264 チェイス、その名は②

 すぐには事態を飲み込めなかった。六枚羽のヌシと自分との間に、一頭のドラゴンが割り込んでいる。そのドラゴンはヌシと同じコウモリの翼を持ちながら、あろうことか親玉に向かってうなり、噛みつく素振りをした。

 まるでチェイスを守るかのような姿に、言葉が出ない。


「お前……お前、は……」


 脳裏で褪せかけた記憶が瞬く。

 抱き締めたひな竜は、細い体よりも大きな四枚の翼を持っていた。黄土色に茶色のブチ模様が不思議におもしろくて、小さいこととかけ合わせて、こう名づけた。


「プッ、チ……?」


 四枚羽のドラゴンが振り向く。キラキラ、陽光に輝く曇天色の目にチェイスを映して、やわらかく微笑んだ。そうだよ、と応えるように高く甘く鳴いてみせる。

 忘れていた風が、チェイスの胸をドンと叩いた。


「プッチ、プッチ……! 俺がわかるのか!? チェイスだ……! ずっとずっと、お前のこと考えて――」


 視線が外れた隙をヌシは逃さなかった。ひと振りで下がったかと思いきや、深く沈み込む。その瞬間大気がうなり、ヌシへ呑み込まれていった。

 六枚羽が一斉に振り上げられ、勢いよく空を叩きつける。横一閃にぴんと研ぎ澄まされた翼腕が、チェイスのいる石塔を一刀両断した。


「うわあ!?」


 チェイスは粉砕された石材とともに吹き飛ばされる。とっさに平原の族長の姿を確認したが、先に下りたのか見当たらなかった。


瓦礫がれきが! 逃げろ!」

「チェイス様あ!」


 地上から悲鳴が飛び交う中、身をひるがえしたヌシがこちらへ向かってくる姿を捉える。チェイスは舌を打ち、腰の革袋に手をかけた。


「これでも食らって少しは落ち着け!」


 フィオから受け取った最後の鎮静香が、牙を剥いたヌシののど奥に当たって弾ける。突然、粉を飲まされたヌシは盛大にえずき、頭を振りながら横へ逸れていった。

 しかしチェイスはもう、宙に投げ出されている。どんなに頑丈な者でも助からない高さだった。青ざめる民たちの目に、さらに信じられない光景が飛び込む。

 ブチ模様の四枚羽ドラゴンが、チェイスに近づいた。あたりの瓦礫を翼で弾き、長を追い詰める。いや、その腕は抱くようにやさしく、体は慈しみをまとっておだやかに寄り添った。

 せつな、チェイスと目を交わしたドラゴンは、背中で長を受けとめて高く羽ばたく。


「ドラゴンが、人を乗せた……?」

「さらわれたのか!? でも、今のは……」


 誰もが息を呑み、目を疑う地上より遥か青い空で、チェイスはプッチを抱き締めた。


「プッチ、お前こんなでかくなりやがって……っ。もうプッチって呼べねえじゃねえか」


 にわかに、不満の気持ちが込み上げてきてチェイスは戸惑う。まるで子どものように無邪気で突拍子もなく、自由な感情だ。

 そこまで考えて、ああそうかと理解する。自分の中で響く友の声に、確かに感じる絆に、熱い涙がにじんだ。


「俺も気に入ってるよ、その名前。ずっと呼びたかった……!」


 首をひねってすり寄ってくるプッチに、チェイスも頬ずりする。うれしそうな声を上げた友に顔中舐められて、やめろと言いながらチェイスは抱き締める腕に力を込めた。

 世界が見える。


「お前がいなきゃ知ることもなかった。空の偉大さ。大地の美しさ。絵なんかじゃ、とうてい表せられない」


 この奇跡にずっと、焦がれていた。


「よし、プッチ。俺とお前で六枚羽のヌシをここから引き離すぞ!」


 ひと声鳴いて応えたプッチが突然、緊張を走らせる。鋭い目を投石機のある地上へと向けた。

 なにごとかと問いかけたチェイスの胸に、危険を知らせる焦燥が返ってくる。


「お前らっ、そこから逃げろ! なにか来るぞ! 早く!」


 友を信じてチェイスは眼下に指示を飛ばす。困惑しながらも、岩の民が平原の民を引っ張って走り出した直後、低い地響きが村中を揺るがした。

 逃げていた者が倒れ、あたりの投石機が傾くほどの震動が襲う。

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