276 ジョットの正体

 今や遥か遠く、おぼろげだった記憶。


――やっと、みつけた……。


 実の両親に追いかけられ、崖から足を踏み外したジョットは、フィオに助けられた。

 やさしい笑顔にあやされ、あたたかい腕に心がほどかれて、頬を伝った涙。けれどそれは、恐怖の名残でも安堵でもなかった。


「俺は、ずっとフィオさんを探していた。もう一度会える日を待っていた。千年前の、今日この日から。竜神、お前は俺なんだな」

「正確には、私の魂を持って生まれた転生者なのだろうな。通りで私たちの魂とよく波長が合うはずだ」


 そう言いながら、竜神は自分の胸元を見下ろした。鼻の先、ちょうど胸部の中心から赤い光がすり抜けてくる。

 かすかに心音を刻む光の玉は、ゆるやかに下降していったかと思うと、溶けるようにフィオの胸に入っていった。


「これで私の寿命は半分になった。すでに永く生きた身。まもなく力尽きるだろう。何百年も冥界をさ迷うのか、輪廻をくり返すのか。わからないがジョット、お前を見ていると永遠の時も愛しくなる」

「心臓分けてもらって悪いけど、フィオさんは俺のだ」

「目くじらを立てる必要があるのか? 私はお前だぞ」


 ジョットはひざをつき、フィオの頬にそっと触れる。血色が先ほどよりよくなってきていた。手のひらにはかすかに、ぬくもりを感じる。

 指先ですいた前髪のやわらかさ、まぶたを縁取る金のきらめき、花びらのように瑞々しい桃色の唇。感じる。わかる。彼女の髪や肌に反射する光が、世界はこんなにも美しいと教えてくれる。

 弱々しい、けれど確かなフィオの吐息を受けとめながら、ジョットは彼女の唇をぺろりと舐めた。


「お前が俺の前世だろうが誰だろうが、俺は俺。フィオさんは渡さねえよ」

「……なるほど。灼きつくような焦燥もまた愛、か」




 まぶたを開くと、見慣れない石の天井があった。

 ここはどこだっけ。寝ぼけた頭で考えながら、ジョットは寝返りを打つ。硬い床に、動物の毛皮一枚敷いただけの粗末なベッドのせいで、腰や首がパキポキと凝り固まっていた。


「あー、最悪だ。全然疲れとれねえ。これなら草のベッドのほうがマシ――」


 横向きになったとたん、目に飛び込んできた光景に文句が引っ込む。隣で眠るフィオに、毛先だけ青い独特な金髪男が覆いかぶさり、今にもキスしようとしていた。


「汚ねえツラ近づけてんじゃねえええっ!」

「ぶほおわ……っ!?」


 思いきり顔面に拳をめり込ませてから、男は昨夜、ジョットとフィオを自宅に泊まらせてくれた人物だと思い出す。やたら俺様俺様とうるさい男は、確かチェイスと名乗っていた。


「自分の嫁に口づけてなにが悪い」


 ところがチェイスは侘びるどころか、不遜ふそんな態度だ。挑戦的な目つきに聞き捨てならない妄言を吐かれ、ジョットの小さな遠慮は彼方へ吹き飛ぶ。


「よめ? よーめ? キモい幻覚見てんじゃねえよこのナルシスト野郎。フィオさんがてめえみたいな中身スカスカ勘違い系チャラ相手にするわけねえだろ!」

「これが大事なお友だちで弟分ねえ……」

「あ?」


 なにやらバカにするような響きを感じ、眉をつり上げる。フィオを挟んでにらむジョットに、チェイスは悠然と座ったまま指を一本突きつけてきた。


「その一、何度も同じ寝床で寝た。その二、逃げる機会もあったのに逃げなかった。その三、互いに命を預け戦った。つまり嫁は身も心も俺様にベタ惚れってわけだ」

「はああ!? そんなのどうせてめえが無理やりしたか、フィオさんのお情けだろ! ポッと出がダンナ面してんじゃねえよバァーカッ! フィオさんはなっ、もう俺のナビなしじゃ生きてけない体なんだよ!」

「なんだと……! なびがなにか知らねえが、お前まだガキじゃねえか! 節度は守れ! 言っとくけどな、俺と嫁もあんな姿やこんな姿まで見た仲だぜ!?」


 あんな姿やこんな姿が、踊り子の衣装やキツネの着ぐるみ姿だと知らないジョットは、衝撃を受けてよろめく。

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