309 決戦!ファイナルレース④

『さあ勢いが止まりませんフィオ・ベネット! ハーディ・ジョーにぴたりとつけて、パピヨン・ガルシアとともに最後のコーナーへと差しかかります! あっと!? フィオ・ベネットはまたしてもライフルを構えている!』


 ざわめく実況と会場には悪いが、期待のペナルティショットを撃つつもりはない。しかしライフルを出したとたん、パピヨンとハーディが警戒するのを肌で感じた。

 ランティスを仕留めた余波が、もしかしたら当てられるかもしれないと疑念を抱かせる。それで十分だった。フィオは、半歩先に旋回に入ったグレイスへ染料弾を放つ。


「グレイス避けなさい!」


 パピヨンはすかさず指示した。しかしそれは過剰な回避だった。旋回の内側に大きな隙ができる。シャルルはそれを見逃さず、鼻先を突っ込んで押し入る。

 ゴオゴオと大瀑布だいばくふが滴る絶壁を舐めるような旋回。グレイスは慌てて体で妨害しようとするも、シャルルのしっぽを捕らえることはできなかった。

 ハーディ・ジョーとヴィゴーレ――前回優勝者のロードスターが、目と鼻の先に迫る。コースは瀑布から競技場コロセウムまでの直線に入った。

 この時を待っていた。

 風向きが変わる。


向かい風アゲ六メートルシックス! フィオさん!』

「ジョット! エルドラドで専門用語教えた時、私がなんて言ったか覚えてる!?」

『シャルルはアゲでも粘れる! 向かい風は勝負に出れるチャンスです!』

「そういうこと!」


 ロワ種の巨体を壁に利用し、わずかの差を埋める。そしてフィオは迷うことなく横へ出た。とたん、双子山から吹き下ろす風が叩きつけてくる。

 せつな押し戻されそうになり、シャルルはいっそう翼を振り、全身の筋肉を躍動させた。


向かい風アゲ九メートルナイン!』


 質量を感じるほどの風の中、ついにシャルルはヴィゴーレと並んだ。横目でちらりと相手をうかがう。ハーディに焦りはない。低い姿勢を保ち顔を上げ、ひたすら前を見ている。

 ヴィゴーレも風をものともしていなかった。体の大きさに比例して空気抵抗も強くなるはずだが、翼は一瞬も乱れない。


「くそ……っ」


 フィオの胸に焦燥が生まれた。ヴィゴーレを抜かすことができなかった。直線に入ってからシャルルは間違いなく最高速度に乗っている。それでも振り切れない。


『フィオさん、残り二キロです!』


 どうする。射撃で牽制けんせいするか?

 いや。この強風で射撃姿勢は大きな失速だ。当たる確率は低い上に、差をつけられては意味がない。体当たりなんてもっての他。ふた回り大きいヴィゴーレに挑んでも、こちらが跳ね返されるだけだ。


向かい風アゲ十一メートルイレブン!』


 寒い。水に濡れたところから体温が奪われていく。手足の感覚は薄れ、凍りついたように動かない。今にもポキンと折れてしまいそうだ。

 足のつけ根の患部が震えている。遠ざかっていた痛みが戻ってきて、フィオの肉と骨を引き裂きにかかっていた。痛みの波が来る度に体が跳ねる。目に涙が浮かぶ。噛み締めた唇から悲鳴が絞り取られる。


『フィオさん? だいじょうぶですか。息が苦しそうですよ。フィオさん?』


 あと少し。あとほんの十秒で届く距離に競技場ゴールが見える。

 だけど力が入らない。涙で前が見えない。もう自分が、ハンドルを握っているのかさえわからない。

 なんでこんなに遠いんだろう。

 なんでこんなにままならないんだろう。

 神様は不公平だ。母と父を奪っておきながら、たったひとつの夢も、歩ける自由も、取り上げようとする。一体なんのために? ハーディと私、一体なにが違うの?


「ああ、そっか……」


 この世界に神様なんかいない。


『諦めるのか? 嫁。それは約束が違うんじゃないのか』


 その時、ハンドルを持つ手がぬくもりに包まれた。フィオはハッと目を見張る。

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