294 おかえり!

「おかえりフィオ! これでもくらえ!」


 やってはやり返す。ああ言えばこう言う。他人からすればケンカでしかない応酬も、フィオとだから笑って流せる。

 固く固く、握り締めた雪玉を顔面に思いきり投げつけてやる。これがディックなりの歓迎と祝いだ。


「てめえっ、フィオさんのご尊顔に傷ついたらどうすんだ! クソガキ!」

「あっ、ずるい! わたしも雪がっせんやるー!」


 ファース村の英雄が村にいると騒ぎになった時、四人と一頭はすっかり雪にまみれていた。



 * * *



「へいへいっ、ギルバート! 飲んでるー!?」

「飲んでない。酒は終わりだ。そのグラスを放せ」


 村唯一の宿〈どろんこブーツ亭〉に顔を出したフィオは、女主人ティアと再会を喜ぶ間もなく、連日のどんちゃん騒ぎに呑まれた。

 ディックの父エドワードを筆頭に、フィオのグラスには酒が、ジョットの席には料理が振る舞われ、飲めや食えやの大合唱。誰かが「フィオの祝賀会だ!」と名目をつけていたが、そんな様相は一秒もなかった。

 飲みたいから飲む。踊りたいから踊る。主役であるはずのフィオはそっちのけで、宴は盛り上がっていく。

 フィオも気にせず、胃に入るだけ酒を流し込んでいたのだが、その手を止められた。村医者のギルバートだった。元主治医は陽気な場に似つかわしくない顔をしていたかと思うと、フィオの腕を持って輪から連れ出した。


「相変わらず堅いねえ、ギルバートは。今晩で村中のお酒飲み干しちゃおうよ」

「ふん。酒などないほうがバカが湧かなくて済むが。食料が尽きるのは困る。宴はまもなく終わりだ。ティアにも頼んだ」


 つまんないの、と口をつけようとしたグラスは、ギルバートに奪われた。ムッとにらみつけるフィオを、ギルバートは客室に引きずっていく。

 抵抗は早々に諦めた。この名医の前では、強がってみたところで無駄だ。


「懐かしいね、ここ。私が泊まってた部屋だ」


 なにを言われる前に、ベッドに腰かける。長距離移動でくたくたの足を、ブーツから解放した。


「お前さん、酒ばかり飲んでたな。ドラゴンレースと同じくらい、食い意地張ってるお前さんが」

「あら。よく見てるね。ギルバートって私のファンだった?」

「はぐらかすな」

「……そ。痛くてね、食欲が湧かない。お蔭で減量には苦労しないよ」

「そこまで症状が進行してるのか」


 ギルバートの手が足の患部に伸びる。酒を止められた時から、いや、ファース村の看板が見えた時からこうなることはわかっていた。

 今一度、自分の状態を知り覚悟を固めたい。フィオは身構えることもせず、目を閉じる。


「ぐっ、あ……!」


 声も抑えられない激痛が走った。ブワリと汗が噴き出して、軽く触られただけなのに呼吸が上ずる。痛みへの恐怖で、目玉ひとつ動かせなかった。


「……あれからずっと考えていた。フィオ、お前さんの足はおそらく、転落事故の衝撃で大腿骨頭だいたいこっとうへの血行が阻害された。骨折自体は治ったが、血の行き届かない骨頭はやがて壊死えしする」

「壊死……。それで、どうなるの」

「最終的には、骨頭が潰れて消失。右足は使いものにならなくなる。壊死した骨頭を取り替えない限り、治ることはない。だが今の技術では」

「治療不可。私が歩けなくなることは確実ってわけね。そんな顔しないでよ。元々わかってたことでしょ」

「元からこんな顔だ」

「あー、そうだね。割りとそうかも」


 ふん、と鼻を鳴らしてギルバートは手を引く。口うるさかった医師のあっさりした態度に、フィオは思い知らされた。

 これ以上の打つ手はない。この足はただ死を待つことしかできないのだ。


「今さらレースをやめろとは言わない。だが無茶はするな。命あっての物種だぞ」

「悪いけど、一位を目指さないならレースに出る意味はない。痛み止め、ありったけちょうだい。私は死んでもロードスターになる」

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