっくりと休ませてあげないとね。男どもはこの部屋に近づかないこと!」


「えっ?僕も?」


「当たり前でしょう!?ムームー含め、全員よ。ぐっすり眠らせてあげなさい。うるさくしないの!」


 母の前では完全に子供扱いされている。まるで小学生男子が言われているようだった。栗栖さんは苦笑しつつ、わかったよと返事をする。


「桜音ちゃん、なんかあったら、呼べば誰かいるから、来るし……」


「ハイハイ!出て行くのよ!」


 心配そうにしていた栗栖さんだったが、アッサリと部屋から出された。栗栖家の母はたまに様子は見に来るから、ゆっくりと寝なさいよと言って微笑む。ハイと私は頷いた。


 修学旅行だったから着替えを持ってきていて良かったと思う。制服を脱いで着替え、だるくて熱っぽい体を横にした。布団の中に入るとホッと安心した。


 栗栖家の洗剤の匂いが布団のシーツからして、栗栖さんの同じ匂いだと思った。


 カタカタ、コトン、パタパタと小さい音が聞こえてくる。誰かが家にいる気配を感じる。なんだかそれがとても安心した。


 そんなことを思いながら、私はすぐに眠りについた。深い深い眠りは久しぶりで、まるで海の底に沈んで行くようだった。


 

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