274 権現 一柱の光翼①

 テーゼの言葉に合わせ、五頭の竜王がそろって恭しくこうべを垂れる。ジョットはその光景を他人事のように眺めていたが、ふと、後ろに気配を感じた。

 フィオのそばを片時も離れなかったあの小竜だ。目をつむり、自然に四肢を伸ばした状態で、羽ばたいてもいないのに宙に浮いている。

 翼も見たことのないものに変わっていた。ここにいるロワ種の誰よりも大きい翼だ。ガラスの破片のような青い光がいくつも集まり、輝いている。そして頭上には、ふたつの光輪が交差して浮遊していた。

 口の中が急速に渇いていく。竜神と呼ばれたその存在は、ただそこにいるだけで場を圧倒していた。


「弱き者が滅び、強き者が生き残る。それが命の定め。そこに義も意もない。山から海へ水が流れることと同じ、人間との争いも起こるべくして起きたと見守っていたが」


 静かな声は竜神のものだった。小さな見た目に反して、老齢の威厳に満ち、男とも女ともつかない声色をしている。

 竜神はまぶたを開き、慈しみに満ちた目でフィオを見た。陽だまりを閉じ込めたような金色の目だった。


「だがフィオは、弱っていた私を助けた。噛みついても怒るどころか謝り、人間から私をかばってくれた。強さとは、なんだ? ここにたおれた彼女は弱き者か、オルグリオ」

「……弱き者、です」

「ならばイグナー、お前は人間の赤子のために、命を差し出す勇気があるか」

「僕は弱虫じゃありません。仲間のためならいくらでも盾になります。でも人間を助けてやる義理なんてない! です」

「強く勇気のある同朋たちよ。ではなぜ、人間を恐れる?」

「恐れてなどいない!」


 竜神の問いに叫んだのはヘルツィヒだった。


「我らは身のほど知らずどもに、思い知らせにきた。この世界の支配者は誰か! 頂点に君臨するのは偉大なる我らだと!」

「恐れていないのであれば、そう噛みつくこともあるまい。ヘルツィヒ、お前は小魚や虫にまで威嚇して回るのか」


 ヘルツィヒは押し黙り、目を背ける。

 すると竜神は音もなく舞い下りてきた。光の大翼は羽ばたかせなくとも、自在に宙を飛べるらしい。フィオに近づく竜神を見て、ジョットはとっさに大切な人の亡骸を掻き抱いた。

 そうすることをわかっていたような目で、竜神はジョットを見つめる。ジョットもまた竜神の目を見て、フィオにけして危害を加えないと理由わけなく確信した。

 同じ色を宿したふたつの瞳が、交わり重なる。

 再び竜神が身を寄せてきた時、ジョットは自然と腕の力をゆるめた。竜神は青白く冷たいフィオの頬に、頭をすりつける。

 自身の熱を分け与えるように、安らぎで包み込むように。細めた目には、見る者をハッとさせるほどの慈しみを帯びていた。


「真に強き者は何者も許し、受け入れる。力ではなく心で他者と結びつき、分け与えることを知っている」

「なにを与えるの? ですか」


 イグナーが首をかしげる。竜神はくすりと笑い、フィオの唇を舐めた。花のミツのように甘く、とろりとほころんだ声でささやく。


「愛だ。私はフィオからそれを分け与えられた。そして私も、フィオに愛を返したいと願った。これが互いを思いやり支え合う絆。牙や爪よりも強固な力だ」

「あり得ない。そんな目に見えない不確かなものより、殺せばそれで終わりだ!」

「ヘルツィヒ、無意味だ。絆の前にはその殺意さえ浄化される。争う理由も意味もなくなるのだ。捕らわれた赤子はお前になんと訴えていた? 『この人間はいい人だ。殺さないで。僕は無事だ。それでいいからもう帰ろう』これこそがフィオの愛の力だ!」


 悔しそうに牙を剥き、ヘルツィヒは身をよじらせて下がる。彼と入れ替わるように、翼竜王のオルグリオが一歩進み出てきた。

 ヘルツィヒと同じく人間を憎み、絶滅を望む彼に、テーゼとヴィゴーレの視線が集まる。


「竜神様、教えて頂きたい。なぜその娘は、自らの命を賭してまで、赤子をかばったのですか」

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