281 さよならは快晴の笑顔で②

 人を乗せて飛ぶ感覚もプッチに伝える。

 興奮気味だった心は、チェイスの名前を聞いたとたん我に返り、羽ばたきがゆるやかになった。時折ふらつきながら、灰色の目が何度もチェイスをうかがう。

 もうこんなにも思いやる絆があるのなら、ふたりはだいじょうぶだろう。近い未来、世界ではじめてのドラゴンライダーとなって、みんなを導いてくれるに違いない。


「……もう私にできることはないね」


 フィオは晴れやかな気持ちで、ひとつ深呼吸した。


「ありがとう、チェイス」

「なんだよ急に」

「だって、あなたが私を信じてくれなかったら、戦争を止められなかった。夢物語でしかなかった夢をいっしょに見てくれたから、私の夢も繋がったんだよ」

「まだ未来はどうなってるかわからないだろ」

「ううん、信じてる。私はチェイスとプッチを信じてるから、きっとだいじょうぶ」


 不安がないと言えば嘘になる。それでもフィオの胸に、後悔は一片もなかった。

 ふと、腰に掴まるチェイスの腕がゆるんだ。背中に冷たい風を感じて、フィオは振り返る。すると服越しに、彼の指が首元の咬創こうそう痕をなぞった。


「お前を嫁に選んだ本当の理由は、これだ」


 そう言ってチェイスは目を細める。懐かしむような、痛みを堪えるような表情が、風に揺れる髪で見え隠れしていた。


「ドラゴンにも心はあるなんて言うやつは、バカか病気だ。でもお前は噛まれていた。無知な楽天家でも口だけの理想家でも、妄信的な博愛家でもない。ドラゴンの力と恐ろしさを知りながらなお、歩み寄ろうとしていた! それが俺にはっ」


 首筋から辿り着いた指がそっと頬を包み、目元をなでていく。陽光が照らし出すチェイスの瞳は、湖面のようにキラキラと揺れていた。


「俺にはまぶしかった。お前がうらやましかった。俺も手を伸ばしていいのかと、許されるはずのない夢想に心踊った。フィオが俺の夢で希望だったんだ」


 ふいに腰を強く引き寄せられ、フィオはチェイスの胸にしな垂れかかる。身を起こすよりも早く、背中に回った彼の腕にきつく抱き締められた。


「なあ、行くなよフィオ。俺と夫婦めおとになって、これからもそばで支えてくれ。お前がいてくれたら、俺はきっとみんなを正しく導ける。もし俺が間違えた時、お前以外に誰が俺を遠慮なく叱ってくれるんだ」

「チェイス……」


 罪悪感がフィオの胸をちくりと刺す。

 ドラゴンと共生へ扇動しておきながら、これからという時に姿をくらませるのは、ずるいのではないか? ドラゴンとの仲介に交信能力は役立つ。みんながお腹いっぱいごはんを食べて、ぐっすり眠れる日が、一日でも早められるかもしれない。

 だけど私には、無責任と罵られてもゆずれないものがある。


「ごめんなさい」


 フィオは決然とした力でチェイスの抱擁ほうようを解いた。


「私にはドラゴンレースで勝って、ロードスターの称号を得るっていう夢があるの。それにはもう、時間がない。この足だから」


 足の患部をさすりながら、フィオはふと情けない笑みをこぼす。


「それにもう二度と、ジョットを失望させたくないんだ。私の夢が叶うことが夢だって言ってくれた彼のために、飛びたい。たとえずるくても、この足が動かなくなっても」

「知ってた」

「え……?」


 あっけらかんと告げられた言葉に、フィオはついチェイスをまじまじと見る。彼は失礼にも噴き出して、豪快に笑った。


「フィオが俺様になびかないことは知ってた。あんな顔見ればな、誰だってわかる」

「待って! あんな顔ってどれ!?」

「生きてるってわかった瞬間、飛びついただろ。あのマセガキに。その時のフィオ、絵のガキと同じ顔してた。グミ草みたいにてらてら甘い目して、シッポ草みたいにふわふわ浮わついて。お前がプッチだったら、ちぎれんばかりにしっぽ振ってただろうな」

「やめて! それ以上言わないで! 恥ずかしさで死ねる!」

「……俺がその顔を引き出してやりたかった……」

「やめてって言ってるでしょお!」

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