291 想いは時を渡る

「久しぶり。遅くなってごめんね」

「誰と話しているんですの?」

「チェイスだよ」

「聞こえるんですの?」

「どうかな。聞こえたらいいけど、私の自己満足かもしれない」


 ますます首をかしげるマドレーヌに苦笑を浮かべ、フィオは花束を石棺の上に供えた。チェイスの目とよく似た青い花を中心に、明るいのが好きだろうと黄色やピンクも織り交ぜてみた。

 死者へ手向けるには派手過ぎる。けれど、快晴の空のようだったあの人にはとてもよく似合う。


「チェイス、届いたよ。あなたとプッチが繋いでくれた絆。今度は私たちが未来へ渡していくからね。あなたの思いも乗せて飛ぶよ。見守ってくれたらうれしい。……本当に、ありがとう」


 閉じたまぶたの向こうが、にわかに明るくなる。フィオは顔を上げた。するとマドレーヌとトルペが手分けして、壁画の周りにある照明をつけていた。


「マドレーヌいいよ! もう帰るから!」

「明るいほうがチェイスに届くですの!」


 彼が遺した自分の絵を見るのは、恥ずかしいんだけど。

 似ているどころか当の本人だったフィオの心など知る由もなく、マドレーヌはてきぱきとすべての照明をつけ終わる。作者いわく、水の精の白い沐浴着を着た女性が浮かび上がった。花冠や表情の違いは、チェイスの意匠だろう。


「これを平和になった世界で描いたのかな。きっとプッチも手伝ってくれたんだね」


 子孫がいるのだから、あのあとすぐ結婚したんだろう。幸せだったかな。レイラさんは喜んだかな。

 はじめて見た時には感じなかった様々な思いが、止めどなくあふれてくる。


「あれ。あんな字あったかな」


 フィオは壁画の顔の横に、文字が刻まれていることに気づいた。しかし記号のような古代文字で書かれていて読めない。


「ねえ、マドレーヌ。あれって文字だよね? なんて書いてあるか知ってる?」

「あれはこの絵の題名ですの。お父さまから聞きました。こう書いてあるんですの」


――私が最後に帰る場所。


 ハッと口を押さえ、息を呑む。それはチェイスからフィオへ、千年の時を経て届けられた心音こころねだ。

 両手に抱えきれないほどの守るべきもの、やるべきこと、果たす責任があっただろう。時が、距離が、容赦なく風化させていく中で、それでもチェイスはフィオを想いつづけてくれたというのか。


「ばか……っ」


 どうしたらその心に報いることができる?

 おぼれてしまいそうなほどの愛に、息継ぎもままならない。


「ししょー? 泣いてるんですの……?」

「ううん。うれしいの。私も負けてられない。ロードスターくらいにならなきゃ、チェイスに愛してもらった甲斐がないよね!」

「ししょーが一番ですの! だってマドレーヌのししょーですもの!」

「ありがとう」


 微笑んで、フィオはマドレーヌに向かって両手を広げる。すぐ意図に気づいた少女は、駆け寄って思いきり飛びついてきた。ぬくもりを抱き締めて、フィオはやわらかい髪にキスを贈る。

 毛先だけが水色の特徴的な金髪。彼の血は確かに今も生きている。


「マドレーヌ。あなたはその髪色、好き?」

「うん! 好き! お父さまもお母さまも、ランティスお兄さまもすてきだって、ほめてくれるですの!」

「そうだね。きっとレースライダーになってね、マドレーヌ」

「マドレーヌはししょーみたいな、ペナルティショットうてるライダーになるですの!」

「それはそれは。おっかないなあ」


 にやりと笑ってフィオはマドレーヌの脇をくすぐった。キャッキャッと少女の笑い声が墓所に響く。

 驚いたように発光石の光が瞬いた直後、暗く湿った室内にあの時代の乾いたにおいを感じた。


『フィオさんが浮気したらどっかに繋いで閉じ込めてやるうー』

『なに言ってんの。ほら、戻ってきたよ』


 地上で待っていたジョットは、流れてきた思念通りぶすくれた顔をしていた。それをマドレーヌに笑われて、ますます凶悪な目つきになる。

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