280 さよならは快晴の笑顔で①

「あー、まあな。山の族長は意気消沈したっていうか、考え込んじまったみたいで、また話し合わないといけないし。海のやつらとケリもつけなきゃならない。石や平原も、ドラゴンと共生って言うにはほど遠いしな」

「できるよ、チェイスなら。願った夢を掴み取れる」

「それは未来の書物にそう書いてあったからか?」


 バツが悪くなる顔をフィオは逸らす。学校の授業などまともに聞いたこともなければ、覚えてもいない。体育と昼食の時間が大好きで、ドラゴンとレース以外興味ない落第生だった。

 フィオはいっそ開き直る。


「書物はないんじゃない?」

「いやあるだろ! 初代族長だぞ!? 色男益荒男ますらおのチェイス様だぞ!?」

「そんなものより、私はチェイスを見てだいじょうぶだと思ったの! だってチェイスは愛されてる。レイラさんもプッチも、石の民のみんなからも」


 チェイスに気づいた民が何人か、立ち止まって手を振っていた。みんな笑顔だ。

 村が何度壊されようと、失ったものが大きくとも、チェイスがいればなんとかなる。そう信じている。だから彼を見上げるみんなの目は、希望に満ちている。


「チェイスが困った時はみんなが助けてくれるよ。百人力でしょ?」

「ははっ。いつも簡単に言ってくれるなあ、フィオは」


 赤土をなでる乾いた風が、ふたりの間を駆け抜けていった。揺れる髪を押さえて、フィオは少しの寂しさに気づかないふりをする。


「もう嫁って呼ばないんだね」

「……帰るんだろ、お前は。あのガキと、未来に」

「うん。それを話しに来たの。今夜、こっそり帰ることにした。見送りはいらないよ。ジョットとおチビが今、テーゼを呼びに行ってくれてるんだけど、ヌシを見たらまたみんな驚いちゃうと思うから」

「わかった。日没後は外出を禁止にさせる。気をつけて帰れよ」


 羊皮紙を見たまま、チェイスは口元だけで笑う。

 そっけない態度は彼の気遣いだ。フィオが気兼ねなく帰れるように、なにごともなかった顔をしてくれている。

 このままやぐらを下りるのが正しいと、フィオにもわかっていた。

 フィオにチェイスの手を取ることはできない。ふたりの生きる時間は違う。それぞれの場所で互いに叶えたい夢がある。

 けれどフィオは、忙しなく紙面を走るチェイスの手を掴んだ。


「ねえ、最後に思い出を作らない?」


 丸めた目をチェイスはぱちくりとさせる。しかしすぐに意地悪い笑みを浮かべ、フィオの腰を引き寄せた。


「へえ。俺様のあとじゃ、ガキは物足りなくなるぞ」

「そうじゃなくて、ね」


 戯れる腕をぴしゃりと打ち、フィオはやぐらの端へ駆ける。チュニックの裾をふわりと揺らして振り返った時、空から羽ばたきの音が降り注いだ。


「プッチを呼んだの」


 両手を広げたフィオの背後に、四枚羽の翼竜が現れる。まるで小鳥のように縁にとまったプッチは、チェイスに向かって高く鳴いた。

 翼腕が生み出す風に、羊皮紙たちがさらわれる。


「文字通り、天にも昇る快感を教えてあげる」




「ああああああっ!?」

「流れてくる感情と筋肉の動きから、プッチの動作を予測して重心を移動するの! って聞いてる!?」

「ちょっとむりいいいい!」


 でしょうね、とフィオは内心舌を出す。初心者がドラゴンの急上昇、急旋回についてこれるわけがない。


「ねえ! これで少しは、肩に担がれて振り回される人の気持ちがわかった?」

「わかった! わかった! もうなんでもいいから止めてくれえええ!」


 地面すれすれで即席ハーネスを引き、プッチに急降下から上昇へ転じさせた。シャルルよりも軽い体が、すぐさま気流を掴む。フォース・キニゴスの力強い四枚羽が空を叩き、まばゆく光る雲を割って青天を衝く。

 日差しはさらに凶悪に、空気はりんと冷ややかに、赤岩を置き去りにして青と風に包まれた。


「ゆっくりだよ、プッチ。チェイスを感じて。そう、風に乗るの。翼を振らなくてもあなたたちは自由に飛べる」

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