265 チェイス、その名は③

 と、次の瞬間、大地が波打ち一台の投石機が倒れた。そのふもとの赤岩がみるみる隆起していく。投石機は次々と横倒しになり、舞い上がった砂塵さじんの中から人々が逃げ出していった。


「なにか出てくる……!?」


 プッチの背からチェイスは身を乗り出した。山と盛り上がった地面から、砕けた岩が噴き出す。その裂け目から紫の閃光がほとばしるや否や、純白に輝く三本角が岩を割って現れた。

 赤土を掻く四肢は大木のように太く、首周りには突起が張り出している。体を覆う皮ふは鉄のように硬化し、鮮やかな紫から黄色へと染まっていった。


「こいつは山の族長が言っていた、大地の光るヌシ! この赤岩を砕いてきたって言うのか!? でもなぜ海の向こうのヌシまで……!」


 目につく投石機や防塞壁を破壊していく大地のヌシに圧倒され、チェイスは失念していた。ハッと我に返り、六枚羽のヌシを探す。巨翼きょよくの影は村の中央、闘技場コロセウムへと降りかかろうとしていた。


「嫁えっ!」



 * * *



「レイラさん、布をもっときつく巻いてください!」

「ええ! でもフィオさん、その腕はだいじょうぶ!?」


 フィオは血が滴る手にグミ草を握り締め、ブレ・プテリギオの口を片腕でこじ開けた。隙間から腕を突っ込んで、なるべくのど奥に植物を含ませる。

 まだ幼体と見られる個体でも、歯は鋭い。ブレ・プテリギオが異物を嫌がり噛みつく度に、フィオの皮ふはずたずたに傷つけられた。


「ぐっ。平気です、こんなの。この子の痛みに比べたら……!」


 グミ草を放してすばやく腕を引く。フィオはすかさず頭部に伸しかかり、暴れるブレ・プテリギオを押さえた。薬草を飲み込むまでじっと耐える。


「いい子だから、飲んでっ。体の中からもグミ草を吸収すれば、治りがよくなるよ。お願い、助けたいの……!」


 ギザギザのひれが暴れ、レイラはぶたれて尻もちをついた。見かねた小竜が吠えるものの、尾ひれで振り払われる。

 腕と足の痛みに歯を食い縛りながら、フィオはブレ・プテリギオののど元に手をあてた。しばらくしてそこが上下するのを確認し、力をゆるめる。とたん、頭から振り落とされて地面に転がった。


「三十粒は、飲ませた……。あとはあの子の体力次第だけど。これだけ元気があれば、だいじょうぶかな」


 仰ぎ見た空にふと、黒い巨影が現れる。


「嫁、逃げろ! 六枚羽のヌシだ!」


 チェイスの切羽詰まった声が聞こえた時にはもう、六枚羽のドラゴンが翼を畳み、頭を垂直にして急降下していた。

 知っている。あれはコズモエンデバレーに現れた翼竜科の王、ロワ・ドロフォノスだ。


――逃がさん、人間。死んで罪を償え! 我が同朋たちの痛みと苦しみを、思い知るがいい!


 にわかに、現代で対峙した翼竜王の言葉がよみがえる。


「レイラさん逃げてください! 建物の中へ! おチビ、その子を運ぶの手伝って!」


 飛び起きたフィオは、まずレイラを逃がす。激痛に苛まれる体を押してブレ・プテリギオに駆け寄り、残った布を掴んだ。青い模様がほとんど包帯で隠れた体を傾けて、布を下にねじ込んでいく。

 ひなを布に乗せることができれば、包む要領で両端を結び、小竜に持たせられる。

 ブレ・プテリギオが嫌がって身をよじるお蔭で、布はなんとか敷けた。急いで端と端を掴むフィオだが、巨影があたりを覆い尽くし、首筋に殺気がひたりとあてがわれる。


「あなたの言っていた罪とは、この子のことですか。確かに取り返しのつかないことを犯しました。許してと、言うことすら烏滸おこがましいっ。でも! もう一度だけ試してみてくれませんか……! 私たちはきっと結び直せる……!」


 血濡れの手が滑る。力が入らない。目にかかる汗を拭うフィオに、ロワ・ドロフォノスは容赦なく鉤爪を剥き出した。

 うなじをひりつかせるほどの死の気配に、フィオは布を放り出して小竜を掻き抱き、ブレ・プテリギオの上に覆いかぶさる。

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