288 彼の覚悟
「言い忘れてました。俺の今の名前はジョット・コリンズです」
「な、に。どういうことなの……」
「これで父さんから宿屋を継ぐことができます。俺がコリンズ家の長男になったので」
まだフィオは話を飲み込めなかった。しかし手にした書類も、ジョットの姓がウォーレスからコリンズに変わったことを告げている。夢にも思っていなかったことに、言葉が出てこなかった。
ほとんど力の入っていないフィオの手から書類を抜き、ジョットは代わりに手を重ねた。
「フィオさんの決意もやさしさも踏みにじって追いかけてきたんです。俺がなんの覚悟もしてないわけないでしょ。ピュエルとの婚約は断りました。俺は島主になるより、父さんの宿を継ぎたいんだって。フィオさんの名前は出さなかったけど、どうかな。もし問い詰められたら、口裏合わせてくださいね」
「ジョットは、宿の主人になりたいの……?」
「はい。だってそうすれば、フィオさんを養える」
目を見張り、息も忘れてジョットに見入る。彼はフィオの手を両手に包んで、やさしい微笑みを浮かべた。
「安心して飛んでください。もし歩けなくなっても、俺が支えます。俺はもうあなたに守られるだけの子どもじゃない。宿屋〈夕凪亭〉の跡取りジョット・コリンズ。これが俺の覚悟です」
フィオの手を引き寄せ、ジョットは触れるだけのキスを落とした。
「だから新居は俺の実家にして欲しいなあって思うんですけど、勝手過ぎ、ますよね? もちろん納得いかないところは全然言ってもらっていいんで! これからふたりで、話し合っていけたらなあ、と……」
慌てて弁明をつけ加えるジョットに、フィオはジト目を送る。フィオの選択肢などあってないようなものだ。この足が治る奇跡でも起きない限り、人を頼らなければ生きていけないのだから。
新婚生活にまで話が飛躍して、締まりのないジョットの頬をフィオはむぎゅりと掴んだ。
「あのね、わかってる? ただでさえ客人の世話で大変なのに、私の世話までしなきゃいけないんだよ」
「フィオさんのお世話させてもらえるなら、他の人なんて――あ、はい。まじめに答えます。大変なのは覚悟の上です」
「てきとうに言わないの。まだ笑ってるでしょ」
「えへ。だってフィオさん、俺の実家来てくれる前提で話すから」
だらしない笑みの下で、フィオに触れる彼の手は、かすかに震えていた。心の傷は塞がらないまま、それでもジョットはフィオを信じ求めてくれる。恐怖よりも、触れ合える喜びを選んでくれる。
まだなにも掴めていないこの手でも、その傷を癒せるなら、そばにいたい。いつでも手を繋げる距離に。
「……そりゃ、離れるつもりないもん」
「フィオさん」
手首を掴む体温の高さに、頬を摘まんでいた指はあっけなく力を失う。
遮るものがなくなった距離を埋め、ジョットはフィオのあごに指をかけた。上向かされ、熱をはらんだひなた色の瞳に絡め取られる。
重なる呼吸、ぬくもり。影が落ちてゆっくり近づく鼻先――を、フィオは指でぶにりと突いた。
「ダメです」
「また!? もうっ、一回くらい大人しくキスされてくださいよ!」
「させるか、このマセガキ。もう〈未成年保護法〉がある現代に戻ってきたんですからね。口と口のキスは違法なの」
「そんなの誰が見張ってるんですか! この狭いコテージで! バレなきゃいいでしょ!」
窓や天井を指さして、誰もいないでしょと喚くジョットの頭を捕まえ、フィオは額に口づけた。
「二年後に、ね」
「くっっっそ! 覚えてやがりくださいよ!」
「やーん」
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