第29話

「夕食は京懐石!………ではなくて、すき焼きだ!思う存分食べろー!」


 先生がそう言う。大きい鉄の鍋が置かれていたので、不思議に思っていた。


「違うんかい!」


「なんだそれー!」


 男の先生が得意げに生徒に向かっていう。


「京懐石もいいかって話していたんだがな、育ち盛りの生徒には、すき焼きのほうが良いだろって話になったんだ……先生達は京懐石食べたかったんだがなぁ」


 生徒思いなのかな……?私達のグループも何それと笑う。


「ええ先生ですなぁ」


 クスクス笑いながら旅館の仲居さんが肉を焼いて、割り下を入れ、最後に野菜や糸こんを入れてくれる。


 茉莉まりちゃんが、ふと私の様子に気づいた。


「なんか……桜音おと、顔色悪くない?熱あるんじゃないの?」


「うん……なんか熱っぽいかも……」


 美味しそうなお肉なのに、どうしても食欲がなく、私は頷くと、先生を呼ばれる。程なく、私は部屋へ帰り、横になった。


 微熱があった。病院へ行こうか?と聞かれて、私はたぶん疲れたのだろうと思い、眠いです。きっと眠れば治りそうですと話す。私は昔から疲れると頻繁に熱を出す子だった。


「うーん……一晩寝て良くならないなら、帰るか待機するか?どっちか考えましょう。残りの日程もまだけっこう日数あるし、きついだろうし……」


 保健の先生が苦い顔をした。とりあえず水分を置いとくわねとスポーツドリンクと水を置いてくれた。


 電気を消して行ってしまう。暗くなった部屋で、私は目を閉じる。……寝れない。何も考えず眠りたいのに、なんで目を閉じたら、いろんなことが浮かんでくるんだろう?


 誰にでも優しい栗栖くるすさんは同情で私の辛い時にいつも来てくれてきたんだとか、私は点数稼ぎとか考えてなかったけど、そんなふうに思われていたらどうしようとか、彼女がいるってわかった後も近づいてしまった自分はとても悪いことをしていたように感じるとか……そんなことをずっと繰り返している。


 そう思いながらも熱のおかげで、今日は眠気があり、ウトウトと眠たくなってきて、そのうち気づけば朝だった。先生がやって来て、困った顔をする。


「完璧には下がってないわね。今のところ微熱だから大丈夫だとは思うけど、どうする?念のため、お家の方にも連絡したんだけど、遠すぎるって言われて、途中の乗り換えの駅までならお迎えに来れるそうよ。一人で乗っていける?それともホテルや旅館で待機になるけど、皆と一緒に行く?」


 一緒に行けば、きっと保健の先生が付き添いで、私といることになるだろうし、友達にも心配かけてしまう。まだこれからの長い日程だ。せっかくのみんなの楽しい旅行に迷惑をかけてしまう。私はニコッと笑顔を見せた。


「私、昨日より元気です!熱もそんなにないし、よくあることだし、動けないくらいではないので、大丈夫です。その乗り換えの駅までは電車に乗っているだけですから一人でぜんぜん帰れます……ご迷惑かけてすみません」


 着いたら必ず連絡するという約束で電車に乗った。茉莉まりちゃんは残念そうだったが、仕方ないねと言う。


 私は駅へ行き、改札を抜ける。先生が、切符を手配してくれ、細かく何時、何番線などの情報を書いてくれてあり、とても助かった。先生から乗る前も電話がかかってきて、心配してくれているのがわかる。


 大人って……やっぱりこうなのかな?心配してしてくれるの?


 そんなに荷物を持ってきたつもりはないのに、旅行鞄がズシッと重たく感じた。座席に座るとホッとした。熱っぽく、ダルい体をジッとさせて、何時間も揺られてゆく。


 最近、体調良かったのにな……そう……栗栖さんに会ってから、不調は減っていったことに気づいていた。私にとって栗栖さんは必要な人。私の中に消えない孤独があっても温かな心も感じることが出来ると教えてくれた人。


 私はむせ返るような緑の中にいて、鳥や蝉の声を聞きながら、時々農作業をしている栗栖さんを目で追って探したり、栗栖さんと涼しい木陰で休んで話をしたりした時間や私が辛い時には必ず現れて助けてくれたことを思い出す。


 やっぱりダメ。会いたい。会いたいの……栗栖さん、今、会いたいの。そう呼びかける。届かないのに心の中で何度も名前を呼んだ。


 他のお客さんに気づかれないように流れる景色を見る振りをし、窓の方を向いて、そっと泣いた。


 乗り換えの駅に着いた。ベンチに腰掛ける。電話を取り出して、母に電話する。


「あら!?もう着いちゃったの?……後一時間後でも良い?今、どうしても抜け出せないのよ。それかお父さんに聞いてみてくれる?ダメなら、また連絡してちょうだい」


 とても忙しそうだった。お父さんに……と言われたので、電話をかける。


「えっ?なんだって!?今すぐ!?体調はだいぶ悪いのか?すぐは無理だなぁ。昼頃まで待てるか?午後からなら出れるんだけどな。お母さんの方に聞いてみてくれないか?ダメならまた連絡をくれ」


 私は電話を片手に持ち、ブランと下へおろす。ガヤガヤとした他のお客さんたちの声がどこか遠くに聞こえる。目を閉じた。


 熱のある頭で、ゆっくりと考える。私は迷惑かけちゃいけない。みんなは普通に旅行を楽しんでいて、こんな不甲斐ないのは私だけ。両親もきっと呆れてる。でも手のかかる娘って思われちゃいけない。


 どうせもうすぐ、乗り換えの電車が来る。アナウンスもそう言ってる。待っているより帰ったほうが早そう。そうしよう。帰ってしまおう。一人でこのくらい大丈夫だし。一人で……ぜんぜん大丈夫。


 ぐっと力を入れて立ち上がる。頭痛がして寒気がする。少し震えてしまう。たぶん熱が上がってきてる。


 自販機で水を買う。頭痛薬を持ってきていて良かった。錠剤を口入れて水と共に飲み干した。これで少しは良くなる。いつもの不調だから、大丈夫。今夜一晩寝ればいつものように治ってる。


 乗り換えの電車にやっと乗り込む。平日の昼間だから、簡単に座れた。薬が効いてきて、少し眠りながら帰る。


 いつもの駅につくとホッとした。先生にも着きました。心配おかけしてすみませんと電話をしておく。後は家に帰るだけ。だけど歩いて帰るには少し力が必要だった。電車が行ってしまったあと、ベンチに座って休む。


 膝の上に肘をつき、手に顎をのせ、車が何台も通り過ぎていくのを目で追う。


「今の電車に乗っていたのか!?どうしたんだ!?2年は修学旅行中だっただろ!?」


 私は驚いて振り返ると、改札をくぐって歩いてきた栗栖先輩だった。声が……声が栗栖さんと似ていて一瞬、栗栖さんかと思った。こんな時いつも来てくれていたから……。


「体調……崩してしまったんです……」


「なにやってんだよ……ほら、荷物を貸せ!」


 ヒョイッと荷物を持ってくれる。


「送ってやるよ。自転車取ってくる。待ってろ」 


 栗栖先輩に思いがけず会ってしまった。大丈夫ですと言おうとしたけれど、具合が悪すぎて、動けなかった。


「ホントにやばそうだな。しかたない。兄貴に来てもらうか。車の方がいいな」


 私の顔色を見て、電話をしようとした栗栖先輩を私は慌てて止める。


「大丈夫です!家はすぐそこだから、歩けます!」


「具合悪いやつは、黙ってろ」


「だって……今……顔を見たら……絶対に……」

 

 私はとうとう我慢できなくなって、涙が溢れてきた。顔を見られたくなくて、両手で覆う。その時だった。


たまきーーっ!なに泣かしてんだよーーっ!」


 その声と共に走ってきた影が私の前を横切り……長身の栗栖先輩が吹っ飛んだ。……え?今、何があったの?


 栗栖さんが怒ってる?なんで怒ってるの!?私はオロオロするしかなかった。頬を抑えて、地面に尻もちをついて驚いている栗栖先輩と怒ってる栗栖さんを交互に見たのだった。

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