286 預り物を届けに①

 ヴィゴーレの気配は感じていたが、ジョットはさも驚いたように装う。


「うん。僕にもよくわからないんだけど、ヴィゴーレがどうしても来たがったんだ」


 ハーディもザミルも、どうして自分がここにいるのかわからないという顔をしている。途方に暮れる人間をよそに、ヴィゴーレはくぼんだ地面をじっと見つめていた。

 そこはテーゼが横たわっていた場所だ。


「フィオさん……!」


 シャルルから降りてきたフィオに、ミミが駆け寄ってくる。涙でうるんだ彼女の目を見て、フィオは悟った。ミミも改変前の世界を知っている。

 勢いよく抱きついてくるミミを、フィオはしっかりと受けとめた。


「よかった、無事で! 本当によかった……!」

「ミミちゃんは記憶があるんだね」

「はい。テーゼが、たぶん千年前の彼女だと思うんですけど。『あなただけは私の最期を忘れないでください』って、私を時の修正から離れさせました。この時空では、テーゼは老死したことになっています……」


 テーゼのいた場所を振り返ったミミの目が、痛みを堪えるように細まる。相棒の決死の覚悟は、彼女にとって辛かっただろう。しかしそれがなかったことにされ、今や誰も覚えていない。

 ミミのやるせない思いを感じ、フィオはそっと彼女の肩に触れた。


「ミミちゃんにね、渡すものがあるの」


 不思議そうな顔をするミミの前に、フィオは胸当て布の間にずっとしまっていたものを取り出す。手のひらの上で、ころんと丸い種が転がった。


「テーゼが亡くなったあと、そばに落ちてたんだ。きっとテーゼが、ミミに渡しかったものだよ。無事に持って帰れてよかった」

「テーゼが、私に……」


 ミミは壊れものを扱うように種を摘まんだ。光の加減によっては赤くも映る表皮を見つめ、突然ワッと口を押さえる。


「ホウキノキの種……! テーゼ、ああっ、テーゼ……!」


 両手で種を握り締め、崩れ折れるミミを支える。その場にゆっくりとしゃがませると、フィオはすすり泣くミミを抱き締めた。

 まだもうひとつ預り物がある。

 遠くからこちらを見つめるヴィゴーレに、フィオは心で語りかけた。


『ヴィゴーレ、あなたにもテーゼから託された言葉があるの。「次、会う時までに、もっと火加減を覚えておいてくださいね」って』

『ああ。お前らしいよ、テーゼ。当然のように「次」をくれるのだな……』


 ヴィゴーレは空に向かって吠えた。低く細くかすかに揺れるその声は、ハーディやザミルの耳にも悼みとして響いた。


「じゃあフィオさん、僕たちはこれで。ベルフォーレレース、応援してるね」


 ヴィゴーレの並々ならぬ想いを感じ取り、ハーディとザミルはティルティに滞在することを決めた。となれば早急に宿の手配をしなければならない。

 また来れるから、とヴィゴーレをなだめて乗り込んだハーディは、にっこりとフィオに声援を送る。

 ちょっと言ってる意味がわからない。


「いや、私はルーメンで二勝目上げたでしょ」

「あああっ! あのですねフィオさん、ちょっとこっち来てください。ジョットくんも」


 噛み合わない会話から、フィオはミミに連れ出される。手招かれたジョットと三人で頭を突き合わせ、こそこそ会議がはじまった。


「私、歴史が変わってから手帳を読み返していたんです。これには日程とか、記事の草稿が書いてありますから、記憶とどれくらい違うのかと思って」


 ミミはポケットから手のひら大の手帳を出した。手早くページをめくり、フィオとジョットに突きつける。


「これによるとフィオさんたちは、ルーメンレース失格になってます!」

「ええ!?」

「なっ、失格ってどういうことですか!」


 驚きよりも不満をあらわにして、ジョットが喚く。


「えっと。『ゴール間際、フィオ・ベネット氏は突如引き返しコースを外れた。レース観戦中だった竜騎士団団長の末娘マドレーヌ・ヒルトップ嬢が、誘拐犯に狙われ、氏は見事これを防いだ』とあります」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る