310 決戦!ファイナルレース⑤

 すると、凍てつく風を切って羽ばたく玉葉ぎょくようの翼が見えた。森々の泉のような瞳が振り返って、フィオにやさしく微笑みかける。

 テーゼ!


『まだいける。やれる。お前なら飛べるはずだ』


 腰を強く支えられる感触がした。乾いた土のにおいがする。耳元で彼がフッと笑っている。


『信じろよ。この色男益荒男ますらおチェイス様を!』


 テーゼが導くように前へ翼を振る。フィオはチェイスの手にうながされて、腰を限りなく低く落とし、シャルルにしがみついた。

 青空のように明快で自由だったチェイスの笑顔を思い出して、笑う。


「シャルル。ジョット。お願いがあるの」


 もうひとりでいこうなんて思わないよ。私たちは魂で結ばれた運命共同体――相棒なんだから。


「私といっしょに心中して!」


 いくなら最期までいっしょだ。


『待ってた……その言葉をずっと待ってた……! 限界を振りきってくださいフィオさん!』

「シャルル! 私に構うな! 本能のままに飛べ!」


 それはシャルルの理性を外す合図だった。ライダーを気遣わないドラゴンには、一秒だって乗っていられない。その常識を打ち破り、禁忌の領域へ踏み入る。

 代償として差し出すのはこの命と、ふたりの相棒の人生だ。


「フィオ・ベネット、一世一代の大勝負。見ててよテーゼ、チェイス」


 シャルルの咆哮が響き渡る。瞬間、頭部から下の筋肉が大きく隆起し、硬化した。漆黒の両翼が高く鋭い風切り音を帯びて、空を斬り裂く。

 フィオの体は大波に呑まれたかのように揺さぶられ、硬い皮ふに叩きつけられた。風が壁となって襲いかかり、息もできない。

 超加速したシャルルを、ヴィゴーレもすかさず追いかけた。体格に見合った大きな翼は、シャルル以上の推進力を持っていた。しかし、ますます強まる風が、徐々に巨体から体力を奪っていく。

 観客の帽子が飛ばされ、チケットやパンフレットの紙吹雪が舞う競技場コロセウムに、二頭のドラゴンが戻ってきた。

 ロワ・ヴォルケーノとナイト・センテリュオ。一歩もゆずらない激しいつば迫り合いに、人々は立ち上がり身を乗り出して息を呑む。

 地上に敷かれた白いゴールラインを駆け抜けたのは、ほぼ同時に見えた。観客の目が、実況者と解説者の目が、売店の店員、警備の竜騎士までもが、一斉に空を見上げる。

 そこには今しがた、記憶石が記録したばかりのヴィゴーレとシャルルが映し出された。横から見ても判別しがたい立体像を、審判長が頭上からの視点に切り換える。

 その瞬間誰かが「あ!」と叫んだ。

 審判長が優勝者の名を高らかに告げる。


「記憶石の判定により優勝は……、フィオ・ベネット選手とシャルルです!」


 歓声が弾ける。拍手と指笛が幾重いくえにもこだまする。観客たちは飛ばされた帽子のついでとばかりに、マフラーや手袋、タオルを手当たり次第に投げはじめた。

 その上で、屋根にとまった相棒ドラゴンたちも、吠えたり宙返りしたりしている。

 実況者ロ・パクパクが涙声で実況をつづけていた。


『フィオ・ベネット選手は過去三回、九年間に渡りロードスター杯に挑みつづけてきました……! そして昨年には転落事故で怪我をし、長年のナビとも別れるという大きな環境変化もありました。それを乗り越えての! 見事優勝! 念願のロードスターの称号獲得です……! 本当に、ほんとうにっ、素晴らしい飛行でしたねスカイさん!』

『今やっとわかりました。あの人の本当のすごさは射撃じゃないんスよ。ドラゴンを、相棒を信じる心だ……。なんだか、俺もまた飛びたくなったな』


 どこかうれしそうにそう語ったスカイの声を、フィオは空を見上げながら聞いていた。

 ゴール直後、まるでマナ切れの輝石みたいにぷっつりと、力が入らなくなった。地面に強打した肩とひざが痛い。ようやく息ができるようになったのに、足の激痛で歯を食い縛るはめになる。

 最悪だ。鼻水まで出てきた。

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