304 辿り着いた夢の舞台①

 そっか、と小さく笑って、腰に回ったジョットの腕を軽く叩く。するとその手を掴まれて、顔を覗き込まれる気配がした。


「それで。レース棄権したから許すつもりですか。甘過ぎません? フィオさんが傷つけられたものは、足だけじゃありませんよ。過去には人から借りたドラゴンで、レース優勝した人だっているんですから。あの人のしたことは身勝手です!」

「まあね。でも、もうあとがないから必死になってここまで来れたのもあるし」


 だけど一番の理由はそれじゃないんだろうな。そう思いながらフィオはジョットを見る。きょとんと首をひねる彼が愛しくて、かわいい鼻を摘まんでやった。


「ねえ、ジョット。私キースとヴィオラの分も飛びたい。いいかな」

「いいですよ。どれだけ背負っても、俺が支えますから」

「ありがとう。じゃあ行こうか」


 観客席を飛び越え、シャルルは颯爽さっそうと競技広場に下り立つ。漆黒のナイト・センテリュオ、金髪の狙撃女王、そして最年少ナビが現れたとたん、大地を揺るがすほどの歓声が響き渡った。

 ナビ席にジョットを届けて、フィオはファンに手を振る。ライバルたちがスタート直前までドラゴンに乗らず負担を軽減する中、フィオはシャルルから一切降りなかった。


「フィオさん」


 早々にスタート位置に着いたフィオに声がかかる。見るとミミが、心なしか緊張した面持ちをしていた。こんにちは、とお辞儀した彼女の目が、遠慮がちに足へと移る。


「だいじょうぶですか……?」

「同情を買うつもりはないよ。お情けで勝ったなんて言わせないから」

「今までのあなたを見て、そんな風に思う人はいません。ああでも、フィオさんはフィオさんですね! ゾクゾクしちゃいます! 転写絵、撮っても?」

「やだって言っても撮るんでしょ」


 答えているそばから転写機の操作音が走る。

 あれはシャンディレースの時だったと思う。スタート前、ランティスに『今大会のフィオさんの強さがわかったよ』と言われたことがあった。

 彼は意志の強さだと言ってくれたが、フィオはわからないと返した。覚悟も犠牲も、レースに懸ける思いはみんな同じだと思った。

 でも今ならはっきりと答えられる。


「ミミちゃん。もし私の記事を書くことになったら、載せて欲しいことがあるんだ」

「なんですか?」


 りんと吹き渡る風に乗せて、フィオは声をほころばせた。


「私を強くしてくれたのは、誰かのために飛びたいって気持ちです。今までずっと自分のために飛んでた私に、ナビのジョットが教えてくれました――って書いてね、って言ってる時に撮るなっつの」

「だって今今今! フィオさんどんな顔で言ってたと思います!? 私もう女神が降臨したのかと思って! これを撮らずになにを撮れって言うんですか!?」

「知らん。それよりちゃんと覚えたの?」

「もちろんです! 推しの声だけは聴力二倍になりますから逃がしません! あっ、ちゃんと手帳にも書いときますから。フィオさんがビリでもこれは意地で記事にします!」

「ファンなのにそういうこと言っちゃう? 今からだよ、レース。ねえ」


 手帳で隠れたミミの口角が上がっていると知りながら、フィオは「おーい」と責めつづける。すると堪えきれないといった様子でミミが噴き出し、仰け反って笑った。フィオもつられて思いきり笑う。

 なに笑ってるの? と不思議そうだったシャルルも、次第にくうくうとのどを鳴らした。


「フィオさん。あなたが届けてくれたテーゼの種は、森に植えました」

「うん。きっと立派な大木になって、ミミを見守ってくれるよ」

「テーゼはフィオさんのことも見守っていると思います。……ご武運を」


 ミミはキャスケットを深くかぶり直して、立ち去っていく。彼女の背中を見送っていると、ふいに思い出した。


――フィオ・ベネットのロードスター杯優勝記事を書くのはっ、このレ・ミミなんですからねっ!


 背負う思いがまたひとつ増える。けれどちっとも重くはない。

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