第20話

 カタンッと台所で音がした。……栗栖くるすさん、帰っちゃうのかな?ウトウトしながらそう思った。帰っちゃう!?ガバッと私は慌てて、起き上がる。


「栗栖さん!」


 玄関の方へムーちゃんと静かに行こうとしていた。驚いたようにこちらを見る。


「あ、おはよう!ちょっと寝過ごしちゃった。気づいたら朝だったよ。またね!」


「はい。……ありがとうございました。あっ!見送ります!」


「車、ここじゃないんだ」


 今度は私が驚く番だった。


「近所の人に知らない車が止まっているとか、変な男が出入りしてるとか言われるのは困るだろうと思って、駅の方に停めてきた。だから気にしないで!ここでいいよ」


「変な人ではないですけど……えっと……ちょ、ちょっと待っててください。私も駅まで行きます!」


 だからレインコートで現れ、濡れていたのかと納得した。私は気付くと寝起きのままで、心の中でキャアアアアアと叫んだ。慌てて、服を着替えて、顔を洗って、素早く髪を1つまとめた。自分の身なりに恥ずかしくなったが、栗栖さんは気にしていないようで、何も言わなかった。玄関先の木々の濡れた葉に触れていて、ドアが開くとくるっと振り返る。ムーちゃんが足元ではやく!はやく!と足踏みしていた。


「じゃあ、ムーの散歩をしながら行こうか」


 ムーちゃんは喜んで、リードをグイグイ引っ張るので、小走りの散歩になる。台風後の道はまだ濡れていて、葉っぱや枝が散乱している。しかし空は澄み渡って晴れていて、清々しい空気の朝だった。


「足はなんともない?」


「起きたら、痛くありませんでした」


「良かった!ムー!引っ張りすぎるなよ〜」


 やはりムーちゃんは栗栖さんを引っ張り、早くおいでよ!と自分がリードしてるつもりのようだ。


 駅に行くと、駐車場に軽トラが停めてあった。ムーちゃんはまだ散歩したそうだったが、栗栖さんが、そろそろ帰らないとヤバいと言った。


「仕事、忙しいのに、ありがとうございました」


「いや、急に来てびっくりしたよね……たぶんメールしたら、桜音おとちゃんは僕が危ないとかひどい天気なのにって思って気をつかって、大丈夫ですって言うと思ったから押しかけちゃった!」


 その通りだと思う。私はたぶん……そんな返事をするだろう。私はワガママにも素直にもなれない。かすかに私は頷くと、やっぱりねと栗栖さんは笑った。


「おい、兄貴。まさか……新居の家に泊まってたのか!?」


 私と栗栖さんはその声にハッ!とした。栗栖先輩が大きな部活用の鞄を持ち、駅に来たのだった。


「まぁ……台風で心配で……って、おまえはもう部活行くのか?」


「変なこと新居にしてねーよな?」


 へ、変なこと!?私は自分が栗栖さんの髪や頬に触れてしまったことを思い出して、一人で赤面した。


 栗栖先輩は栗栖さんの問いかけはどうでもいいとばかりに無視して、どうなんだよ?と再度、質問している。

 

「なにもしてないよ!クタクタに疲れて朝まで熟睡していたし、それにムーを連れてって番犬として置いといた……で、信用できないかな?」


「……むしろ台風の最中に熟睡できるってなにしに行ってんだよ」


 なぜか呆れたように言う栗栖先輩。私は二人のやり取りをなんだかドキドキして見守る。


「ほんとに……まぁ、そのとおり。寝てて役立ってはいない……日中、台風対策しててさ、クタクタだったんだ……あ、電話だ」


 ……来てくれただけで十分心強かったんです!と私が言う前に、電話がかかってきて、栗栖さんが出た。


「えーと、知り合いの家にいたんだ。あー、ごめん。今から?わかった。田んぼの方を見回りしてから帰るよ」


 そう言って電話を切る。


「母さんに台風の最中にどっか行くならちゃんと言っていけと怒られた……子供じゃないんだけどな」


 そう言ってムッとしてる栗栖さんが可愛すぎた。栗栖さんは私のことを子供のように扱うのに、お母さんには子供扱いされていて、思わず可笑しくてクスクス笑ってしまった。


 そんな私を目を細めて優しい表情をし、ニッコリする栗栖さん。


「じゃあ、田んぼの様子見てみるから、行くね!」


「はい。本当にありがとうございました」


 軽トラで、慌てて去っていく。台風の後も忙しいのかも……なにかお手伝いできないか後から聞いてみようかな。


「おい……兄貴のこと、やめとけって忠告したよな?無理なのか?」


 栗栖先輩が私の顔をジッと見ていた。完全に私の栗栖さんへの想いは見透かされている。


「教えてくれたのに、どうしても無理みたいです」


「……ほんとに無理だからな。どんだけ歳離れてると思ってんだ?絶対に後から泣くぞ」


 カンカンカンと踏切の警報機が鳴り出し、やれやれと呆れたように駅の改札へと向かって行ってしまう。


 きっと私は泣くことになる。叶わない恋だって、わかってる。でも諦め方がわからない。


 私は来た道を一人、歩いて帰る。台風の雨のおかげで少し涼しい。朝顔が植えてある前を通る。花から水滴がポタリと落ちた。キラキラ光る雫。私は泣くことになる。栗栖さんが私を好きになる奇跡が起こらないかな?終わりが来なければ良いのにと自分勝手なことを願った。

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