285 もう痛くないよ
フィオはふと思い立ち、ランティスの袖を引く。
「ランティスさんがベルフォーレに来たのは、ロードスター杯の警備強化をするためですか?」
「ん? いや、警備は十分だよ。僕とコレリックは、きみとウォーレスくんと戦いに来たんだ。妹の、マドレーヌの願いでもあるからね」
「そうですよね。レース、楽しみにしてます」
ひとつひとつの欠片があるべき場所に戻り、本来の姿を取り戻している。その喜びを噛み締め、フィオはひとり安堵の息をついた。
通路の奥からガチャガチャと音がする。格子に爪を引っかけて、シャルルが出たがっている音だ。
低く間延びした声が訴えている。どうして閉じ込めるの? 寂しいよ。怖いよ。次いで、地面を掻きむしる音が走った。不安が苛立ちに変化している。
「ランティスさん、すみません」
居ても立ってもいられず、フィオはランティスを抜かして駆け出した。すると、爪音がぴたりとやむ。期待と疑念がフィオの胸に雪崩れ込んでくる。
いくつもの鉄格子が並ぶ中、フィオは迷いなくひとつの牢屋前で立ち止まった。
「シャルル!」
その瞬間、シャルルは後脚で立ち上がり鉄格子に飛びつく。シャルルの喜びがフィオの中であふれた。けれど、激しく振動した金属音が忌まわしい記憶を呼び覚ます。
すれ違って離れ離れに過ごしていた孤独。キースをなぎ払った狂気と痛み。頬を濡らした声なき悲鳴。
ランティスに鍵を外してもらったシャルルは、頭で格子扉をこじ開けて出てきた。だが、うつむくフィオに気づいてうろたえる。
しきりに鼻を鳴らしてか細い声をこぼすシャルルに、フィオは怖気づく胸を握り締めた。
「シャルル。またあなたを傷つけちゃったかな。たくさん怖がらせたよね。私がもっと強かったら、あなたにあんな涙を流させることはなかった……。ごめんなさい。でも私っ」
黒い四肢、輝く水晶の角、ひたと注がれる青い眼差し。その姿を目にしただけで込み上げる涙が、思い知らせる。
「こんなにもあなたが大好き……! もう離れたくないよっ、シャルル!」
広げた腕の中へ、シャルルは一直線に飛び込んできた。フィオは倒れながらも、愛しいぬくもりを力いっぱい抱き締める。やわらかな舌に涙を拭われるごとに、シャルルの想いが伝わってきた。
会いたかった。寂しかった。
大好きだよ。離さないで。
フィオはあの時届かなかった手を伸ばす。シャルルの大好きな角のつけ根に触れると、もっとと言うようにすり寄ってきた。シャルルが顔を埋めたのは、首と肩の間。甘える仕草に、服に隠れた咬創がやさしくなでられる。
傷と痛みは、一瞬で溶けて消えていった。
「思ったんだけど、私たちってもう最終レースに進んでるんじゃないかな」
キースたちとは竜置所で別れ、フィオはジョットとシャルルに乗って、ティルティの郊外に向かった。今日中にどうしても行きたいところが、もうひとつあった。
「え。そうなんですか?」
上機嫌に揺れるシャルルのしっぽを見て、笑ったままジョットは聞き返す。
「だってドラゴンが暴走してないってことは、ルーメンでロワ・ドロフォノスが乱入してないってことでしょ? だったら私一位じゃん。優勝じゃん」
「うわっ、本当だ! フィオさん天才! 最終レース進出おめでとうございます!」
「ありがと。なんだか実感ないけどね」
「それならゆっくりできますね。足も休められるし」
「そうだね。優勝賞金もあるだろうし、パアーッと遊ぼう!」
フィオが拳を突き上げると、シャルルも頭を上げて楽しげに吠える。その無邪気な姿にフィオとジョットがそろって笑った時、森が開けて苔島の池が見えてきた。
「ミミー!」
ひと際大きな苔島に佇む緑髪の女性を見つけ、フィオはシャルルを降下させた。ミミの横には前回優勝コンビのハーディとザミル、相棒ドラゴンのヘクト、そして自然科の竜王ヴィゴーレの姿もあった。
「ハーディとザミル。来てたんだ」
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