第12章 ロードスター杯最終レース

293 ただいま!

 ディックは冬が好きだ。降り積もった雪で雪合戦ができるし、木の板で丘を滑り下りるのも楽しい。なによりキャベツが育たないから、父エドワードに畑を手伝えとうるさく言われなくて済む。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん。フィオおねえちゃん、ロードスターになったんでしょ?」


 雪だるまの体に、木の葉のボタンをつけながら、妹のアンジェラが声を弾ませる。ディックは雪玉を持ち上げて、胴体の上にどしりと置いた。


「まだなってないよ。最終レースに進んだだけだ。まあそれも十分すごいけど」

「なあんだ。お父ちゃんたち毎日さわいでるから、ロードスターになったと思った」


 一週間ほど前の新聞でフィオの活躍を知ってから、ファース村は豊穣ほうじょう祭のようなにぎわいを見せている。例年なら冬は、秋までに蓄えた保存食だけでしのぐ慎ましい日々を送っているはずだ。

 なのに大人たちはみんな宿屋〈どろんこブーツ亭〉に集まって、昼夜問わず秘蔵の果実酒を片っ端から空けていた。寝ぼけたボア・ファングを鎮めた英雄の栄達えいたつを、自分のことのように喜んでいる。


「お兄ちゃんはうれしくないの? なんかずっと、おこってる」


 妹に下から覗き込まれて、ディックは見透かされたような心地になった。雪だるまの眉や口に合う小枝を探すふりをして、視線を外す。


「別におこってない。フィオのことすごいと思うし、おれもうれしい。でも……」


 足元からパキリと音がする。小枝が細かく折れていた。これじゃ使いものにならない。

 そう思いながらもしゃがみ込むディックの脳裏に、フィオをからかっていた自分の声が響く。


「フィオは、おれなんかによろこばれても、うれしくないよ」

「もしもーし。そこのクソガキども、〈どろんこブーツ亭〉がどこにあるか知ってる?」


 ふと響いた声は、上から聞こえた。ディックとアンジェラは弾かれるように顔を上げる。

 今にもまた雪が降り出しそうな曇天を、黒いドラゴンが飛んでいた。しなやかに旋回しながら、粉雪を舞い上げて下りてくる。

 ディックはとっさにかざした手の向こうに、ひとりの女性が雪を踏み締めるのを見た。レースライダーがまとうジャケットの赤が、白の背景に映える。黒いロングブーツに包まれた足の歩みは、しっかりしているように見えた。

 みつあみに結った金のおさげ髪は、飛行帽にすっぽりと覆われ、赤らんだ鼻先までマフラーできっちり風除けしている。

 蒼天の目がディックを捉えて、意地悪く笑った。


「ディックは私の活躍を喜んでくれないんだあ。ひどい。泣いちゃうかも」

「フィオおねえちゃん!」


 集めていた枝を放って、アンジェラが駆け出す。飛びつく妹をフィオは満面の笑みで受けとめた。

 素直な妹がうらやましい。ディックはぼやきを聞かれていた羞恥しゅうちと、凍えたような震えに見舞われ、動けずにいた。


「おねえちゃんどうして! なんでファース村にいるの?」

「ロード島がちょうど近くの地域を浮遊してるの。だから行く前に、村のみんなにあいさつしようかなって思ってね」


 アンも大きくなったね、と頭をなでられて妹はご満悦だ。それならこちらも負けてはいない。ディックの妹への対抗心が、むくむくと羞恥を上回る。


「お、おれはひどくない! こんくらいで泣くフィオじゃないだろ! ロワ・ボアのくせに!」

「あ?」


 シャルルにもうひとり乗っていた男から、血走った目で見下ろされた。ディックは引きつった悲鳴をもらす。

 宿の客人だった少年が、フィオのナビをしていることは新聞で知っている。少し年上の同じ子どもだと思っていたが、再会した彼はまるで時を超えたようにずっと大人びて見えた。


「相変わらずの悪ガキだねえ、ディック」


 突然、冷たいものが米神に当たる。見るとフィオが雪のついた手袋で、ディックを指さし笑っていた。


「でも帰ってきたって気がする。ただいま」


 その笑顔を見たとたん、に落ちた。凍えたような感覚は、震えるほどの喜びだ。

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